第9話 どうやら、エージェントはいるらしい

「ただいま!」


 元気を孕んだ声でそう言いながら、窓を開けて俺の部屋に軽いステップで足を踏み入れた銀色の髪をした女の子がいた。


 だから、俺はこう言ってやった。


「不法侵入なので、出ていって貰えますか?」

「前に来たことがありますから、不法侵入じゃないですよ?」

「日本の法律はそこまで緩くないよ!!」

「痛いっ♡」


 相変わらず自分勝手な理屈を並べて、日本の法律に挑戦してくるアネラさんの頭に、俺は今勉強に使っていた数学の教科書を載せてあげた。

 これは決して叩いたとかではない。パンという効果音が浮かんでこなかったし、目に浮かぶくらいのたんこぶも彼女の頭に出来ていなかったから、まあセーフだろう。


 アウトなのは、なぜか、アネラさんの悲鳴にハートマークがまとわりついてるように聞こえた俺の脳みそのほうだ。

 俺は確実にこのむっつりドスケベ残念美少女に侵蝕アネリングされている。


「これはなんて書いてるんですか?」

「うん? これか?」


 自分の頭を傷つけた凶器に、目を奪われたアネラさんは、異世界のお姫様だというのに、ゴブリンにではなく、またしてもその残念な中身からは想像できないような知識欲に囚われたようだ。


sinサインcosコサインtanタンジェントだ」


 一度ならぬ二度もが未知と遭遇ザ・ワールズボーイミーツアナザーワールズガールしてるのに、こうやって堂々と教養を披露できる自分の胆力は賞賛されるべきものだと思う。

 数学の成績は決してよくはないが、発音だけは間違えない。


 普通なら足が竦んで、アンモニア臭をばら撒くところを、ご丁寧に脳内の『ワールド』を所有格に変えてる余裕があったのも褒めて欲しいくらいだ。

 英語の成績も決してよくはないが……。

 

「エージェント?」

「はい、アウト!!」

「ど、どうしたのですか!?」

「男子高校生に、実は裏で他国に潜入して情報を得たり、謎の侵略者を排除する暗躍する者たちがいるなんて事実は知りたくなかった!!」


 数学の教科書の表紙に書かれている三角関数を、面倒だからとりあえず音読してみたら、知りたくもないことを知ってしまった。

 なぜアネラさんがタンジェントをエージェントに聞き間違えたのかって? 答えはシンプルだ。


 彼女の世界にはエージェントという概念が存在するからに決まっている。

 決して俺が発音を間違えたわけではない。俺の発音は完璧なはず。

 

 アネラさんの世界は、地球でいう中世の街に見えたが、人間は実に古い昔から国家というものを維持するためのいくつもの機能を完備させている。

 中世にエージェント? そんなのいるの? なんて俺もアネラさんの言葉を聞く前に同じ思考にたどり着いたかもしれないが、よく考えたら、科学は発展しているが、国家にまつわるものは昔からそんなに変わっていない。


 日本人なら一度は『公安エージェント』という言葉を耳にすることはあるが、実際どこに行けば会えるの? なんて聞かれても困る。

 そんなまことしやかな存在をアネラさんは肯定したんだ!


「そこまでは言ってませんよ?」

「とりあえず、俺の平和を返してください」


 中世みたいなアネラさんの世界にもエージェントの概念がいた。これは、高度に進化した現代にもエージェントがいるということではないのか……。

 俺の知らないところで、実は戦いが繰り広げられているかもしれないという残酷な真実を、アネラさんは俺に突きつけたんだ……。


「えっとね、確かにそれでいいんだけど……」


 気づいたら、アネラさんのほうに差し出した手の上に、彼女は自らのたわわな果実を載せてくれた。

 確かにおっぱいは平和の象徴ってよく言うけど、これじゃまるで……。


「よく分かりませんが、その長い話も私に胸を差し出させるためのフェイクですね!」

「違う!! すべての人間がお前の胸を揉むために活動しているわけではない!!」

「いやんっ♡」


 全ての人間がアネラさんのおっぱいを中心に動いているわけではないことを、彼女はまだ知らない。

 まさか俺がアネラさんにおっぱいマッサージマシーンだと誤解されているとはね、実に残念だ。


 深夜もちろん日本時間でだまでに勉強していた男子高校生がおっぱいマッサージマシーンなわけがなかろう。

 ほかの男子高校生が別の勉強している最中に、こっちは苦手な数学と苦戦してるんだぞ?


 ちなみに、俺はほんとにエージェントの存在なんて知りたくなかったよ?

 ほら、幽霊とか、他の人がその言葉を口にするとほんとに存在するかもしれないと思うだろう?


 平和慣れしている日本人である俺にとって、幽霊もエージェントも普通に怖い。


「ところでさ、お前……」

「私には立派なミドルネームHが―――」

「やめろ!! こんな可愛くないやり取りの存在も知りたくなかった!!」


 漫画でよく見かける、「お前ってさ、〇〇〇〇※ご想像にお任せしますなんだね」「お前じゃないもん! 私には彩花※実在の人物とは関係ありませんという名前があるもん!」のような可愛いやり取りが、どうしてアネラさんのことになると、こんな下ネタにしか聞こえないようなものに成り下がるんだよ……。

 というか、なんでミドルネームのほうなの? 


 Hエイチか? Hエイチって呼んで欲しいのか?

 アネラさんもコードネームが欲しいのか?


「コホン」


 咳払いを一つ挟んで、質問を再開する。

 今までの状況はとてもじゃないが、まともな話ができる空気じゃない。


「お前ってさ、この間なんで急にいなくなったの?」

「それは……秘密ですね」


 視線を彷徨わせながら言いかけて、アネラさんは急に俺のほうを見つめてきた。

 水色の瞳が少しいたずらっぽい輝きを放ち、ラベンダーの香りが目の前にいる銀色の髪をした異世界の姫様の再訪を実感させてくれる。


 きっと、何かを思い出して、アネラさんはあの日帰ったのだろう。それもよほどのことに違いない。

 彼女がこうやって何事もなかったのようにまた俺の部屋にやってきたのが何よりの証拠だ。


 よかった……嫌われていなかった……。


 この数日間アネラさんが何をしていたのか気になるが、さすがに俺のいないところでも、俺がいらっとするようなことをしでかしたりはしないだろう。


 それに、女の子の秘密をしつこく聞くのは嫌われるし、ここはこれで納得しよう。

 数学と英語はだめだが、国語コミュニケーションの点数はそれなりにいいんだから。

 

「ところで、しゅん」

「なに?」

「ランチェーラさんの続きが気になります!」

「感動の再会よりエロゲを優先させるな!!」

「いやんっ♡」


 いらっとしたので、ちょうど手元にある果実に再び制裁を下した。


―――――――――――――――――――――

手の調子が回復したので、無理のない範囲で連載を再開しようと思います!

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☆が800を超えたので、第9話を更新しました!!また☆が900をも超えたので、第10話の執筆にとりかかりますので、しばらくお待ち頂ければと思います!!


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