時渡りの考証者

かける

第1話(1) 江戸時代


 朝方ちらついた雪も積もらずにやみ、江戸の空は清々しいほどの晴天だった。青い空に白い雲、そこに新春のまだ冷たい風を受け、ちらほらと、鮮やかな凧があがっている。

 年末の気忙しさが過ぎた町は、せっかち者が多いとはいえ、どこかいつもよりはのんびりと見えた。


 だが、そんな空気の中、せかせかと足早に通りを行き過ぎる影があった。髷や鬢を作りもせず、黒髪を簡易に高くひとつにくくっている。珍しい髪形だが、それ以上に、漆塗りのような艶めく美しさが目を引いた。大きな瞳が印象的な顔は幼げな造形で、小柄な背丈もあいまって、少女の齢にも見える。しかし、そのわりには大人びた風情があった。

 それもそのはず、みおは今年二十を迎える。どの時代であろうと、子供とはいわない齢である。


 かっかと怒り露なふくれっつらは、初春の華やぐ冷気がぬくまるのではないかと錯覚しそうだ。すれ違った鳶たちが、「可愛い顔が台無しだよ」などと、声をかけていくが、愛想のひとつもふりまかず、澪はずんずんと、賑わう店が並ぶ大通りを抜けていった。

 そして橋の袂。目的地の茶屋で、見つけた探し人に盛大に眉を吊り上げる。

「こんなところでまた油売ってるんですか」

 格子模様の藍の小袖が、肘までまくり上がるのではという剣幕で、腰に手をやり仁王立つ。

 けれどその険しい視線の先の人物は堪えた様子なく、へらりと締まりのない笑顔を浮かべた。


「油売ってるんじゃないよ、団子買ってるんだ」

「屁理屈を言わない!」

 左右に女の子を侍らせて、茶屋の看板娘も交えて睦まじげに談笑していた男の脇の盆の中には、すでに団子の影も形もない。目的が団子か彼女たちか、どちらなのかなど明白だ。

 組んだ足の長さから、座っていても分かる、すらりと高い背丈。桜鼠色の着流しに、月代を剃らぬ総髪で、後ろに結び流した黒髪が縁台の上にまで流れかかっている。切れ長な双眸は涼しげで、整った眉や鼻筋もすっきりと、見目整った青年だった。彼を囲む愛らしい娘たちすらも霞むほどだ。

 しかしその華ある端正な顔立ちが、澪にはどうにも憎々しい。

 こんなところで、呑気に茶呑み話に興じている暇は、澪にも彼にもないはずなのだ。


孝史郎こうしろうさん、お澪ちゃん怒ってるよ」

「大丈夫って言ってたのに~。嘘つかないの」

「妹ちゃん困らせちゃ駄目よ?」

 取り巻く娘たちが非難めいた言葉を、しかし甘い声音で告げる。それに、「平気平気、いつものことだから」とへらへら相好を崩す色男の耳を、澪は思いっきり引っ張り上げた。

「帰りますよ、。お仕事です。お辰さん、これ、持って帰りますね」

「いいよ~、でも優しくしてあげてね~」

「そこは相談ですね」

 本人ではなく、茶屋の看板娘へ許可をもらって、「痛い痛い」と泣き言をこぼす青年を澪はぐいぐい引きずっていった。

 ふたりの影はみるみる通りの向こうに小さくなり、風の巻き上げる砂埃に霞んで見えなくなる。

 残念ね、と、娘たちと色男の撤退を惜しみながら、ふと辰は、雀のような愛らしい仕草で小首を傾げた。

「そういえば、孝史郎さんのお仕事って、なんなのかしら?」




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