みたはる
二十三
第1話
『どないしたんや、
「おばあちゃん、あの人形が……ずっとぼくのことみたはる」
『なんも見てはらへんよ』
「こわい。こっちみたはる」
『だいじょぶや、みてはらへん』
「みたはる……みたはる」
♦︎
母から祖母の訃報を知らされた俺は、五年ぶりに京都へ戻った。
新幹線で品川駅から約二時間。疲れていたので倒れるようにタクシーに乗り、行き先を告げた。
運転手は慣れた手付きでナビゲーションに登録すると、愛想もなく車を走らせた。
久しぶりに見る京都の景色は、ずいぶんと様変わりしていた。
十年前、こぞって洋風に建て替えられたアパートは、和風ゲストハウスに建て替わっていた。外国人受けを狙ってのことだが、もともと古民家だったのを洋風に建て替え、また手をかけて和風に戻すなんて、なんだか勿体無い気がする。そんな、インバウンド客に振り回されたビジネスも、今では閑古鳥が鳴いて、ゲストハウスには通常のありきたりな賃貸募集の看板が掲げられていた。
学生時代に通っていたジムは、デイケアサービスの事務所に変わり、高齢者のシルバーカーが、餌を欲する池の鯉のように集まって入口を塞いでいる。
そういえば、俺の祖母はシルバーカーだけは絶対に使いたくないと顔を顰めていた。
「あんな年寄りが使うもん、恥ずかしいて」
祖母は、殊のほか世間体を気にする性格だったのを覚えている。
タクシーは西大路通、金閣寺を左手に北へ上っていく。
リゾート庭園を右手に、さらに北上すると古い屋敷が現れた。俺の家だ。五年ぶりなのに懐かしい感じはしなかった。
釣りはいらないと運転手に答えてタクシーを降りた。
季節は七月上旬。京都駅付近はうだるほど蒸し暑かったのに、冷たい外気が額をなでる。まるで避暑地に瞬間移動したような気分だった。
左手には紙屋川が流れていて、チロチロと耳をくすぐる音。昔は夜になると、たくさんの蛍が飛んでいたが、今はどうなのだろうか。
子供の頃、この川でよく遊んでいたなぁと思い出しながら、ふと、奇妙な感覚に襲われた。一緒に遊んでいたのは誰だっけか。
思い出そうとしても浮かんでこないので、諦めて家の玄関へ向かった。 代わり映えしない古い家。去年の台風で屋根は瓦が剥がれ、ブルーシートが敷かれたままだ。
それがグーグルの衛星地図に載って、恥ずかしいから早く修復してほしいと母に言ったが、「雨漏りしてへんのやし別にええやん」と平然と返された。
母は祖母と違って世間体をまったく気にしない。世間体だけではない、身の回りについても無頓着だ。反面教師というのだろうか。俺はどちらかというと祖母の方に似て、隔世遺伝のようだ。
玄関の引き戸をガラリと開いた。
叔母の悦子が、屈託のない笑顔で迎えでてくれた。
実の母が亡くなったのだから、落ち込んでいるかと思ったが、相変わらずの元気な口調でほっとした。
「まーちゃん、待ってたで。はよ上がり。お母さんも待ったはるし」
俺は叔母に急かされるまま靴を脱ぎ、座敷へ向かった。
目に飛び込んできたのは母でも親戚でもなく、白い塊になった祖母だった。
玄関を開いてすぐ横に祖母の部屋はあった。四畳半の小さな和室。半分開いた障子から、祖母の透いた白い頭髪が覗いた。
顔には、布が被せられている。
当たり前だが、息をしていないから、布はぴたりと顔面に張り付いて微動だにしない。
部屋の前で茫然と突っ立っていると、背後から母の声が聞こえた。
「大紀。黙ってつっ立ってんと、はよ、おばあちゃんに会ったってや」
死んでいるのに「会ったって」なんて変な感じだ。
部屋へ入ると、無意識に視線がタンスに止まった。
祖母が趣味で集めていたアンティーク箪笥の上に、それはあった。
子供の頃のまま同じ場所に鎮座しているそれを見た瞬間、ぞくっと背中に悪寒が走った。
額に脂汗がにじんで、喉が一気に乾いた。唾を飲み込もうとしたがうまくいかず、一瞬、軽い窒息のような症状になった。
「あの人形、まだおるんや……」
旅行とアンティークが趣味だった祖母は、旅先で集めた物で部屋の中を埋め尽くした。同居する母が文句を言おうが、祖母は聞く耳を持たなかった。
四畳半の小さな部屋は、アンティークの小物や人形で溢れかえっていた。
アンティーク人形は、どこか薄気味悪い。
青い瞳のフランス人形も、目が異様に中央に寄っているヨーロッパのビスクドールも、近寄りたくないくらい不気味だ。
中でも一番は、着物姿が古めかしい和風の市松人形。
祖母が特に大切にしていて、どこへ行くにも連れていた市松人形は、陰鬱なオーラを漂わせた。
「市松はん」
祖母はそう呼んでいた。
俺はその響きが、苦手だった。
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