『楽園案内人 劉子驥』
ワカレノハジメ
『楽園案内人 劉子驥』 序①
序①
子驥はまだ甘えたい盛りの頃に寂しい思いをしたが、父親の商売はうまくいっていたし、家には使用人がいたので、生活に不自由する事はなかった。
十七歳の時、父親が突然、亡くなり、母親も容体が急変し、この世を去る。
——独りぼっちか。
いや、両親が亡くなっても、何も変わらない。
——俺は最初から独りぼっちだったな……何の思い出もなければ、これと言って記憶もない。
子驥には両親との思い出らしい思い出はなく、一家団欒の記憶というのも覚えがない。
とは言え、父親はしばらく働かなくても食べるのに困らないぐらいの財産を遺してくれたし、屋敷の管理や面倒を見てくれる使用人はたくさんいる。
——でも、いくらお金があって、使用人がいたとしても、何もない、誰もいないようなものだ。
子驥は両親を亡くした事をきっかけにして、自分の人生が空っぽだったという事に気が付いた。
それならと、いっそ使用人には暇を出して、本当に一人っきりになって、屋敷に引き篭もる事にした。
子どもの頃から両親に構ってもらえないままに死に別れた事で、なぜ、自分がこの世に生まれたのか、いったい、何の為に生きているのか、実感がなく、気持ちの整理が付かなかった。
——ここじゃないどこかに行きたい。
子驥の父親は気付いた時には神仙思想に傾倒し、不治の病に冒された母親を助けたい一心で、不老不死の仙人になれるという秘薬、〈金丹〉を探し求めて、申国各地を旅して回っていた。
父親はいわゆる、〝小神仙〟だったのである。
神仙思想は不老不死の仙人と彼らが住む天上の楽園の存在を信じ、普通の人間も神仙修行の末に仙人になれば身体に羽を生やし、天に昇る事ができるという思想である。
それでは不老不死の仙人になり身体に羽を生やして天に昇る——すなわち、『羽化登仙』する為には、何をすればいいのか?
『長生不死、修道成仙』——長生を保ち死ぬ事なく、修行の後に仙人になるのである。
かつて『羽化登仙』を目的として神仙修行する者は『方士』と呼ばれ、方士は、卜筮、医術、煉丹術を始めとした、方術を研究した。
昔から神仙修行と言えば方術——特に、煉丹術について学ぶ。
煉丹術は、〈金丹〉を作る術である。
歴代の皇帝も不老不死にならんとして、申国各地から方士を呼び集め、煉丹術を研究させたという。
時を経た今も神仙思想は根強く、仙人の伝説は申国各地に残っている。
〝申国四千年の神秘〟と言われる、方術や気功といった不思議な力を意のままに操る者達も実際にいる。
〝小神仙〟、である。
〝小神仙〟は数こそ少ないが、普通の人々と同じように暮らし、神仙修行を公にしている者もいれば、秘密にしている者、善意から方術や気功を用いて世の役に立とうとする者、私利私欲の為に悪事に用いる者もいた。
世間の人々の反応も、尊敬の念を向けたり、好奇の目で見たり、警戒心を露わにし、忌み嫌ったりと、色々である。
いつの頃からか私利私欲の為に方術や気功を悪用する者は〝虎〟と呼ばれ、人々から敬遠されていた。
〝虎〟は病気や怪我に苦しむ人々に怪しげな手かざし治療を施し、高額な代金を要求し、大して効果がないお札や、何か副作用がある薬品を、やはり高値で売りつけた。
子驥の父親もこれはと思った漢方医や薬屋から〈金丹〉を買い求め、妻に服用させていたが、一向に治る気配はなかった。
残念ながら〝虎〟に引っ掛かった子驥の父親は、今度は自分の手で〈金丹〉を作ろうと、材料となる金石草木を買い集め、煉丹術に取り組んだ。
自分の力で〈金丹〉を完成させて妻の病を治すだけでなく、家族みんなで『羽化登仙』をするつもりだった。
『私はこんな病や死や老い、苦しみがある世界には、もううんざりしているんだ。ここじゃないどこかに行きたいんだよ』
子驥の父親は護身術として申国武術の『八卦掌』を子驥に教えている時、よくそんな事を言っていた。
『お母さんと一緒に仙人になって、みんなで神仙境で暮らそう』
これも口癖のように言い、日々、煉丹術の研究に勤しんでいた。
『うん! でも、〝虎〟には気を付けないとね』
子驥は素直に頷いたが、〝虎〟に騙される事を心配した。
神仙道において宇宙は〝気〟によって成り立っているとされ、人間も〝気〟によって成り立つ小宇宙だと言われている。
人間は〝気〟が乱れた時、病に罹り、〝気〟を全て失った時、死ぬ。
それ故、〝気〟を永遠のものにする事ができれば不老不死の仙人になれると、世の〝小神仙〟はこぞって煉丹術に取り組んでいた。
煉丹術で作り上げた〈金丹〉を服用すればそれだけで天に昇る事ができるという者もいれば、煉丹術だけでなく内丹術も行わなければならないという者もいた。
この世界のどこかにあるという神仙境に行き、そこに住む仙人から〈金丹〉を授かれば天に昇る事ができるという者もいて、神仙修行や煉丹術の方法は人によって違う。
その人によって違うからこそ、〝虎〟と呼ばれる詐欺師のような輩が存在するのである。
子驥は父親が神仙思想に取り憑かれた時も、〝虎〟に騙され詐欺に遭うのではないかと心配し、〝小神仙〟となった時も、煉丹術の研究が徒労に終わるのではないかと危惧した。
現実は思っていたよりも悲惨な結末を迎える事になるのだが——。
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