第33話 二日目、旅館

「これが呂漢旅館なのですね! しゅん!」

「俺が隠していた三国志のゲームをこっそりやっただろう!!」


 新幹線から降りて電車に乗り替えたあと、しばらくすると今回の旅行の滞在先の旅館が見えた。

 草木と石に囲まれた池のある庭を通った先に、和風の建物が居を構えていた。


 仲居さんに荷物を渡すと、アネラさんは封印から解放されたようにはしゃいだ。


 にしても、その歴史の真相を突き止めた考古学者が仲間に確認を取っているのを装って、実は自慢しているような目はやめろ。

 確かに古そうだが、お前が足を踏み入れたのは何も呂布の子孫の屋敷じゃないから。


館のご飯が楽しみですね! しゅん!」

「漢字を一個ずつ直していくな!!」


 どんだけ食いしん坊なんだよ、アネラさんは……。


 俺がため息をついたのは決して今日泊まる旅館がボロいからでは決してない。

 むしろわびさびを感じられて満足しているのだ。


 そう、俺がため息をついたのは疲れたせいもあるが、なにより無事旅館にたどり着けて安堵したからだ。


 ここ旅館への道のりは長かった……。




「お腹空きましたね……」

「お前が新幹線に乗ってすぐ弁当を食べたからな」

「そうだ! また注文すればいいのですね! ―――痛っ♡」

「晩御飯が食べられなくなるからやめろ!」


 アネラさんのスマホを取り上げて、彼女の奪還を阻止するのに俺は全神経を尖らせていた。

 新幹線を降りた後はふらふらで、もはや歩く気力すら残っていなかったのだ。




「しゅん、刺身はまだですか? ―――痛っ♡」

「まだ旅館に入ったばかりだろう!!」


 俺の回想はいとも容易くアネラさんの食い意地に破壊アネリングされてしまった。

 しかも、こと食べ物に関しては漢字を間違えないのも嘆かわしい。


 いや、そもそも『署』を『薯』に間違えるくらいだから、アネラさんにとってはそのほうが自然なのかもしれない。

 彼女の中ではあらゆるものが食べ物やゲームに変換されてしまっている。


 もはや彼女の本質は食いしん坊ゲーマーと言えよう。

 オタクというのは彼女の格を下げる恐れすら孕んでいる。


「しゅん、私分かったのかもしれません……」

「急になんだ?」

「生の魚も焼いた魚も出してくれる旅館って最強なのですね! ―――痛っ♡」

「なんでここの献立を知っているんだよ!!」


 急に真剣な顔をしたかと思ったら、結局アネラさんの思考は食から離れていなかった。

 それは彼女の食への渇望であり、無尽蔵な食欲ゆえの叫びなのだった。


 新幹線で駅弁を俺の分も半分食べたというのに、これ以上どこにそれをしまい込める胃があるのだろう。

 おまけに、食すだけにとどまらず、これでもかと魚の味を楽しみ尽くそうという発想に俺はやや恐怖を感じていた。


 焼肉味のポテチといい、なぜアネラさんはいっぺんに二つの美味を貪ろうとするのかは俺にはよく分からない。

 そこまで効率的に食を堪能しようという意思は俺には欠けていた。


「ちょっ……お前のせいで仲居さんに笑われてるじゃん」


 先導する仲居さんが俺らの会話を聞いたせいか、少し笑いをこらえていた。


「しゅん、私それ知ってます!」

「なにをだ?」

「それは責任転嫁というやつですね!」

「せめてツンデレと言え!!」


 ったく、いつものように言ってきたから、またドラマで覚えた変な言葉をかけてくるのかと思ったら、まさかのただの難しい言葉とは思わなかった。

 やはり腐っても物理的にも一国の姫だ。伊達に権謀術数けんぼうじゅっすうが渦巻く王宮の中で生き抜いてきたわけじゃないんだね。




「蟹じゃないですか!?」

「お前の世界にも蟹があったんだね」

「しゅんって私のじょせい―――」

「そっちじゃないよ!!」


 ったく、やっと部屋に着いてご飯が出てきたと思ったら、アネラさんはまたしても俺の心臓が飛び出しかねない発言をしてきた。

 そっちの世界と蟹の関係は気になるけど、仲居さんもいるから、ここは断固阻止だ。


 今俺とアネラさんの目の前には茹でた蟹や焼いた蟹、それに蟹の刺身や蟹の炊き込みご飯までもが広がっている。

 こんな贅沢を下ネタでダメにしてたまるか。


 ちなみに、今回の旅行は二部屋取ってある。

 今でもラブラブな両親が同じ部屋で、もう一部屋は俺とアネラさんが泊まっている。


 これってあれなのか?

 思春期の息子とその婚約者に配慮したあれなのか?


 いや、考えるのやめよう。

 ものすごくいたたまれなくなってきた。


「俺(のお父さん)に感謝しろよ」

「ありがとうございます♡」


 おい、どこ見て話してんだよ。

 蟹さん、生まれてきてくれてありがとうのほうじゃないぞ。


 俺とアネラさんも参加した今回の家族旅行が楽しみで、お父さんは奮発した。

 そのおかげで、こうして俺は蟹と相見えることができた。


 その力強い両腕ハサミは俺の食欲をそそり立てる。

 よし、いざ対決と行こうか。


「ってもうないじゃないか!?」

どぅちぃみぁすぃたかぁ?どうしましたか?


 なんということだ。


 俺が思考から行動に移そうとした一瞬、アネラさんは既にターゲットハサミを頬張っていた。

 その膨らんだほっぺたが証拠だというのに、とぼけるときた。


 まあ待って。

 まだ慌てる時ではない。


 次は焼いた蟹のほうを頂こう―――


「おい!! ちゃんと噛めよ!!」

ひぃなぁふぃやすぃだ%噛んでますよ?


 焼いた蟹の方に手を伸ばそうとしたとたん、アネラさんは疾風のごとく横取りしやがった。

 身がはみ出している部分を口の中に入れてずるると吸い込んだ。


 その状態食いしん坊モードでは、もはや俺以外の人が彼女が何を言っているのか理解出来まい。

 伊達にアネラさんの婚約者をやっていないから、まだまだこれくらいはなんとなく分かる。


gはrF@*な2?!か%#ちょっと何言ってるのか分からない

「何言ってるのか分かんないわ!!」


 俺は自惚れていた……。


 アネラさんのこと分かっている気でいた。

 だが、今彼女が炊き込みご飯を掻き込みながら話していることが理解できない。

 

 というか、もうご飯?

 

 えぇっ!?

 机の上の料理が半分も消えてるじゃないか!?


 なるほど、そうやって意味不明な言葉を並べてるのも俺を撹乱ジャミングして、その隙により多くの料理を食べるためだったのか。


uSg@.6?%2#*fhかなり何言ってるのか分からない


 この期に及んでまだそんな姑息な真似を……!


「お、お客様……お代わりもあるので、ゆっくり食べてください……」


 ゆっくり食べていられるか!?


 ここは戦場だ!

 食うか食われるアネラさんにかだ!


「やば……」

「しゅん!」


 うん、その私の勝ちだなみたいな目はいいから。

 こういう時だけ箸を止めるんじゃない。


 俺は間違っていた。

 この勝負はそもそも無謀だった。


 旅行初日の夜、俺は旅館のトイレと友達になった。

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