固茹で卵の夢を見る

@96_snail

固茹で卵の夢を見る

 とある繁華街の片隅にある小ぢんまりとしたバーで一羽、グラスを傾けるミミズクがいる。彼の名前はR.B.ブッコロー。職業は探偵だ。

 

 彼の主な仕事は浮気調査や素行調査、人探しだ。自分の仕事に不満はないし、これまで多くの人を助けてきたという自負もある。ただ、どうしても一つ彼には探偵として、男として叶えたい夢があった。それは、小説に出てくる様な難事件を解決する名探偵になる、というものだ。そもそも彼が探偵になろうと思ったきっかけは、とある名探偵が出てくる小説を読んだからだった。憧れの彼は偏屈な男だったが頭が良く、どんな難事件もたちまち解決をしてしまう、そんな男だった。自分もいつかそうなりたいと思い、探偵になる為に色々な努力をしてきたが、どうやら現実の探偵というものは、小説に出てくる様な難事件には滅多に関われないと知ったのは、大学生になり探偵事務所で働きだしてからだった。

「先輩は今までどんな事件に関わって来たんですか」

そう無邪気に質問する自分に、眩しさと呆れを含んだ様な絶妙な表情を向けてきた先輩。あの顔は生涯忘れる事は出来ないだろう。

 ついつい思い出してしまった青い記憶を、グラスに残ったウイスキーと一緒にぐいっと流し込み、週末のレースに備えてコンビニで買ってきた競馬新聞に目を落とす。だが、いつもなら心躍る馬や騎手の名前、丸や星、三角のマークが、今日はすんなり頭に入ってこない。

「どこかに迷宮入りの殺人事件でも転がってないもんかね」

思わず溜め息を吐きながらそう呟いてしまった。


 ふと視線を感じそちらへ目をやってみると、いつも暇さえあればティッシュの様な紙でグラスをピカピカに磨いているバーメイドの岡崎弘子と目が合った。

 そういえばグラスが空いていたなと思い、新しいウイスキーを注文する。彼女は慣れた手つきでグラスに氷を入れ、メジャーカップにウイスキーを注ぎながら、

「そういえばブッコローさんは何のお仕事をされてるんですか」

と、そんな事を聞いてきた。このバーに通い出してからしばらく経つが、そういえば彼女に仕事の話はしたことがなかった。

「しがない探偵ですよ」

「探偵だなんてすごい。今までどんな事件を解決してきたんですか」

 彼女はどうやらかつての自分と同じで、探偵といえば小説に出てくる様な仕事をしているものだと思っている様だった。

 一瞬探偵の現実を伝えようかとも思ったが、ここは少し彼女の話に乗ってみる事にした。

「いやあ、それ聞いちゃいます」

「私今まで探偵の方にお会いした事ないので気になります」

 そう言いながら差し出されたグラスを受け取る。受け取ったロックグラスにはなみなみとウイスキーが注がれている。彼女は少しおっちょこちょいな所があるらしく、度々グラスに注ぐ酒の量を多くしてしまう事がある。何の為にメジャーカップを使っているのかと言いたくなってしまうところだが、大の辛党の自分にとっては同じ値段で倍以上の量の酒が飲めるのは大変ありがたい事なので、その辺りはあまり突っ込まない様にしている。

「ああ、ありがとうございます。これまで色々な事件に関わってきたのでどれから話していいやら。ところで、岡崎さんは尊敬している人はいますか」

 受け取ったウイスキーをちびりと飲みながら聞く。

「それはもちろんいますよ。私の大好きなガラスペンを作っている作家さんとか、私よりも文具に詳しい人とか。でも、それがどうしたんですか」

「お酒関係の人とかではないんですね」

「私、お酒より文房具の方が好きなので」

彼女が酒の分量を間違える理由が少し分かった。

「まあそれはこの際置いておいて、岡崎さんも尊敬する人がいるなら気をつけないと駄目ですよ」

「え、何でですか」

「いやね、私が去年の暮れに解決した事件の話なんですけどね、その筋では有名なとある画家先生が殺害されてしまった事件があったんですよ。アリバイや証拠を調べていって、最終的に残った犯人の候補が二人になったんです。一人は先生と経営の事で大揉めした奥さんと、もう一人は先生の作品に出会って絵画の道に飛び込んだっていう絵画教室の生徒さん。奥さんに関しては、周りの人がいつかやってしまうんじゃないかと思っていたと言われる位には仲が険悪で、生徒さんの方は普段から真面目に課題にも取り組んで、先生への憧れなんかもずっと周りに話していたそうなんです。これだけを聞いてどちらの人が犯人だと思いますか」

「聞いた限りだと奥さんが犯人に思えますけど」

「それがね、先生を殺しちゃったのは生徒さんの方なんですよ。理由はわかりますか」

「そうなんですね。生徒さんが犯人だとしたら、実は先生の才能を妬んでいたからとかですか」

「普通はそういうふうに思いますよね。憧れが妬み、恨みに変わってしまったって。ところが彼は先生の事一度も妬んだりした事なんかなくて、むしろずっと尊敬していたんですって。それじゃあ何で殺してしまったのかっていう話なんですけど、彼ね、先生が最近スランプに陥っていて、このままだと遺作が駄作になってしまって、果てには先生の作品全体の評価が下がってしまうんじゃないかっていう事を恐れてやってしまったんですって。尊敬するあまり、変な方向に一人で突っ走ってしまったっていう話です。だから岡崎さんも尊敬する人を必要以上に神格化したりしちゃ駄目ですよ」

「私はそんな事しませんよ。先生もおかしな人が周りにいなかったら死んでいなかったのに、災難ですよね」

少し不満そうに彼女は言う。どうやら人を疑うという事を知らない様で、今この場合で適当に考えたこの話を疑う様子はなかった。

 しかし、ここまで疑われないとなるとしばらくここのバーでは名探偵でいようかな、などと思っていると、不意にバーの入り口のドアベルの鳴る音がした。入口の方に目をやると、見知った顔がいた。

「いらっしゃいませ。一名様でしたらカウンターへどうぞ」

「いや、連れが店にいるはずなんですが」

 そう応えた入り口にいる眼鏡をかけたスーツ姿の男は間仁田亮治。ブッコローの探偵事務所の助手だ。そんな彼に

「バーに来るなんて珍しいですね、間仁田さん。今日は居酒屋の手伝いはいいんですか」

と、声をかける。彼は探偵事務所助手の傍ら、自身の経営する居酒屋の手伝いもやっている。金曜の夜に外にいるという事は、今日は店の手が足りているのか、よっぽどの緊急事態なのだろう。

「それがですね、ブッコローさん。大ニュースですよ。なんと殺人事件の捜査の依頼が来てるんですよ。依頼者さん警察の捜査に納得がいってないみたいで、是非ともブッコローさんに捜査をお願いしたいそうです。遂に念願の殺人事件捜査ができますよ」

 普段だったらとても嬉しい知らせだったが、今日この時ばかりはタイミングが悪かった。

「ブッコローさんさっき色々な事件に関わってきたって言ってませんでしたっけ」

もちろん彼女にそう聞かれてしまう。

「あれはお酒の席の軽いジョークですよ、ジョーク。岡崎さん簡単に酔っ払いの言う事を信じちゃ駄目ですよ」

そう言い、まだグラスに大量に残っているウイスキーをグイッと一飲みで飲み干し席を立ち、

「じゃあ岡崎さん今日はこれで。次に来る時は本当の事件解決までの話を聞かせてあげますよ。それじゃ行きましょうか、間仁田さん」

お代より少し多めのお札を席に置き店を出る。 

 外に出ると、ウイスキーで少し呆けた頭を覚ますかの様な冷たい風が吹いた。

「最後結構飲んでたみたいですけど、大丈夫ですか」

「これぐらいなんて事ないですよ。それより早く事務所に帰りましょう。事件が私を待ってます」


 少し千鳥足で事務所までの道を急ぐ一羽のミミズク。彼の名前はR.B.ブッコロー。これから名探偵になる予定の男である。

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