大激怒司教

聖神ラクロスウェル教会帝都第5支部の司教にしてシュウを破紋としたレウスの朝は、まず煎れたての紅茶を飲むところから始まる。

一般的な教徒は既に起き、朝の務めに励んでいる間もベッドから離れることなく、皆が朝食を済ませる頃にようやく目を覚まし、侍女に命じて紅茶を煎れてもらい、新聞に目を通しながらすする。それがレウスの日常だった。


元来レウスは朝が弱く、一般教徒だった頃から「将来偉くなったら絶対に早起きはしない」と考えていた彼は、司教になった瞬間このように堕落した。それもまた彼がこれ以上の出世が望めなくなった理由の一つでもあるのだが。


しかしそんな彼の毎日の習慣が、今ここで仇となることになった。



「司教様。聖女様より司教様宛にこちらが・・・」



「・・・なに?」



朝は紅茶を飲みながら新聞を読む・・・その習慣を邪魔されたことに苛立ちを感じつつも、レウスは部下の神官が差し出した封筒を受け取った。



『司教様宛』



と書かれたその封筒の文字は、確かに聖女フローラの字であった。



「一体なんだと言うのだ?」



同じ教会にいながらにして、どうして文書によるやり取りを選んだのか。用件は一体何なのかと訝しみながらも、レウスは封を開け、中身に目を通した。



「なっ・・・なん・・・だと・・・?」



レウスはその中身が『退職願』であることを理解した瞬間、右手に持っていた紅茶のカップを床に落としてしまった。

高価な絨毯にカップの中身がぶちまけられて染みを作るが、レウスはそれに構うことなく何度も何度も『退職願』に目を通す。


何度見ても、聖女フローラが聖女としての地位を辞するという内容で間違いはなかった。



「フローラはっ・・・聖女様はどこにいる!?」



レウスは血相を変え、退職願を放り出して部下に問う。



「はい。それが、今朝侍女がお部屋に見に行ったときには既に聖女様のお姿はなく、代わりにその封筒がテーブルの上に置いてあったとのことです」



「姿が無かった!?どこへ行ったのだ??護衛騎士は何をしている!?」



聖女の部屋の前には常時護衛の騎士が張り付いており、侵入者はもちろんのこと、部屋から聖女が人知れず外出することも不可能であるはずだった。



「護衛騎士に訊ねたところ、特に異常は無かったとのことです。ですが、聖女様は高度な聖魔法の使い手です。ですから可能性として・・・『認識阻害』の魔法を使って部屋を出た可能性も・・・無きにしもあらずかと・・・」



みるみる表情が怒りで歪んでいくレウスを見て、だんだん部下の言葉が尻すぼみなっていく。

『認識阻害』の魔法。人の感覚を惑わし、見ているのに見えていない、聞こえているのに聞こえていないといったように他人の感覚を意のままに操作する魔法である。

あまり印象の良くない魔法であるが、教会とて時に教徒の勧誘など様々なことに便宜上使うときがあった。

聖女としてそうだ。自身の言葉に説得力を持たせるために、『認識阻害』の魔法をアレンジして使うこともあるのだ。決して褒められたものではないが、高度な政治的な駆け引きに使うこともある、聖神教会の闇であった。



「認識阻害で護衛騎士をやり過ごして部屋を出たというのか?どうしてそんなことを・・・!ん・・・?」



ここでレウスは封等の中に、退職願とは別の紙が入っているのを発見した。

それを手に取るとそこには、「自分が恋い慕うシュウを追って聖女を辞する」ということと、「シュウを不当に破紋したことに対する抗議」、そして「同じ文章の手紙を聖神本部に送達済み」といった内容が書いてあった。



「なっ・・・ば、ばばばば・・・・馬鹿な・・・!」



ビリッと紙を破り捨て、レウスは怒りに震えた。自分が怒りのあまり勢いで追放したシュウのことが原因で、まさか聖女が辞するなどということになってしまうとは。


聖女フローラは司教レウスの数少ない出世の武器だった。

最年少で聖女に抜擢されたフローラの活躍は、彼女を輩出した支部の責任者であるレウスの出世に大いに貢献するはずだったのだ。

そのフローラが自分のせいでいなくなったとあれば、出世どころの話ではない。レウスは目の前が真っ暗になった。



「ど、どうしてすぐさま私に報告しなかったのだ!」



「し、しかし司教様は『帝都がひっくり返るほどの事件がない限り、私を起こすな』と常々言っておられましたから・・・今、教徒総動員で周辺を捜索しておりますので、どうか落ち着いてください・・・!」



「くっ・・・周辺のみならず、帝都全域を捜索しろ!こうなれば恥も外聞もない!本部が動き出す前に、なんとしても我々の支部が連れ戻すぞ!!」



自分の言動が原因となり、対応が遅れてしまったことを悔やむレウスだった。

尤も、とうに手遅れなのでどのみちどうにもならないのだが。

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