殺し屋

半チャーハン

殺し屋

 思えば、俺は今まであまり人間らしいと言われる時間を過ごしてこなかった。


 目の前には、どこまでも続いていそうな広大な海が広がっている。俺はサラサラとした砂で埋め尽くされた海岸を裸足で踏みしめながら、ゆっくりと歩を進めた。




 名立たる殺し屋一門「風間」。俺はその一族の一人息子として生まれた。


 幼い頃から人を殺す技術を叩き込まれた俺は、成人する頃には一人前の殺し屋として、依頼を受けながら色々な町を渡り歩いていた。


 学校に行かず、友達も作らず、殺しに必要のない勉強などもしてこなかった俺は、人を殺すことだけを考え生きてきた。



  変革が訪れたのは、三十五になった頃。俺の前に、一人の女が現れた。


 美沙希と名乗るその女は、ひと仕事終え、茶屋で休憩していた俺に声を掛けてきた。


 最初はいきなり話しかけてきた彼女を訝しんだものだが、美沙希は明るくよく話す奴で、次第にそんな疑念は美沙希の快活な笑顔によって溶かされていった。


  美沙希のことが気になって気になって仕方がなくて、殺しの仕事も手につかなくなってきた頃、それが一目惚れだと知った。


 俺は、毎日その茶屋へと通った。俺が茶屋の暖簾を潜ると、いつも店の奥の席には美沙希が座っていて、『あら、高蔵さん』と笑いかけてくるのだった。


 毎日、彼女と他愛のない話で笑い合う。それは俺にとってかけがえのない時間だった。


 そんな日々を続けているうち、美沙希のことが前にも増してたまらなく魅力的に見えてきて、気がついたら「好きだ」と伝えていた。


 美沙希は一瞬驚いた様に目を見開いた後、「私もよ」と恥ずかしそうに笑った。




 俺は今、殺し屋という身分を捨てて、この場所に立っている。


 このまま殺しを続けていたら、いつか美沙希を巻き込んでしまうことがあるかもしれないから。殺し屋というのは、それくらい危険な仕事だ。


 美沙希に、自分が殺し屋だということも伝えていない。人殺しだと忌避されたくないという、臆病な理由が入り混じっていた。


 少し冷たくなってきた風が、俺の髪をバサバサと弄ぶ。


「高蔵さーん」


 やがて、美沙希が手を振りながら俺の元へやってきた。海風に、艶やかな長い黒髪がなびく。今日は、美沙希と海辺を散歩しようと約束していた。


 茜色の夕日が、空を、海を、浜辺を、俺たちを照らす。


 燃やし尽くされそうな真っ赤な色に染まる世界は、まるで世界の終わりのような、狂気をはらんだ美しさをたたえていた。


「高蔵さん……」


 美沙希が、首を傾げてそっと微笑む。夕日に赤く照らされたその笑顔が、堪らなく愛しい。


「美沙希、おいで」


 故に俺は、両手を広げる。美沙希をこの手で抱きしめるために。彼女を直接感じたい。髪の香りを、肌の温もりを。お互い好き合う仲というのは、こういうこともするんだろう。


 しかし、美沙希が俺に一歩近づいた瞬間、激しい痛みが襲ってきた。腹から血が吹き出す。俺は、信じられない心地で美沙希を見た。


「みさ……き……」


 彼女の手には、血の付いた小刀が握られている。それでも尚、俺は状況を理解出来ない。理解したくもない。


「アッハハハハハハハハハハハハハハ!」


 美沙希は、今まで聞いたこともない高らかな声で笑いだした。整った顔は醜く歪み、目には涙が浮かんでいる。


「まだ気づかないの!?この人殺しが!!」


 彼女は、またも叫んだ。


「アンタが、アンタが……!私のお母さんを殺したのよ!!殺し屋だからって、人殺しを正当化して……。お母さんは、何にも悪いことしてないのに!一人で、私のこと必死に育ててくれていたのに!!」


 美沙希の悲痛な叫びが、俺の心に突き刺さる。ふと、彼女の顔がある女の顔と重なった。


 十年前、反政府組織へ情報提供していた美沙希に似た女を、確かに喉元を刺して殺した覚えがあった。


「ごめ……」


「ハア!?謝って済む話じゃないでしょう!!ただ私は、復讐がしたかっだけ。今更上っ面だけの謝罪を受けたところで、お母さんはもう帰ってこない!!」


 美沙希は、俺の腹から小刀を抜き取ると、今度は斜め上にもう一度深く突き刺す。彼女の憎しみが、鋭い刃物を通して伝わってくるようだった。


「ああ…………。きっと、私は罪に問われるんだろうなぁ。アンタの殺しは仕事として正当化されるのに、私の殺しはただの犯罪。でも、これでいいの。私は、アンタに復讐することだけを生き甲斐として、今まで生きてきたから。今更罪に問われたところで、どうってことない………」


 美沙希は力無く呟くと、また俺の腹から小刀を抜き取った。血が吹き出し、痛みと多量の出血のせいで、目眩がする。


 でも、俺にはやらなくてはいけないことがあった。


「次は急所を刺す」


 刃先は、真っ直ぐ俺に向けられている。


「さようなら」


 その呟きを聞くと同時に、俺は最後の力を振り絞って、美沙希を蹴り飛ばした。その衝撃で、また腹から血が吹き出す。


 意表を突かれた美沙希が2mくらい吹っ飛び、小刀を取り落とす。 俺はその小刀を拾うと、思いっきり自分の腹に突き刺した。


「うぐっ」


  美沙希を心配させないように心がけたのに、口から変な声が漏れ出てしまった。


「は………?」


 俺の奇行に、美沙希も呆気に取られている。俺は、小刀から手を離さないよう強く握りながら、ゆっくりと砂浜へ倒れていく。


 こうすれば、自殺だと誰もが思うだろう。


 俺は、美沙希のことを本気で愛している。腹を刺された今も、深い憎悪をぶつけられても、彼女を嫌いになることはできない。


 美沙希が俺のせいで罪に問われるというのは、どうしても耐えきれなかった。好きな人の幸せを願うのは、当然のことだろう。


 元はと言えば、彼女の母親を殺した俺が悪いわけだし。


 徐々に輪郭を失っていく世界を眺めながら、美沙希の滅茶苦茶な叫び声を聞く。


 俺は、つくづく誰かを傷つけることしかできないな、と思った。

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