第28話 それは父の言葉だったかもしれない
影の魔物事件から一年半が経った。
ヴェインは五歳になり、だいぶ目を離しても大丈夫になった。最近は紹介した冒険者を師事しつつ、毎日体を動かしている。
言葉も、時折、大人ぶった口調になるが、ほぼ問題なく話せるようになった。
多少、目を離しても大丈夫だろうと安心感をヴェインは身に着け、パーシルも日雇いの仕事に精を出せるようになった。
「シア、今日の依頼は完了したよ」
「はい、お疲れ様。……で、パーシル、あんたいつまでこんなことやっているのよ」
火ノ車亭で、いつも通り依頼報告をし、銅貨一枚を得たパーシルはシアに睨まれた。
パーシルはいまいちピンとこず、シアに何を言われたのかよくわからなかった。
「いつまで、とは? 何かやらかしてしまったか?」
「やらかしていないし、うちも儲かってるから、しばらく目をつぶっていたけどさ。魔の領域の調査依頼パーシル宛てにも来ているのよ」
この一年半で王国の技術は劇的に進歩した。
『赤い瘴気』と呼ばれていた瘴気の調査、解明、対策を各貴族が抱え込んでいる異世界転生者が知恵が出し合い、研究したのだ。
その際パーシルが手に入れたアイフィリア教団の資料と20年前の調査記録もひっぱりだされ、様々な実証実験が行われた。
その結果、赤い瘴気は、生物を変質させるが、魔術を行使できる者にはその変質に対して高い耐性をもつことが新たな発見として、公表された。
初級ながらも魔術が使えるパーシルはその一人というわけだった。
「それは光栄だけども、そういうのは軍がやるものではないか? 冒険者がでしゃばるようなことじゃないだろう」
「まったく、それはそうだけどさ。まあ、期限は特に言われていないし、保留ってことにしておくから、気が変わったら教えてよね」
「くれぐれもうちの店以外で受けないように」とシアに念を押されパーシルは苦笑いしながら、ヴェインの様子を見に行った。
最近のヴェインは冒険者のクリスと木刀で打ち合う事が日課になっていた。
本来はヴェインのことなので、パーシル自身が教えようと思っていた。
だが、以前やっていた日雇いの仕事が好評で、パーシルがティルスター王国に戻ってきてからというもの、それを聞きつけた住人達から様々な依頼が彼に舞い込み、その対応に追われることになってしまった。
結果パーシルは、クリスに依頼するという形で、ヴェインの相手をお願いすることにした。
「そこ、飛び込んだら迷わず振る!」
店から少し離れた広間で二人は木刀を打ち合わせていた。
まだまだクリスを追い詰めることはかなわないようで、ヴェインの振った木刀は、あっさりとクリスに防がれ、逆に軽く小突かれていた。
「痛っ!」
一度、距離を取り、仕切り直しとばかりヴェインが木刀を振りかぶる。
だが、上から下への大振りの一撃はクリスからしたらよく見える攻撃のようで、あっさり打ち払われた。
「おっと! ストップストップ!」
そこで、パーシルに気が付いたクリスが手を挙げ、一度打ち合いを止めた。
ヴェインも構えを解き、息を整え、パーシルに振り向く。
「パーシルさん、お疲れっす」
「……お疲れ、パーシル」
「結構、順調そうだな」
「ヴェインくん、マジ、理屈の飲み込みが早いっすね。逆に痛みに対して過剰に恐れているところがあるというか、殴る相手の事も心配しているような場面があって、いやー自分汚れているんだなって感じますねこれは」
「そうか、もしかしたらとは思っていたが、やっぱり……」
生まれて5年、ヴェインは反抗という反抗をしてこなかった。
意見を言うことはあるが、その殆どは自分のためではなく他人のためだ。
パーシルは、そんなヴェインを素直な子とは思わず、少し危なげすらも感じていた。
「ヴェイン、少し打ち合おうか。……クリス、木刀ちょっと借りていいか」
「どぞっす」
パーシルはクリスから木刀を借り、パーシルは片手でその木刀を軽く握った。
「わかった。やってみる」
ヴェインは応えるように両手で木刀を構え、片足を一歩下げる。
それは、パーシルには初めて見る型であった。
パーシルは一歩前に出た。
初めて見る構えであろうとパーシルは引く気はなかった。
「ヴェインから来ていいぞ」
「ああ。でぇえい!」
ヴェインは強い踏込と共に、素早くパーシルの懐に飛び込んだ。
――想像以上に早い。いやわかりにくいのか……!
パーシルは上段から振り下ろされたヴェインの木刀で受け止め、払うように受け流す。
互いの体の位置がすれ違い、入れ替わる、すかさずお互いが相手を確かめるために振り返った。
――次!
体格が小さい分早く振り返ったヴェインが飛び込んでくる。
今度は横に払おうという構えをとるヴェインにパーシルは木刀を縦に合わせ、防ぐ。
――ああ、なるほど
クリスの言うとおり、ヴェインの木刀の攻撃には重さがなかった。
振りぬこうという気持ちが入っていないのだ。
それはやはり、ヴェインの性格的な問題なのだろうとパーシルは気が付いた。
おそらくは彼は戦うがことがあまりなかったのだろう。
だけれどこの世界は違う。
「ヴェイン、守るためには戦わないといけないんだ。自分でも、相手でも」
パーシルはヴェインに告げた。
同時に、腕を振り上げ、受け止めていたヴェインの木刀を払い上げる。
ヴェインはよろけ、一歩、二歩と後ろに引いた。
すかさずパーシルは木刀を握り直し一歩前へ距離を詰める。
『パーシル、守るためには戦わないとならない』
そういえば父も同じ言葉を言っていたと、ふとパーシルは思い出し、一瞬、手を止めた。
あの時の父はどんな表情をしたいのか、よくは覚えていなかった。
だが、この言葉は、いつしかパーシル自身の言葉になっていた。
――この世界で生きるには本当そうなんだ。
「隙あり!」
手が止まったパーシルの隙をヴェインは見逃さなかった。
こつんと胸を突かれ、パーシルは「あっ」と短く声を上げた。
「ちょっとなにやってんすかパーシルさん」
「いや、参った。俺の負けだよ」
「ちょっと分かった。ありがとうパーシル」
打ち合いの結果はヴェインの勝ちで終わった。
三人は笑いながら、火ノ車亭へと戻ることにした。
その道の途中、パーシルはふと北の空を見上げた。
守るために戦えと言った父は、どうして自分を置いていったのだろうか。
長く考えてこなかったことだ。
――その答えがこの先にあるのかもしれない。
そう思うと、パーシルは北の空から目が離せなくなっていた。
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