第7話 トラウマ

「うぅ……なんだ、眩しっ……」


 気がつくと俺は、顔に当たる鬱陶しい日の光で目を覚ました。

 体の節々が凄く痛い。起き上がろうとすると、酷い倦怠感と筋肉が引き伸ばされるような鋭い痛みに見舞われた。


「あれ? 俺なんで寝てたんだ?」


 気怠さと寝起きのせいか、まだ頭がうまく働かず状況を飲み込めない。

 暫くぼーっと部屋を眺めていると、徐々に眠る前の記憶が浮かび上がってきた。


「そうだ……! 確か、ゲームが始まって、巨大熊が現れて、野中さんを助けて……」


 それで、気持ち悪くなって倒れたんだ。


 気絶なんて初めての経験だ。一体どれくらい眠っていたのだろう。

 起き上がり窓の外を見ると、まだ日が上っていた。

 それほど長い時間ではなさそうだ。

 外には既に野中さんの姿はなく、落雷の影響で蜘蛛の巣状に砕けたコンクリートだけが目についた。

 何故か巨大熊の死体も無くなっていた。


「てか、なんか異常に喉が渇くぞ」


 意識が覚醒し始めると、体の不調が徐々に浮き彫りになってきた。

 特に酷いのが喉の渇きだ。焼けつくような喉の渇きが襲ってくる。一刻も早く水分補給をしないと干からびて死んでしまう。


 俺は壁を伝いながら、不調を訴える体を引きずってなんとか一階に降りた。

 取り敢えず水を飲もうと蛇口を捻るが一滴も水が出ない。仕方ないので非常時用に買っていたペットボトルを開ける。


 そのままごくごくと豪快に水を飲んでいると、突如背後からガチャリと扉の開く音が聞こえた。


「え……!?」


 全身の毛が一気に総毛立つ。

 今、この家には俺一人しか居ない。

 気絶している間に、家族が帰ってきたのだろうか?

 いや、可能性としてはモンスターが侵入してきた方があり得る。だとするならかなりマズイ状況だ。

 俺は油の切れた機械さながらに恐る恐る後ろを振り返る。すると──長髪の女性が濡れた髪のままバスタオル姿で立っていた。


「ヒィッ!?…………って野中さん!?」


 一瞬幽霊かと思ったが、すぐに違うとわかった。幼馴染の野中さんだ。


「な、な、なんで野中さんが俺の家にいるんですか!? そして何故風呂上がり!?」


 こちらを見つめる野中さんの顔には、何故か俺よりも驚愕の表情が浮かんでいた。そして彼女は次第に目に涙を溜めていった。


「良かった……やっと目が覚めたんだ」


「え? やっと……?」


「うん、もう三日間も目を覚さないからダメかと思った……」


「三日間……?」


 慌ててスマホを確認する。

 ロック画面に映し出された日付は、ジェネシス・ワールドが始まった日、気を失った日から三日後を映し出していた。

 え、じゃあなんだ、俺は丸三日も眠ってたのか!?

 確かに起きた直後はどことなく違和感があった。酷い喉の渇きもそうだし、いつの間にか外が静かになっていたから。

 だが、こんな事って有りえるのだろうか?


 一旦冷静になって頭を整理をしてみる。

 三日も眠るなんて経験初めてだが、考えられる原因としてはアイテムを使った影響だろうか。

 『天空神の雷霆』を使って俺は巨大熊を倒した。その時に大量の魔力を消費したのかも知れない。

 ステータスの項目に魔力の表記があったからあり得る話だ。自分の魔力量を超える魔法を使ってしまったから、そのまま気を失ったと。

 ファンタジーではたまに見かける設定だが、それで三日も眠ったなんてゾッとする。

 それと同時、目覚められて良かったとほっと胸を撫で下ろした。


 運が良かった……わけではなさそうだ。

 野中さんの表情と言葉から察するに、俺が気絶していた三日もの間、看護をしてくれてたっぽい。


「い、色々ありがとうございます」


「ううん。目覚めてくれて本当に良かった」


 と、そこで初めてバスタオル一枚という自分の姿に気づいた野中さんは、顔を真っ赤にして扉の影に隠れてしまった。


「とりあえず着替えてくるから、ちょっと待ってて……」


 そう言って野中さんはバスルームの方へと消えてしまった。


 野中さんを待っている間、癒えた喉の渇きと入れ替わるように凄まじい空腹感に襲われたため、俺はカップ麺を食べることにした。三日間も眠っていた影響は甚大だ。

 体の不調は言わずもがな、外の様子も大分変わっているのだろう。

 ゲームが始まって三日。どんな状況になっているのか想像もつかない。


 わからない事に頭を悩ましても仕方ないのでカップ麺を掻きこむことだけに集中する。すると今度はちゃんと服を着た野中さんがリビングに入ってきた。

 ゆったりと大きめの、少しだぼっとした部屋着姿。というか、着てるの俺のシャツだった。


「もう体は大丈夫?」


「あ、はい、もう大丈夫です。ご迷惑をおかけしました」


 その言葉に心の底から安堵した表情を見せる野中さん。

 俺はというと、色々と野中さんに聞きたいことがあるのだが、疎遠だった年上の幼馴染ということもあり、少し気まずい気持ちになっていた。


 巨大熊に襲われそうなところを助けたとはいえ、野中さんはどうして俺を看護してくれてたんだろう?

 そしてなぜうちの風呂を使っていたんだ?

 あとなぜ俺のシャツを着ているんだ?

 疑問は増えるばかりだ。


「あの怪物に雷が落ちた後、ベランダで倒れる弓弦くんが見えたから心配になって入ったの。勝手に上がり込んでごめんね」


「あ、いえ、それは全然大丈夫です……むしろありがとうございます」


 表情から俺の疑問を察したのか、野中さんは軽く手を合わせて謝罪する。


 さすが元看護師の野中さん。

 俺が野中さんと最後に会ったのは彼女が高二の時だから、およそ五年前。

 いわゆるお向かいさんの関係で、昔はよく一緒に遊んでいたとはいえ、五年も疎遠だった俺をずっと看病してくれるなんて。優しくて面倒見がいいところは全然変わってない。

 ベランダで気を失ったはずの俺がベッドで目を覚ましたのは野中さんが運んでくれたからだろうし、こうしてなんの障害もなく目覚められたのは、彼女の看病の賜物だろう。

 これで野中さんが我が家にいた理由に納得できた。この家には昔何度も遊びに来ていたから、野中さんにとっては見知った空間だろうし。

 とはいえ、疑問はまだ他にもある。

 ……シャワーとシャツのことは後回しでいいか。


「あの、野中さん、外の状況ってわかりますか?」


 俺の問い掛けに野中さんは一瞬表情をこわばらせると首を横に振った。


「この三日間は外に出てないから分かんない。多分、私を襲ったあの怪物みたいなのが沢山いるんだと思う。姿は見てないけど獣の唸り声とか誰かの悲鳴とかいっぱい聞こえてきてたから……」


 悲痛な面持ちでそう語る野中さん。

 この三日間、外から聞こえる誰かの悲鳴に耐えながら独り看病していた野中さんの心中は察するにあまりある。

 確か野中さんの両親はうちと同じで共働きだったから、助けを求めれる人もいなかったのだろう。


「本当は自分の家にも戻るつもりだったけど、扉を開けるのが怖くて……どうしてもこの家から出られなかったの。それに私の家には誰もいないし」


 そう言って、震えながら自身の肩をかき抱く野中さんの表情には、痛ましいまでの恐怖がありありと伺えた。

 どうやら巨大熊に襲われた時の経験がトラウマとなって外に出られず、俺を看病する間、この家で生活していたらしい。

 ゲームが始まる前に買っていた食糧がわずかに減っていたのは、野中さんが食べたからなのだろう。非常食を買っておいてよかった。

 俺が一目惚れして買った非常時用の簡易シャワーも役に立てたようだし。


 それにしても、たった数歩の距離にある自分の家にすら行けないところを見るに、かなりのトラウマになっているらしい。

 これ以上、外のことを野中さんに聞くのはやめておこう。現在の状況は自分で探るしかないようだ。

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