7:59


 世界が滅ぶ夢を見ていた。きのうの夢のつづき。

 テレビのリポーターはスクリーンの前に立って涙ぐんでいる。彼女は手にした小さな紙を読み上げ、途中でそれを放り出して泣き出す。金切り声をあげる。溶けたアイシャドウが彼女のほおを伝いきっても、放送は終わらない。普通だったら放送が打ち切られるところだがもうその指示を出すものもいないのだ。彼女は迷子になった女の子みたいに立ち続ける。

 わたしの端末は何度もけたたましい音を鳴らし続けている。災害時の非常アラートだ。画面に避難指示がずらりと並んでいるが、指定された避難場所のいくつかはとっくに水没してしまっているのをわたしは知っている。

 窓から外を見ると、空の一点がまばゆく光っている。

 あの猫がとなりの屋根の上で鳴いている。おわあ、おわあと赤ちゃんを思わせる猫の鳴き声はとても耳ざわりだ。屋根の端はもう水につかっていて、次の波までにベランダに飛び移れなければこの子も水に呑まれるだろう。

 ふうろがわたしの部屋に飛び込んできてわたしの胸にすがりつく。怯える彼女を抱きしめると彼女はきゅうという妙な吐息を漏らした。やわらかい彼女の肩に指が沈んでいく。

 波が猫をさらう。おわあ、という声を残して猫は一足先に水に呑まれる。水の飛沫がわたしの部屋の窓にかかる。河口近くの川のようなにおいがする。是非もなし。わたしは彼女を抱きしめる。思いっきり。ふたりでいっしょに泥に沈めるように。ああそばで死ねてよかったな。なんて思っていると「よくないって」と彼女が言う。

 そこで目がさめた。


 8:01


 やけに音の多い夢だと思ったらあれのせいだった。

 ぴぴぴぴぴ……。

 目覚まし時計のチャイムというのはどうしてこう耳障りなのか?

 まあ快適だったら目が覚めないだろう。ベッドから這いでて、時計にかけておいたタオルをどかす。アラームを止める方法がわからない。音量調整の方法はわかったので、最大になっていたそれを最小に動かした。そしてタオルでくるんでしばらく見ていたら、やがて窒息するように音は止まった。

 

 8:03


 キッチンに出て冷蔵庫をあけると、紙パックのコーヒーが四本あった。四本とも別の種類だった。ふうろがちょっとしたイヤミも込めてたくさん買ってきたようだ。とはいえ皮肉としてはあまり機能しない。このぐらい一週間もかからずに飲んでしまえる。

 とりあえずモカ入りの無糖コーヒーをあけてカップに注ぎ、とりあえず二杯飲んだ。

 三杯目のコーヒーを口に含みながら。わたしは今朝見た夢を思い返していた。途中で起きたせいか、ふだんよりもはっきり夢の内容を覚えていた。

 わたしの夢はしばしば連続した。それがどれぐらい一般的な現象かわからないのだが、ある夢を見たあと、その内容を引き継いだ夢を翌日に見るようなことがよくあった。その日に起こったことや周囲の現実が登場したりはするのだが、それは全体としては独立したストーリーを持っていて、出来事はいくつかのモチーフの周囲を天体のように回る。何もかもが水の中に飲み込まれる夢を最近のわたしはよく見ていた。このサイクルが始まったのはちょうどふうろと一緒に住むようになったころだった。

 別にわたしは、自分の夢が重要な意味を持っているなどと言いたいわけではない。夢はしょせん夢である。たんに無意識の産物だ。水の底の泥が舞い上がったようなものだ。

 もちろん。夢に何らかの解釈をくわえることも難しくない。フロイト氏式やユング氏式の夢分析をやろうなんてことも可能だろう。わたしの夢に破滅願望やら幼少期の経験やら抑圧された性欲やらを読み取ることは容易だ。容易なだけでさしたる意味はない。そんなものはわたし自身でも簡単に読みとれる。


 8:13


「おはようございます。灰にならずに起きれたじゃないですか」

ふうろが台所に入ってきて、わたしを褒めた。

「おかげさまでね」

「でしょう。わたしのおかげです」

 彼女はわたしの言葉に胸をはる。多少の皮肉をこめたつもりでそう言ったのだったが、通じず。彼女はたんに気を良くしただけのようだった。

 わたしたちにはお互いにそういうところがあった。レトリックのセンスがあまりかみ合わないのだ。それはつまり、あまり認めたくないがわたしと彼女が気が合わないということになる。だが同時にこの同居生活にいくらかの平和を提供してくれてもいる。もしお互いの話がもっと通じ合っていたら、ケンカの回数は三倍ぐらいになっていたと思う。

 そんなことを考えていると、ふうろはコーヒーのパックをひょいともちあげ、残量を確かめるように軽く振った。

「げっ、軽い」

「飲んだのに軽くならなかったら最高だよね」

 わたしはカップをもちあげ、彼女に注いでくれるよう促す。

「……そんなに飲んだら気分が悪くなるでしょう?」

「吐き気はある」

 言ったそばから胃が軽く痙攣するのを感じた。カフェイン中毒になると、吐き気がするぐらいまで飲まないと、物足りないと感じるようになる。もちろん気分が悪いが気にしなければどうということはない。量を適切なレベルでセーブできないのは典型的な依存症の症状である。

 そのようなことを言うとふうろは引きつった笑顔をした。

「コーヒーは一日一杯までにしましょうか」

 嫌だったが、わたしはいいよと言った。別に何かが心配になったわけではなく、彼女がわたしを心配しているのがうれしかっただけだ。とくに量についての指示を守る気もなかった。一日一杯なんて冗談みたいな量だから。冗談だと認識した。


 8:32


 ふうろはベーコンを焼いてくれた。見ていると、彼女は焼きはじめから少し時間差をつけて、同じフライパンに卵を割り入れた。そういうやり方で彼女はスクランブルエッグと焼いたベーコンを同じフライパンで作った。わたしにはできない芸当だ。わたしの場合、まず卵を焼く時点で問題がある。目玉焼きとオムレツとスクランブルエッグを作り分けることができず、すべてスクランブルエッグになる。エントロピー増大則の一種だと思う。

 何も言わなくてもわたしの分もあった。彼女はベーコンをさじ代わりにしてトーストの上に卵を乗せ、はさんで食べていた。わたしも同じことをしようとしたが、卵はすべって落ちた。

「そういえば、あれまだ開けないんですか」

 落ちた卵を一瞥したあと、ふうろはきのうのダンボールの箱を指さした。

「急がなくてもいいと思ったんだけど」

「早めに開けてあげないとかわいそうかも」

「かわいそう?」

「死んじゃいますよ」

 中身はどうやら死ぬようなものらしかった。言えよ。

 そんなものをその場のノリで買ってくるなよ。と思わなくもなかったが、まあ来たものはしかたがない。彼女はちょっと衝動買いのくせがある。これはたぶんわたしがコーヒーをやめられないのと本質的には同じなのだろう。ちょっとした悪癖というやつだ。

 ここで暮らし始めたころは、ブランド物のテディベアとか中古のチーズフォンデュセットなんかを買ってきていた。そこそこ存在感のある雑貨のたぐいが物欲の対象になるようだった。ここでいう存在感というのは置き場に困るということと同義でもある。

 買ってしまうと興味がなくなるようで、買われたものはだいたい置きっぱなしにされていた。チーズフォンデュは一度だけ作った。しかし白ワインで溶いたチーズが彼女の口に合わなかったようで、むしろ喜んだのはわたしだった。

 もしかしたらそのことがきっかけだったのかもしれない。最近のふうろは彼女自身のものではなくわたしのものを買うようになった。つまりプレゼントしてくれるようになり、買ってきたものはわたしの部屋に置かれることになった。青い時計もそのひとつだ。そんな彼女の性向に、ちょっとした支配性みたいなものを感じなくもない。

 わたしはダンボールの箱を見やった。あらためて見るとけっこう大きい。小型のサルでも入っていたらどうしようかと一瞬思ったが、箱に空気穴がないし、きのうからずっと箱は静かだ。空気穴の代わりに割れ物注意と書かれたシールが張られている。

 

 8:56


 箱の中身はエビの飼育セットだった。

 球形のガラス水槽と、少々の砂、エビと水草が主な内容だ。エビは淡水生の小型種で、大きさはシラスにたまに混じっている大きいやつぐらいだ。横断歩道のような模様のついた半透明の身体を持っている。水草は二種類入っていた。いずれも熱帯魚店で普通に見かけるありふれた種だ。水槽のほうはひとかかえぐらいのサイズはある。それなりの値段がするはずのものだったが、値引きシールが重ねて貼られていた。生き物は袋詰めにして箱に張りつけられていた。

 このままにしておくわけにもいかない。水槽のセットアップが必要だ。

 アクアリウムは昔やっていたから、わたしは基本的な手順を知っていた。水生生物を飼育する基本として、水道水は塩素を抜かなければならない。除去するのにチオ硫酸ナトリウムを使う手もあるが、汲み置きにするほうが望ましい。わたしはバケツを用意し、水を汲んでサーキュレーターで風を当てておいた。こうすると早く抜ける理屈になる。

 驚いたことに、セットにはこの種の説明がまったくつけられていなかった。もし初心者がこれを買ってきて、無邪気に水道水を注いでエビを放り込んだら、それが原因で死ぬ可能性がある。売れ残りを始末するためのバンドル販売だったのだろうか。無責任なものだ。


 9:42


 エビの袋の中には五匹が入っていたが、うち三匹は瀕死だった。いちおう自分たちを弁護しておくと、開けるのが遅れたせいだけではない。酸素を入れて袋詰めしたばかりなら一晩ぐらいでこうはならない。たんに売り場で放っておかれたのだと思う。

 とりあえず元気な二匹と瀕死状態の三匹を分けた。連鎖的に死ぬのを避けるためだ。こういう時、自分が感情移入するのは瀕死のエビのほうだ。単に判官びいきというやつかもしれないが、自分がどちらに似ているかと言われたら元気より瀕死なのだ。

 三匹は元気にはならずそのまま死んだ。


 12:13


 窓を開けて光を入れなければならない。

 べつに部屋にゲーテがいるわけではなく、水草のためだ。水槽はわたしの部屋に設置することにしたのだが、普通の室内照明の光では植物が健全に育つには役不足だ。光にも質というものがある。そんなわけで、日当たりのいい窓の近くに水槽を設置したいわけだが、都合のいい場所はわたしの部屋しかなかった。

 部屋に水槽を置いた場合、少なくとも日中はカーテンを締め切っているわけにはいかなくなる。今後は吸血鬼は卒業し、太陽のリズムに従う生活をすることになるだろう。自分のためにはできないがエビのためにはできる。


 14:54


 例の猫が窓の外に現れた。こいつ昼にも来るらしい。

 猫は一定の距離をあけてじいっとこちらを見ていた。たぶん風景が変化したせいだろう。開かずだったわたしの部屋のカーテンがいつもよりずっと広く開いているし、そこに奇妙な透明の球が出現したわけだ。おまけにその球体の向こうには陰気な風体の女が掃除機を持って立っている。いつもより長い時間とどまったあと、猫はなにか解ったような顔でふいと去った。わたしは掃除を再開した。

 大量の埃が掃除機の内側をぐるぐる旋回している。


 14:59


 はじめは掃除なんてするつもりはなかった。わたしの部屋の床には多数の延長コードがのたうっているので、水を扱う準備としてそれをどうにかしようと思っただけだ。場当たりにつなげて分岐させてきたコードは汚職政府のように非効率で、それらをどけたら床はひどく埃だらけだった。そういえば越してきてから一度も掃除していない。

 わたしにしては珍しく、掃除機をかけた。

 ふうろがここまで計算して水槽セットを買ってきたのだとしたら大したものだが、そんなことはないだろう。でもそういうことを言いそうだ。


 15:25


「おっ」

 アルバイトから帰ってきたふうろがわたしの部屋に来た。

「きれいになってるじゃないすか」

 部屋を掃除しただけでクララが立ったみたいな反応だ。

 彼女とは幼なじみだが、進路が分かれたせいでわたしたちの友情には数年間のブランクがある。そのせいなのか敬語混じりで話した。わたしの義務教育の開始は病気で一年遅れているので、実際年上ではある。もっとも、敬語ではあるが敬意は感じない。少しは逆にしてほしい。

 わたしは水槽に砂と半量の水を入れ、水草を植え込んでいるところだった。大ぶりなピンセットがあるといいのだが、ないので割りばしで植え込んでいた。袖が濡れるので腕まくりして、髪もしばっていた。その恰好が珍しいのか、ふうろはわたしの周囲を回るようにして観察する。何かとても楽しそうだ。作業に集中していたので少し邪魔だったが、もちろん言わない。

「じつはこうなると思って買ったんですよね」

 と彼女は言う。ほらね。


 19:02


 エビの入った袋を水槽に浮かせ、新しい水を少しづつ入れていく。増水しはじめた水の中で、生き残りの二匹は足をばたつかせながらゆっくりと泳いでいる。水を継ぎ足すたびに五分ほど時間を置く。それをくり返す。

 水槽に生き物を導入するときには、水温を同じにしてから、少しづつ水を混ぜこむことで新しい水に生き物を慣らさねばならない。アクアリウム用語で水合わせという。小型エビは水生の生き物の中でも気を遣う必要がある。繊細なのだ。

 ふうろは背後に体育座りして、わたしの作業を見ていた。なにか理解不能な宗教儀式を見るような顔をしていた。

「これ、どこで買ったの?」

「なんとか園芸センターの閉店セール。ホムセンみたいなとこです」

「ああ……なるほど。その店知ってるかも」

「水を足すのもエサやりもしなくていいから楽らしいですよ。水草が育ってそれをエビが食べる無限ループになって、それが永遠に続くって」

 たしかに、そんな説明書きが外箱に張られていた。彼女は生物にそれほど興味があるタイプではないから、その説明書きを真に受け、手間がかからないと考えてこのアクアリウムを買ってきたのだろう。わたしが設置に一日を費やしているのを見て、少し申し訳なさそうだった。


 21:25


 その水槽は上端がフタになっている。閉めると空気も外界と遮断されることになる。うまく行けば彼女の言うとおり、閉鎖された世界の中で極小の生態系がずっと続くことになる。

 だが実際には、閉鎖系のアクアリウムというのはそれほど簡単なものではない。小さいものであればなおさらだ。一般論として、系は小さく閉鎖しているほど不安定になる。ほとんどの閉鎖された生態系は、何らかの理由でそれほど長くないうちに不健全なものになる。それは運命と言っていい。地球上で投げた紙飛行機がいつか地面に落ちるのとおなじぐらい明白なことだ。

 たとえばこのアクアリウムであれば、


 ・エビが増えて水草を食べ尽くし、植物が再生できずに滅ぶかもしれない。

 ・逆に植物が繁茂する一方で、エビが繁殖できずに滅ぶかもしれない。

 ・エビがなんらかの病気で死ぬかもしれない。

 ・もっと単純に温度変化だけで全滅するかもしれない。狭い水槽では快適な温度の場所に逃げることはできない。

 ・夜間に酸素不足で窒息するかもしれない。夜間は水草も酸素を消費する。

 ・etc.


 破滅のシナリオは無数に存在する。

 維持のシナリオはそれらのすべてを避けたルートだ。もちろんその可能性が皆無とは言えないだろうけど、分のいい賭けではない。投げた紙飛行機だって、もし上昇気流をつかまえ続け、何にもぶつからなければ永遠に飛ぶかもしれないが、それはあまり期待できないというのと同じ話だ。

 閉じて限られた世界では、何らかの資源が枯渇しやすい。世界が小さいほど枯渇を避けることは難しい。かつてイースター島の先住民は、自分たちの孤島に生えた木をすべて伐採し尽くし、モアイの列を残して全滅した。アリゾナで行われた人工生態系実験は、多数の専門家の努力にもかかわらず、慢性的な酸素不足と食糧不足によって二年で破綻した。


 21:35


 なんにせよ、このアクアリウムもそう長続きはしないだろう。

 とはいえ数ヶ月は保つかもしれない。あるいはうまくいけば数年は。

 いまエビは二匹だけ。この時点でまず遺伝的多様性という資源が失われたわけだ。さて、この小さなエビたちの世界が試されるためには。まずこの二匹がアダムとエヴァである必要がある。アダムとアダムやエヴァとエヴァでない場合ということだ。この時点で二分の一の確率をくぐり抜けることになる。

 べつにこの世界がどうなろうがかまわない。

 ただ彼女ががっかりしない程度維持できることを望む。

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