第18話 物質転送
アメリカの医師、ダンカン・マクドゥーガルによれば魂には重さがあり、死の前後の患者の体重を測ることで、その存在を証明できるという。じっさいに彼は死にゆく人間の体重変化を記録し、魂の重さは21グラムであると結論付けた。
今日の入りは一〇人だった。昨日も一昨日も。明日の入りを考えると虚しくなる。酒を買うお金も底をついてきた。花束を鳩に変えても、鳩はお金になってくれない。幌馬車が火星の大地を進んでいく。地平線のむこうにオリンポス山が見える。あの山はなんて高いんだろう。俺はちっぽけだ。特に人格に問題があるわけじゃない。酒癖も悪くないし、人も殴らない。少なくとも今は。強いて言えば認められたい。奇術師としての大成が俺の目指すところだ。
赤い土を踏みしめながら歩いて行けば、酒場や質屋、服屋、市場が並ぶメインストリートが見えた。なにも持たずに散歩するのは辛い。財布は空だ。数枚のコインで何が買える? 俺のお先は真っ暗だ。
路地裏に入り込んで煙草を吸う。奥に、初めて見る扉があった。こんなところに扉があっただろうか? 俺は恐る恐る扉を開ける。
大きな額縁、デザイナーズチェア、デパートにあるような白い女性型の
「何だ?」
背丈ほどの高さの門があった。
「いらっしゃいませ」
突然後ろから声をかけられた。背後には白いジャケットの鬚を生やした男が立っていた。
「これは……?」
「これ、というと?」
「これだよ、これ。門みたいなやつ」
「時空転移装置ですな」
そうと聞いて疑問が浮かぶ。
「時空転移なんて代物があるわけがない」
そうだ、謂わば時空を飛び越える装置なんて物があれば、火星から外へはひとっ飛びだ。簡単に旅行ができる。夢の装置だ。
「まぁ、一回やってみればいいと思います」
男は促してきた。
俺は門をくぐる。外だった。方角的にありえない。あの門から外へ繋がっているはずがない。しかし、現実はどうだ。俺は外にいる。戻ると男が言った。
「これは物質を転送させる装置とも言います」
「じゃあ、今ので俺は転送されたんだな?」
「そうです。あなたは魂の一欠片を代償に転送されたのです」
魂だって? 俺は目を丸くした。
「おい、俺の魂を削ったって言うんだな?」
「はい、魂は全体で21グラムと言われています、その一部を代償にあなたを転送させていただきました。そうしてあなたの魂を再構成しています」
不思議な門だ。ただこの門は俺の仕事に使えると閃いた。
「おっさん、この門を貸してくれないか?」
「いいですが、注意してくださいね。魂の総量は21グラム、それを超えたら……」
魂なんてオカルトだ。俺はさっそく門を持って仕事場へ急いだ。
マジック時空転移はそりゃあもう、人気のマジックになった。
俺が門をくぐって任意の場所にいる仕掛け人の用意した花束を持ってきてみせる。盛り上がりは最高潮になった。来場者はどんどん増えた。俺はマジックで成功したのだ。
酒場でマスタードのついたソーセージを食べているとビールが良く進んだ。こんなに気分がいいのはいつ以来だ? 俺の財布は分厚くなったのだ。もっと頼んで飲み明かそう。最高だ。
ふらふらになって夜道を歩く。歩みを進めるたびにふらつきが大きくなる。魂の総量の話が気になり出す。魂が仮に21グラムだとして物質転送で失う魂はほんの少しだと男は言っていた。俺はたとえば一生で飲める酒の量を考える。酒を限度まで飲みきるのが先か、魂を限度まで使い切るのが先か、俺には判断がつかない。
なんにせよ、今日はフォボスが綺麗だ。それで良しとしようじゃないか。
マジックはいつでも順調だ。ちょっと俺が門をくぐって外へと出れば別世界にいる。ただそれだけで文句を言う人間はいない、はずだった。
ある日、注文がついた。
「すぐ近い場所だけじゃない、遠い場所へは行けないのだな?」
なんだ、なんだ? 文句をつける気かい。
「何だ、あんたは?」
「私はその門に興味があるのだ」
興味? これは俺が貰い受けた門だ。誰にも渡しやしないぞ。
「ダメだ、ダメだ」
「そうか、やっぱりインチキなんだな?」
「なに? もう一回言ってみろ!」
「インチキだから門を調べられないのだと言っているのだ!」
「バカ言うなよ。これは俺にとって宝だから誰にも見せるわけにはいかないってだけだぞ」
「ほほぅ……じゃあテレビ局を呼ぼう」
それからあれよあれよと話は進んだ。
俺は世紀のマジックをするために巨大な契約金を手に入れた。もちろんマジックには成功する。俺は自分自身に約束した。ぜったいに成功してみせるぞ。
そうだ、俺はその姿を別れた息子に見せるのだ。息子のジョンの電話番号をガサゴソと探す。あった。戸棚で埃を被っていた電話を取り出す。
あれ、動かないな……。
電話を叩いた。動かない。電気屋を呼ぶか? 金はないぞ。仕方ない。手紙を書こう。俺は下手くそな字で息子へ手紙を書いた。
ジョンへ
久しぶりだな。元気しているか? マジックは順調なんだ。仕事の羽振りがいい。俺はこれから一世一代の仕事へ行くのだ。だから見に来てほしい。場所はリーブタウン二丁目三番地。
俺は手紙を封筒へ入れてジョンに手紙を送った。やつだって大人だ。子どものころのことは覚えてはいまい。俺は暴力を振るうダメな父親だった。でももうそんなことはしない。相手はもう大人だ。彼にとって俺は何でもない存在だ。もうすでに送ってしまった手紙のことをうじうじ考えて、止めた。
俺はこれから大きな仕事をするのだ。テレビ局が来るのは二週間後だ。
そのあいだ、あの男は門を科学者と調べた。
科学者のひとりがネズミを門に通過させる。ネズミは死んでしまったようで帰ってこなかった。どうやら体重によって帰ってこれる生き物が違うらしい。彼らはそう結論づけたようだ。俺は今まで門をくぐった回数を数えている。何度くぐったかはわからない。そういえば限度があると聞いていた。
何グラムだったか? 俺は思い出そうとするが、思い出せない。さらに息子との思い出を思い出そうとするが、できない。
俺はどうしちまったんだ? 医者へ行こうと思って予約しようとするが電話番号が思い出せない。電話帳を見てなんとか医者へ電話をかける。
「記憶障害のようですね? 何か変なことをしましたか? 頭を打ったとか」
わからない。俺には何もわからない。ただ分かるのは門へくぐるようになってから、記憶がおかしいことだけだ。俺はそのことを医者に話すが分かって貰えない。医者は一週間以上の休息と検査を持ちかけた。俺にはそんなことをしている暇はない。
目覚めると白すぎる天井が見えた。俺は入院したようだ。はっきりと記憶していないから状況から推測するしかない。
テレビ局から電話がかかってくる。俺は電話をとるが、内容が良く理解できない。
明日、門をくぐること。たったそれだけしか理解できなかった。
病室で眠っていると息子のジョンが来た。どうして来てくれたんだっけ。俺はそれすら思い出せない。
「父さん? 仕事に行くって書いてあったから。一世一代の仕事なんだろう?」
そうだ。俺はマジックの仕事へ行く。テレビをつけると華やかな公園に場違いな門が置いてある。あの門をくぐって俺はどこへ行くのだろう。
つぎに目覚めると仕事の車のなかだった。俺はこれから最高の仕事をしに行くのだ。
「レディースアンドジェントルマン! きょうお見せするのは物質転送マジック! いままで様々な場所へ私は旅して参りましたが、今回は遠い、とても遠い場所へと旅立とうと思います。私はこれから地球へと行くのです」
聴衆は驚いたように目を見開いた。
地球! あの荒廃した人類発祥の地! 地球にはもうすでにテレビ局の別働隊が向かっているのだ。俺は彼らの持っている白いバラを受け取って戻る。たったそれだけのことができれば俺は火星のスターの仲間入りをする。あの辛く、惨めな日々とはおさらばだ。俺は白いタキシードを纏っている。この日のために用意した純白の服だ。俺は聴衆へ投げキッスをして門へとくぐろうとする。
息子のジョンががんばってと声をかけた。その声が響いて場面はしんとした。
そこへタクシーが一台やってきた。
俺に門を譲った男がずかずかとその場へ入ってきた。
「お客さま、待ってください。もうそろそろだと思いました」
「もうそろそろ?」
「ええ、門の通行料の、魂の重さ、21グラムは底をついたのではないかと思いました。なので、お客さまを止めに参りました」
「うるさい! 俺は仕事へ向かうんだ……」
「ダメです! お客さまが死んでしまいます」
男は俺を羽交い締めにする。俺はジタバタする。俺は仕事を遂行するんだ。
それで、大金が手に入ったら……。
「大金が手に入ったら、息子と、息子のジョンと平穏な暮らしをするんだ! 俺はもう仕事のストレスは感じていない。むしろ楽しいって感じている! 俺は息子とともに明るい世界を歩いて行く。暗い世界にあいつ一人だけでやっていくなんて無理なのだ」
客席にいたジョンは涙した。
「父さん? そんなことより死なないでくれよ……。もういいんだよ。父さんの気持ちは分かったんだ。手紙が嬉しかった。だから紹介するよ。恋人のマリーだ。来月結婚するんだ。父さんには孫の顔を一緒に見て笑い合ってほしいんだ……」
「ジョン……」俺の目頭は熱くなる。
テレビカメラが俺たち家族を映し出した。俺が頑張ってやる必要は無いのか? こんなに大きな話になってしまったんだぞ? 俺は仕事を諦められない。
「ジョン、悪いな。帰らなかったら、手紙は燃やして新しい家族とやっていくんだぞ……」
「父さん!」
俺は門をくぐった。
あらゆる脳内に駆け巡る意識が加速していく。俺はいまどこにいる? 地球じゃ無いのか? 俺は天国にいるのか? 分からない。意識が伸びていく。ずっと遠い場所へと意識、いしき……。分からない。俺はいまどこにいるのだ。
天使の影が目の前を通り過ぎた。気づけば棺桶のなかで、目の前が暗くなった。さいごに見たのは悲しみに暮れる息子のジョンの顔だった。〈了〉
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