『Ms.ライトの幻灯館《マジック・ランタン・ミュージアム》—霊媒の水晶宮—』

ワカレノハジメ

『Ms.ライトの幻灯館《マジック・ランタン・ミュージアム》—霊媒の水晶宮—』

『Ms.ライトの幻灯館マジック・ランタン・ミュージアム—霊媒の水晶宮—』


 序


 シェリングフォード・ホープはヨークシャー地方の貴族の長男として生まれ、子どもの頃は身体が弱く、ベッドの上で過ごす事が多かった。


 父親は無口で顔を合わせても挨拶ぐらいしか交わさず、母親は神経質でいつも部屋に閉じこもっていたから顔すら見る事はなかった。


 ホープにとって、両親の存在は希薄だった。


 代わりに使用人が世話をしてくれていたが、彼らも機械的に働くばかりで存在感はなかった。


 ホープは寄宿舎学校に進んでも、友だちはできなかった。


 病弱だった為に、毎日、一人で読書をしたり、物思いに耽っていたからである。


 ある日、母親が亡くなったという報せが届いたが、母親は見る度に痩せていたので、驚きはなかった。


 父親も母親が亡くなってから間もなく、まるで後を追うようにして流行病にかかって死んだ。


 だが、ホープは子どもの頃から、二人を幽霊のような存在だと感じていたから、実感が湧かなかった。


 ホープの元に残されたのは、莫大な遺産だけ——まだ若かったホープの代わりに、財産の管理をしてくれたのは、後見人である従兄弟の伯爵だった。


 ホープはやがて成人し、財産を自分のものとした。


 その年、高名な科学者であるウィリアム・クルックス博士が、〝霊媒の王者〟と呼ばれていたダニエル・ダングラス・ホームを被験者として、彼が起こす心霊現象の実験を行い、『ホームの心霊現象にはトリックの片鱗すら見出せなかった』、と発表した。


 だがホープは、この世に心霊現象が存在する事が科学的に証明されるような世の中になったとしても、特にやりたい事もなければ、やらなければならない事もなかった。


 働かずとも楽に暮らせるだけのお金はあっても、他に何もない退屈な日々を過ごしていたが、ある日、今まで財産を管理してもらった義理もあり、伯爵に誘われるまま、彼のカントリー・ハウスで開催された晩餐会に出席した。


 晩餐会では貴族の老人達が先祖の武勇伝を自慢し合い、老婆の群れが家系を遡り血筋を競い合っていて、ホープは何度か参加しただけで、亡霊のような集まりに嫌気が差して、伯爵と距離を置く事にした。


 そして、ロンドンのタウン・ハウスに住まいを移してからは、同世代の貴族の若者達と付き合う事にした。


 彼らは有り余るお金と時間に物を言わせて、美食、色事、賭け事と、放蕩の限りを尽くしていたが、創造性がなかったので、ホープは退屈に感じ、いつしか彼らから離れる事にした。


 芸術家や作家が集まるクラブに後援者として出入りし始めたが、そこにもまた欲するものはなかった。


 クラブの話題と言えば、自分がどれだけ上等な人間か、その証拠にどれぐらい作品が高く売れたのか、作品の内実とはかけ離れた、俗悪で低劣なものばかりだったのである。


 巷で流行りの交霊会にも興味本位から参加してみたが、〝霊媒の王者〟ならともかく、その辺にいる霊媒は子ども騙しの類、インチキにしか思えなかったし、そんなものに感心している参加者も間抜けにしか見えなかった。


 ただ、交霊会に参加した後、インチキ霊媒のやり口を研究し、自宅で再現する事はいい暇潰しになった。


 そのうち交霊会にも飽きてきて、娼館に入り浸り、阿片に耽溺し、この世の憂さを晴らそうとしたが、しばらくすると、それにも飽きてしまった。


 ——何かが足りない。


 だから、つまらない。


 街を出歩くだけでも、人々の喧騒に気が滅入った。


 中流階級の人間は我が物顔で路地を歩き、礼儀作法も弁えず、喫茶店の店主は、毎日、代わり映えのしない軽食を平気で出し、小売店の店主も、飽きもせず、同じものを売っている。


 乞食は小金欲しさにどこかで拾ってきた腐った生肉を顔や手足に括り付け哀れな怪我人を装い、自尊心を満たしたい偽善者を騙そうとしていた。


 どこに行っても誰と会っても退屈でしかないし、倦怠感を覚えた。


 ——いったい、どうすれば、何があれば、満足できるのだろうか?


 今の時代は、科学万能が謳われ、道徳、勤勉、労働が尊重された。


 道徳心から、不祥事、醜聞が嫌われ、慈善事業が行われ、勤勉、労働は、富と繁栄の原動力となり、イギリスは『世界の工場』と呼ばれた。


 だが、大英帝国は栄華を極めているようでも、貧富の差は広がるばかりだった。


 子ども達は学校で勉強しようにも働きに行かなくては暮らしていけなかったし、街中では大っぴらに売春が横行していた。


 貴族は依然として特権階級の地位にあったものの、商売で成功した中流階級が台頭し、権威に陰りが見え始めていた。


 その中流階級も経済的に成功し何をするのかと言えば、大きな屋敷に住み、豪華な馬車に乗り、社交界に入ってと、貴族の生活を真似する事に一生懸命だった。


 科学の分野では霊媒が起こす心霊現象が事実だと立証されたが全容は未だ解明できず、巷には本物とも偽物ともつかない、自称、霊媒が溢れ返っていた。


 世紀末——世界は何もかもあやふやで、どこにも実体はなかった。


 ホープは全てが煩わしくなり、生まれ故郷であるヨークシャーのカントリー・ハウスに引きこもった。


 誰とも顔を合わせたくなかったし、言葉も交わしたくなかったので、使用人に食事や着替えの準備を頼む時も、予め決めておいた鈴の音を使い分ける事で済ませた。


 子どもの頃と同じく、毎日、誰とも会わず、書斎で読書をしたり、物思いに耽ったり、天気がいい日は、散歩に出かけたり、川で釣りを楽しんだ。


 一人で過ごしていた方が、よほど気楽だったし、第一、不愉快な事がなかった。


 ある朝、窓の外を見てみると、雨が降っていた。

 朝食の準備をするようにという意味の鈴の音を鳴らし、食堂に向かう。


 今日は朝食を食べた後は、書斎に引きこもっていようと思った。


 一人で使うには広すぎる食堂の、やはり一人で使うには大きすぎる食卓には、いつもと同じ献立である、トーストしたパン一枚、半熟卵二個、それにお茶が並んでいるはずだった。


 ホープは食堂に着くと、我が目を疑った。


 なぜか——そこにはいつもと同じ朝食が準備されていたが、先客がいたのである。


 食卓の両端に向かい合わせに座っていたのは、死んだはずの両親だった。


 ホープが唖然としていると、窓は閉め切られて、風も吹いていないのに、突然、カーテンが揺れたかと思えば、今度は地震でもないのに、テーブルがガタガタと音を立てて動き始めたではないか。


騒霊ポルターガイスト現象』、である。


 おはよう。

 こんにちは。

 お休みなさい。


 おはよう。

 こんにちは。

 お休みなさい。


 おはよう——


 ホープが困惑し立ち尽くしていると、両親は壊れた蓄音機のように喋り出したが、二人の口元は少しも動いていなかった。


「幽霊、か?」


 もっとそばでよく見てみようと思い、両親に近付こうとした瞬間、二人は煙のように消えた。


 ホープは幽霊となって再び姿を現した両親の姿を探して、朝食も食べずに屋敷中を歩き回り、次々と部屋の扉を開けては、久しく主人の顔を見ていなかった使用人達を驚かせた。


 別に、両親でなくてもよかった。


 この屋敷のどこかに、他にも幽霊がいるんじゃないか、と期待をしたのである。


 ——面白い事になってきたぞ!


 ホープは自分が霊能力に目覚めた事に、霊媒になった事に、興奮を覚えていた。


 その後も何度も両親の姿を目の当たりにして、『騒霊現象』に出くわし、霊能力についてもっとよく知りたいと思った。


 手始めに莫大な財産を利用し、イギリス中から古今東西の神秘主義や錬金術の資料をかき集め、寝る間も惜しんで読み漁った。


 今までは領地に引きこもっていたが、『社交季節・シーズン』になるとロンドンに滞在し、どこぞで交霊会が開かれると知れば足繁く出かけた。


 ホープは霊媒になって初めて気付いた——『霧の街』と言われるそこは、幽霊都市とも言える神秘的な場所だという事に。

 なぜなら、ロンドンのあちこちに青白い炎——伝承にある、『鬼火ウィル・オー・ウィスプ』を思わせる、〝人魂〟が彷徨っていたからである。


 自称、『霊媒』の、奇術師や詐欺師ではない、本物の霊媒の目には、〝人魂〟が見えていたし、彼らは街を彷徨う〝人魂〟を、見た目通り〈鬼火〉と呼んで、本物の霊媒か否かを見極める試金石としていた。


 ホープは様々な霊媒と出会い、自分自身もそうだったが、基本的には霊媒は心霊現象を目にする事ができる『霊視』と、幽霊を憑依させて想いを他人に伝える『口寄せ』を能力として持っている事を知った。


 領地に戻り、屋敷の一室に錬金術師の実験室を思わせる特別な部屋を設け、心霊現象を理解する為に様々な研究を行った。


 使用人達は得体の知れない研究を薄気味悪がって、一人、また一人と辞め、最後には誰もいなくなった。


 ホープは気にする事なく、むしろ人目がなくなった事で、ますます研究に打ち込んだ。


 以前とは比べ物にならないぐらい、刺激的で面白みがある生活を送っていた。


 一八七四年、かの有名なクルックス博士が、フローレンス・クックという女性の霊媒について研究し、『幽霊の存在を確認した』、と発表。


 ホープは同じ年、自分の研究室で、幽霊というのは死んだ者がこの世に残した想い——〈残留思念〉の産物だと結論付けた。


 例えば、〈残留思念〉が悪意や憎しみなら、いわゆる、悪霊となり、好意や優しさならば、守護霊の役割を果たす事になる。


 気持ちや想いという思念の産物だから、生き霊というのもあり得る。


 想いの強弱によっては、普通の人間の目に見える事もあれば、触る事もできる。


 ホープは研究を発展させ、十六世紀の錬金術師ジョン・ディーが、同じく錬金術師だったエドワード・ケリーとともに、『遠隔透視』で天使と交信する際に利用したという、『水晶球シューストーン』を手に入れ、複製を製造、〈水晶球シューストーン幽霊・ゴースト』を創造した。

 かつて錬金術師は『人造人間ホムンクルス』を作ったと言うが、ホープが作ったそれは、平たく言えば、人工の幽霊だった。


〈水晶球の幽霊〉はロンドンの街を彷徨う〈鬼火〉とそっくりな青白い炎であり、目を凝らすと青白い炎の中に小さな水晶球が浮いているのが判る。


〈水晶球の幽霊〉は水晶球を通して使用者の目となり耳となり、遠く離れた場所で起きた出来事を中継する事ができた。


 ホープはロンドンの街に〈水晶球の幽霊〉を放ち、〈鬼火〉を装い有名な霊媒を監視、霊能力の情報収集をし、心霊現象の研究に役立てた。


〈水晶球の幽霊〉は己の中枢である小さな水晶球の中に、〈残留思念〉を取り込んで運搬できるように作られ、殺害された者、病死した者、餓死した者、自殺した者といった死者達から、欲望の塊である〈残留思念〉を集め続けた。


 人口が増えた分、死者も増加していたから、〈残留思念〉に困る事はなかった。


 一般に知られている心霊学よりも一歩も二歩も先を行っていたホープは、〈残留思念〉を集めて何をしようとしていたのか?


 虚栄と見栄、イカサマとまやかしだらけの世界に飽き飽きとした青年は、自分の領地に霊媒ならではの理想の庭園を作るつもりだった。


 ——霊媒にしか作れない楽園だ!


 老いも病いもなく、食べるのにも困らない、楽園。


 ——霊媒の楽園を、小宇宙の庭園を、野生の美しさや原初の力強さを持った完璧な世界を、この手で必ず作り上げるのだ!


 ホープはロンドンのハイド・パークで開催された万国博覧会の会場、『水晶宮クリスタル・パレス』を模した建築物を、〈水晶球の幽霊〉を総動員して庭園の景観を特徴付けるものとして建てた。


 ヨークシャーの曇天の下、荒涼とした大地に建てられたのは、三千三百本の鉄柱によって組み上げられ、三十万枚の硝子が張り巡らされた、芸術作品のように美しい巨大な建物である。


 ホープはこれを『霊媒ミディアム水晶宮・クリスタル・パレス』と呼んだ。


『霊媒の水晶宮』には、〈残留思念〉を充填した〈水晶球の幽霊〉が、常に一〇八体、浮遊し、人間の代わりに、ウィンター・ガーデン、コンサート・ホール、植物園、博物館、美術館、催事場などなど、運営していたが、特筆すべきはそこではなかった。


『霊媒の水晶宮』に使われている資材の硝子には、〈水晶球の幽霊〉に使用されているものと同じ水晶が混ぜられ、会場の中央に位置する『噴水広場』の中心部である噴水器にも同じく巨大な水晶球を使用し、これらは霊能力の増幅器の機能も持っていた。


 そう、霊媒が〈水晶球の幽霊〉に充填された〈残留思念〉を利用すれば、会場と噴水の水晶が思念を増幅、強化し、神にも等しい力を得る事になるのだ。


 例えば餓死した者の〝たらふく食べたい〟という〈残留思念〉を利用すれば、自分が食べた事があるものなら、どんな異国の食べ物だろうと作り出す事ができるし、或いは、病死した者の〝健康になりたい〟という〈残留思念〉を利用すれば、病気を治す事もできる。


『霊媒の水晶宮』は、まるで林檎の木がいつでもたわわに実り、食べても生き返る豚、飲んでも尽きない『エール』があるとされる、『常若ティル・ナ・ノーグ』のようだった。


 ホープは毎日のように広場の長椅子に腰掛けてはお腹が空けば〈残留思念〉を使って贅沢極まりない食事や酒を楽しみ、『噴水広場』の噴水に映るロンドンの街の喧騒を、見世物を、さながら神が下界を見渡すように眺めて過ごした。


『噴水広場』の噴水器から一定周期で噴き出す水はシャンデリアのように煌めき、周囲に霧散したそれは光り輝く透き通った幕のようだった。


 ホープが命じれば噴水の映写幕には、〈水晶球の幽霊〉を通してロンドンの街が隅々まで映し出された。


 だが、いつしか、また退屈を感じるようになっていた。


 ホープはそこで、『水晶球スクライアーの透視者クラブ』を作る事にした。


 クラブの入会資格は、もちろん、霊媒である事。

 活動の目的は、霊媒同士の社交を通して、霊能力について見識を深める事。


 活動の内容は、メンバー同士で霊媒や霊能力について情報交換したり、霊能力について見識を深める為に、霊媒ならではの娯楽に興じる事。


 クラブ・ハウスは『霊媒の水晶宮』としたが、領地に誰か招くつもりはなかったし、所在地を教えるつもりもなかった。


 そもそも、最初から他人を正規メンバーにするつもりはなかった。


 ただ、正規メンバーへの昇格と、それに付随するクラブ・ハウスの使用権を餌に、他の霊媒を無聊の慰みに利用しようと考え、形ばかりのクラブを設立したのである。


 ホープは思い付いたが吉日とばかりに、早速、〈水晶球の幽霊〉を使い、ロンドンで目ぼしい霊媒を見つけ、自分の正体は明かさず、〝水晶球スクライアーの透視者〟を名乗り、彼、彼女を勧誘すると、準メンバーとして、霊媒ならではの娯楽を企画させた。


 そして、現地に放った〈水晶球の幽霊〉を使って、『噴水広場』の噴水に映る準メンバーが催す娯楽行事を楽しんだ。


 どれもこれも準メンバーが趣向を凝らした、霊媒でなければできない、珍しい催し物ばかりだった。


 ホープは今度こそ自分が願っていた、創造性があって、刺激的で、面白い毎日を過ごす事ができるかも知れない、と思った。


 が、霊媒である準メンバーが企画する娯楽行事には、当然の如く、〈残留思念〉が必要だった。


 しかも、企画に応じた、ある種の特別な〈残留思念〉が……それを手に入れる為には、誰かに、この世に何らかの想いを残させるしかない。


 つまりは、誰かを殺すしかなかった。


 そうして、ホープも、クラブの準メンバーも、己の飽くなき欲望の為に、他人の命を奪い、弄んだ。


 だが、


 ——まだ何かが足りない!


 まだ満足できない、どこかつまらない。


——だから、もっと、もっとだ……!


 ホープは突然、目の前に姿を現した両親の事など、最早、顧みる事はなかった。


 彼の両親は死して尚、今もまだ屋敷に住んでいるというのに、なぜ、目の前に現れたのか、これっぽっちも気にする事はなかった。


 おはよう。

 こんにちは。

 お休みなさい——

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