第2話

 ドサッという音を立てて私は絨毯の上に落ちた。

「お嬢様!どうされたのですか!?」

 音を聞きつけてメイドの『ロベルタ』が部屋へと駆け込んで来た。

 私はわけが分からなくて、周囲を見回した。

 そこは見慣れた私の寝室だった。

「ロベルタ?私、変な夢を見たの」

「『変な夢』ですか?」

 ロベルタは私がどこか怪我をしていないか確かめながら話を聞いてくれた。

 ベッドから落ちはしたが、私は特に目立った傷もなく無事だった。

 夢の中では死ぬほど痛い思いをしたのが噓のようだった。

「うん、学校に行く途中で車にひかれてしまうの」

「まぁ、それは怖い夢でしたね」

 ロベルタは私の顔にハンカチを当てて涙を拭いてくれた。

 私は自分でも気が付かないうちに泣いていたらしい。

 それくらい『夢』はリアルだったのだ。

「でも大丈夫ですよ。お嬢様が学校へ行かれるのはまだまだ先ですから」

「ふえ?」

 私はロベルタの言っている意味が分からなくて首をかしげてしまった。

 そんな私にロベルタは優しい笑顔を浮かべながら教えてくれた。

「だってメアリーお嬢様はまだ5歳ですから」

 そう言ってロベルタは私を優しく抱き上げると、ベッドへ寝かしつけてくれた。

 ロベルタに布団を布団をかけられながら私は

「ああ、そうか。私はまだ5歳だった」

 と妙に納得していた。

「お嬢様、何かございましたらすぐに言って下さいね。私は待機しておりますので」

 扉を閉めるロベルタを見送りながら私は再び夢の中へと落ちて行くのであった。

 でも、何か拭い切れない違和感があった。

 メアリー?私の名前だよね?でも、どっかで聞いた事があるような……

 って言うか待って、私の名前って『下田佳奈』じゃなかったっけ? 

 それは夢の中での話か?

 でも、何か変なしこりみたいなものが……

 ん?何が起こってるの?

 私、どうなってるの?

 結局、答えは出ないまま私は朝までぐっすりと眠るのだった。


 翌朝、小鳥のさえずりで私は目を覚ました。

「う~~ん、良く寝た」

 ベッドの中で軽く伸びをすると、私は部屋の中を見回した。

 部屋には大きな熊のぬいぐるみや天蓋付きベッド、豪華な装飾品の数々がある。

 私『メアリー・シーモア』の見慣れた部屋だ。

「お嬢様、朝ですよ?」

 扉の向こうからロベルタの声が聞こえた。

「ロベルタ、もう起きてるわよ」

「え?そうですか?」

 ロベルタは私の声に少し戸惑っている様子だったが、部屋へと入って来た。

 そして、私の姿を見たロベルタは驚きの声を上げた。

「お嬢様!何をなさっているのですか!?」

「え?着替えだけど?」

 そう、私はベッドから出て寝間着を脱ぎ服を着ようとしていたのだ。

 それなのに、ロベルタは何をそんなに驚いているのだろうか?

 もしかして、服の着付けが間違っていたのか?

「そんな事は私が致します!」

 そう言うとロベルタは私から服を取り上げ、手際良く私に服を着せ始めた。

 そこで私は『上流階級の人は自分で服を着たりしない事』を思い出した。

 私は生まれてから5年間、自分で服を着た事なんて一度もなかったのだ。

「申し訳ありませんがお嬢様のお気に入りの『髪飾り』が用意出来ませんでした」

「そう、無いなら仕方ないわね」

「え?」

 ロベルタは驚くと私の顔をまじまじと見た。

 私、何か変な事を言ったっけ?普通の事を言っただけだよね?

「本当によろしいのですか?」

「え、ええ」

 そこまで言って私は思い出したのだ。

 私はいつも服やら食べ物やらに文句をつけてメイドたちを困らせていた事に。

 それくらい私は過保護で甘やかされて育った『ワガママお嬢様』だったのだ。

「お嬢様、失礼します」

 そう言うとロベルタは私の額に自分の額をくっつけた。

「……熱は無いみたいですね」

 ロベルタは顔を離しながら独り言のようにつぶやいた。


「お嬢様、どこか痛むところなどはありますか?」

「いいえ、いつも通り元気いっぱいよ」

 不安そうなロベルタを安心させようと思い、私は元気をアピールして見せた。

 演技は上手い方ではないが、一応剣道部の部員とは上手くやっていた。

 何とかごまかせるだろうと踏んでいた。

「……そうですか」

 しかし、ロベルタは依然として心配そうな顔をしたまま顎に手を当てている。

 一瞬、ロベルタの目が異様なほどに鋭くなったような気がした。

 私はあんなロベルタの目は見た事がなかった。

「……後で医者に診せた方が良いか?」

 ロベルタは小声で何か言ったが私には聞こえなかった。

「お嬢様、オリバー様とイザベラ様がお待ちです」

「お父様とお母様が?分かったわ、すぐに行くわ」

 私はロベルタを率いてお父様とお母様が待つ食堂へと向かった。

 食堂へ向かう途中、妙にロベルタの視線が痛いような気がした。

 しかし、振り返ると丸眼鏡をかけた優しい顔のロベルタがそこに居るだけだった。

「お父様!お母様!お兄様!おはようございます!!」

 私は食堂へ入室すると、元気良く挨拶をした。

 入室の前に『自分で』ドアを開けそうになったが寸前のところで思いとどまった。

 ノブに触れそうになった時、ロベルタの刺すような視線が向けられたからだ。

「おお、愛しのエミリーよ。今日は早起きだね」

 お父様『オリバー・シーモア』は青髪で大柄な紳士だ。

 現国王の親戚にあたり、爵位も『公爵』と言う高い地位を与えられている。

「まぁメアリー。今朝はやけに元気ね?」

 お母様の『イザベラ・シーモア』は赤毛の公爵夫人だ。

 なんでも外国から政略結婚で嫁いで来てお父様と相思相愛になったらしい。

「メアリー、昨日は眠れなかったのかい?」

 お兄様の『アラン・シーモア』は赤毛で私の3つ上の美少年だ。

 青髪の私とは対照的に髪の色はお母様譲りだ。

「(……何?この反応)」

 私は三者三様の反応を見てそう思わずにはいられなかった。

 私を見て変な反応をするのはロベルタだけではなかった。

「実は、昨夜は変な夢を見てしまって」

 私は笑ってごまかしながらロベルタに椅子を引いてもらってから着席した。


 シーモア家の朝食は貴族なだけあって豪華だ。

 白いパンに半熟のゆで卵、ハムや果物もあり映画のワンシーンのようだ。

 だが、私はこの朝食を楽しむ気分ではなかった。

 なぜなら、後ろでロベルタが私の一挙手一投足を観察しながら立っているからだ。

「……」

 私は黙ったまま、ゆで卵を食べる事にした。

 私だって5年間、この家で過ごして来たのだからマナーくらい分かる。

 シーモア家ではゆで卵は殻をむいて食べたりしない。

 まず、スプーンでゆで卵の上部を取り除き、そこからすくって食べるのだ。

 お父様やお母様がやっているところを何度も見たのだからきっと出来るはずだ。

「……」

 私は見様見真似だったが5歳にしては優雅な朝食を演出してみた。

 どうよロベルタ?私だってやれば出来るのよ?

 私は勝ち誇った気分だった。

「メアリー、いつゆで卵の食べ方を覚えたの?」

 だが私の食事風景を見て、兄のアランが不思議そうに尋ねて来た。

「え?」

 私は思わず変な声を出してしまった。

「僕だってついこの間、やっと一人で食べられるようになったのに」

「本当だ、すごいなぁメアリーは!」

 オリバーお父様も私の手元を見て感嘆の声を漏らした。

「いつもはロベルタに食べさせてもらっていたのに」

 イザベラお母様もあまりの出来事に驚いている。

 そこまで言われて私は自分がロベルタにハメられたのだと理解した。

 ロベルタは朝からずっと私の事を疑っていたのだ。

「はい、お嬢様は大変独立心の強いお方で今朝から様々な事に挑戦されているのです」

 ロベルタは私の口元についた卵の黄身を拭うと張り付いたような笑顔を私に見せた。

 私は怖くてロベルタの顔を直視できなかった。

「きっと夢見が悪かったせいですわっ!!」

 私は取り繕うように昨夜見た夢の話を始めた。

 少しでも話題を逸らしたかった。

 しかし、お父様もお母様もお兄様も

「……変な夢だね」

 くらいの反応しかせず、その後も私が自力で朝食を摂った話題で持ちきりだった。

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