73、紅国への旅1〜多神教と魔法チェス


 糸のように細やかな雨が、さあさあと降る日。

 フィロシュネーは氷雪騎士団と学友と共に、紅国こうこくへと旅立った。

 

「月神ヴィニュエスとルエトリー、太陽神ソルスティス、天空神アエロカエルス、商業神ルート、自然神ナチュラ、知識神トール、愛の女神アム・ラァレ、死の神コルテ……覚えきれませんわ」

 広々とした馬車の中、紅国の多神教についてまとめられた本を広げて予習するのは、オリヴィア・ペンブルック男爵令嬢。あれこれ理由をつけて渋っていたのに、結局同行したのだ。

 

「紅国の人たちって、一定の年齢まで育ったら自分で信仰する神様を選ぶのですって」

 セリーナ・メリーファクト準男爵令嬢がクッションを抱きしめるようにして本を覗き込む。外交会談で紅国を訪れた経験者であるフィロシュネーは、ちょっとだけ得意顔になった。

 

「お城にほんの数日滞在して帰国しただけですけど、わたくしが知っていることなら教えられますわ。それに、なんといってもわたくしの婚約者候補がいるのですから!」

 ずっとお手紙だけだったサイラスと、久しぶりに会うのだ。浮気の心配もあるけれど。

 

「噂のノイエスタル準男爵様ですわね。姫様と準男爵様の再会が楽しみですわ!」

 オリヴィアとセリーナは、好奇心旺盛におしゃべりを楽しんでいる。

「きっと熱い抱擁を交わしたりするのね!」

 

「セリーナの婚約者みたいに、浮気してないかしら」

 フィロシュネーは頬に手を当てた。

(わたくし、そういえば散々子供扱いされていたし……あくまで候補であって、まだちゃんとした婚約者でもないから)

 そもそもあの男、わたくしに対して「小さい子供が懐いてきて可愛い」程度の好意でしかないのよ。好意はあるとしても、恋心がないのよ。でも、その真実はお友達にはないしょにしておきましょう。

「ふふ……うふふ……」

 後ろ暗い微笑みをたたえるフィロシュネーに、オリヴィアとセリーナが心配そうな視線を交わしている。

  

「し、心配ごとより、楽しいことを考えましょう? そうそう、わたくしたちは、あちらの国では面白おかしく語り継がれてきたらしいですわよ。暗黒郷とか呼ばれて」


 オリヴィアが話題を変えようとして、本を読む。

 窓の外の空模様が、少しずつ雨から晴れに変わっていく。


「悪しき呪術師が自然神を冒涜し、知識神を民から遠ざけた。太陽神と天空神が怒り、死の神が冷笑する中、月神と愛の女神は哀れにおもい、慈悲を捧げている。しかし、慈悲をいただく民は無知で、感謝の心も持たない……」


「他国の方って、もしかして私たちを見下していたりします?」

 セリーナは不安そうに眉を下げながら小さな丸いチップ缶を取り出した。パカっと蓋を開けると、良い匂いのする真っ白なクリームが入っている。


「北国って、乾燥するでしょう? 我が家の商会が扱う新商品の保湿クリームなのです」

 セリーナが言うと、オリヴィアは興味津々にクリームを見つめながら頷いた。同じクリームを分け合えば、馬車の中がふんわりと良い匂いで満たされる。


「しっとりした付け心地!」

「いい匂い……♪」

 

 オリヴィアとセリーナはお揃いの表情を見合わせて笑い合い、ふと車窓の外に気付いてフィロシュネーにも「ご覧ください」と促した。

 色鮮やかな鳥がバサバサと低い位置から高く翔けていくのが見える。快晴の青色を広げる空へと。並び立つ樹木は、青国の樹木よりも幹が太い。魔物もいない。瘴気もない。


「ご覧になって。姫様、首の長い羊がいますわ」

「あら、ほんとう。わたくし、あの生き物は初めて見ますわ。あっ、あのお花、初めて見る種類のお花です。可愛い!」

「ここはもう、他国ですね」

 

 畑や牧草地が見える。街道は整備され、揺れを軽減して乗り心地をよくしていた魔法の効果を薄くしても平気になっていく。

 

 景色を楽しんでいると、ふと馬車が止まった。


「いかがなさったの?」

 確認すると、外に見覚えのある旗があらわれていた。カントループ商会の旗だ。見た事のない旗も一緒に掲げている。

 

「いやぁ、奇遇ですねぇ~、我々カントループ商会も、紅国に進出しようと思いましてぇ~」

 白い馬に騎乗して手を振るのは、仮面を着用した『カントループ』――ハルシオンだ。 

 

「絶対偶然じゃないのでございます!」

 葦毛の馬に乗るシューエンが馬車を守るように進路をふさぐ。その周囲に、ずらりと氷雪騎士団が並んだ。


「まあまあ、旅は道連れ世は情けというではありませんか。一緒に参りましょう」

 ハルシオンは、強引に話をまとめた。仮面を取って王族の瞳を見せることで騎士たちをさりげなく威圧している。


 フィロシュネーが優雅に挨拶をすると、ハルシオンは嬉しそうに寄ってきた。


「少しお馬さんを休ませましょうか。早めのお昼休憩ということで、いかが?」

 フィロシュネーは氷雪騎士団に指示を出して、学友たちをハルシオンに紹介した。


 青国勢と空国勢は昼食を共にしながら、互いの予定を話し合った。ハルシオンははしゃぐように予定を打ち明けてくれる。

 

「私は商業神ルートに入信してみようと思っているんですよ。商業神ルートに入信することで、現地の商慣習や文化に敬意を払いながら、商取引を展開できると思うのです」

「確かに、現地の文化や風習を理解することは、大切ですわね。それに、商業神ルートに入信することで、現地の人々との信頼関係を築くこともできるでしょう」

 

 フィロシュネーが自国の外交官から言い含められた考え方を述べると、ハルシオンは「さすがシュネーさん」と褒めてくれる。

 

「愛の女神を信仰したら、素敵な貴公子様とのご縁に恵まれるでしょうか」

 婚約者が浮気中のセリーナは真剣な表情で入信を検討し始めている。すると、オリヴィアも一緒になって考える顔になった。

「愛の女神アム・ラァレ様は恋愛、結婚、家族などを司る女神様なのですって」

 

 フィロシュネーはというと、商団の中にいる仮面の青年が気になって仕方ない。

「ルーンフォーク卿、ですわよね」

 呼べば、ルーンフォークはこっそりと顔をさらけ出してくれた。

「空国でブラックタロン家は微妙な立場となっていまして。危うく身の自由が利かなくなりそうなところを、商会長が連れ出してくれたんです」

 それ、逆に大丈夫ですか? 逃亡犯みたいになってませんか? フィロシュネーは心配になった。

 

 昼食の後は、シューエンとルーンフォークが紅国で流行しているらしき盤上遊戯を始めた。『魔法チェス』というらしいその遊戯は、駒に指示を出すと勝手に動いてくれる。それに、ナイトやクイーンがふわふわと飛翔して戦うのだ。

 

 ――ルールがわからなくても、眺めているだけで楽しい!


 周囲には、どんどん観戦者が集まった。

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