第15話 あだ名とユーザー名

 翌朝。姉の電話のおかげか目覚めがすっきりしていた。あの電話のあと俺は二時間ほど眠りこけてしまったようで、起きたら二十時を過ぎていて焦った。


 洗面台で顔を洗い終え、鏡にうつる自分の顔をまじまじと見つめる。


 たしかに榎本が言うように髪がモサモサだ。普段じっくりと鏡を見る機会がないからあまり気にしていなかった。


 しかも寝癖は酷いし前髪も長く、陰気なオーラを醸し出しているような気がする。


 鏡は苦手だ。イケメンだったら鏡を見るのはさぞ楽しいだろう。でも俺はお生憎様。ジミメンなのでちっとも楽しくない。必要以上に眺めたくはない。


 だけど今日は別だ。鏡を凝視し、いつも以上に入念に寝癖をなおす。


 ネットで調べたところ、ドライヤーは熱風のあと冷風にすると髪がサラサラになるらしいので早速実践してみる。


 実際、髪がかなり落ち着いた。それと前髪は少しだけ切った。失敗が怖いのでほんの少しにしたけれど、すこし切るだけでも視界が明るくなった気がした。


 バイト代が出たら、そのお金で髪を切りにいこう。


 でもバイト代がもらえるであろう一ヶ月後は、今よりずっと伸びるはずだ。はやくなんとかしたい気もする。先に小遣いで行くべきか。少し悩む。


 そんなこんなしているうちにあっという間にいつも家を出る時間になってしまった。慌てて家を出る。


 早歩きの結果、無事いつも通りの時間に教室に着くことができた。


 クラスの比較的仲の良い男子に挨拶しつつ、席に着く。教室は既にクラスメイトの半数が友人と会話したり、スマホを操作したり、宿題をしたりと各々の朝の過ごし方をしている。


 いつもと変わらない日常だ。


「うっちー、おっはよー」


 ひとつだけ、いつもと違うことがあった。


 根室美優が挨拶してきたのだ。目が合いにこりと微笑まれる。藤塚の友人だけあって、かなり整った容姿だなと改めて思った。


 元々はっきりとした目鼻立ちの顔を、さらに化粧で強調しているという印象を受ける。特にアイメイクは力が入っている。


 アッシュブラウンの髪は入念に手入れされているようで、つやつやで天使の輪っかみたいな光がある。藤塚と一緒だ。それに爪もピンク色に塗られている。朝、これだけの身支度するのは大変だろうなと尊敬の念を抱きつつ、挨拶を返す。


「……おはよ」


 女子にあだ名で呼ばれることなんて小学生以来だ。気恥ずかしく、自然とぶっきらぼうな返事になってしまった。


「声ちっさ~。てか今日うっちー、いつもより髪いいじゃん。でも、切った方がもっと良くなると思うよ?」


 おっ、気づかれた! しっかり寝癖を治した甲斐がある。褒められて素直に嬉しい。それと同時に後ろめたい気持ちがずきりと胸を刺した。


 嘘をついた負目だ。


「そ、そうか」

「結構バッサリいっちゃってもいいと思うよ? 意外と似合うかも」


 そう言いながら、根室は手をひらひら振って俺の席から離れていった。


 去っていく根室の背を見つめながら、俺は決意した。具体的にどうしたらいいかわからないけど、でも、嘘をついたことを受け入れて背負うと。これからは、誠実にあろうと。


 視線を机に戻し、いつもの日課である一時間目の授業の準備をする。英語の予習をもう少し進めておこうかな、と思いノートを広げた時だった。


「ねぇ美憂、さっき内海くんと何話してたの? 仲良かったっけ?」


 藤塚の声が聞こえた。その声はいつもよりワントーン低い気がした。


 いつのまに来たのだろう。俺が教室に入った時にはいなかったのに。どくどくと心臓が音を立てる。


「え? うっちー? んー、ちょっとアドバイスしてあげたの。ま、ちょっとしたお礼的な? あのね、結構いい奴なんだよ」

「う、うっちー……?」


 藤塚が根室が勝手に呼び始めた俺のあだ名を困惑気味に復唱した。


 それを聞き、顔にかぁーっと熱が集まるのを感じる。


 俺の席は廊下側の前から四番目なので、教室の後ろの空間で話している藤塚たちを見るには、左に振り返る必要があった。


 わざわざ振り返って、目でもあったりしたら、藤塚に好意があることがバレるかもしれない。


 現に根室からチラ見してる、と指摘があったくらいだ。ここは我慢と耳だけに神経を集中する。


「あ〜。ちゃんとわかってるよ! 本名うつみ、でしょ? うちみじゃない、ってちゃんとわかってるよ〜」

「……え、あ、うん」


 なんだか異様にテンションの低い藤塚の受け答えに、もしかして俺のあだ名にひいている? と不安になった。


 うっちーなんて呼ばれるキャラじゃないって思われてる?


 俺のゲーム内ユーザー名であるノアールに対し、内海くんぽくないと言ってのけた藤塚。うっちーも俺っぽくないというか、似合わないって思ったのかな。


 藤塚にだけは、あまりマイナスな印象を持たれたくないな。


 沈んだ気持ちを紛らわすように、ノートに視線を戻し英文の書き写しを再開する。


 今度、お互いの都合が合う日にカフェ『La toile』に行って、それとなく聞いてみるか。あとバイトが決まったことも報告したいし。


 きっと藤塚なら、すごいじゃん! がんばれって言ってくれるだろう。その言葉だけでめちゃくちゃ頑張れる気がするから。


 俺はポケットからスマホを取り出し、ホーム画面の、『GFN』のアイコンを押した。


 メッセージで、ブルーム宛に、いつカフェ行けそう? と送る。学校では見ないだろうから、彼女がこのメッセージに気付くのは夜かもしれない。


 それでいいと思った。もし今日が空いている日でも、昨日のジムのトレーニングで疲れているはずだ。今日はしっかり休んでほしいと思った。

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