60、姫殿下は当て馬研究会を発足なさり
「当て馬ってどう思う?」
季節の変わり目。あたたかな昼下がり。青国の王女フィロシュネーは勇気を出して問いかけた。
場所は、王女の私室。相手は誰かというと、それまでは空気のように扱われていた侍女である。フィロシュネーよりも、少し年上の侍女だ。紅茶を淹れてくれている。
「あなたよ、あなた」
「……は、は、はいっ」
赤毛の侍女はびっくりした顔で周囲に視線を彷徨わせている。
「発言を許します。名前を当ててみましょうか? アン!」
フィロシュネーは侍女の名前も知らない。
「ジ、ジーナでございます」
名前を変えろと言ったら変えそうな雰囲気で、ジーナは萎縮している。怯えている。フィロシュネーは機嫌を損ねたらいけない主人として、恐れられているのだ。
前はそれが当たり前で、恐れられない方が無礼、とまで思っていた。でも、今は。
「外れっ。でも、もう覚えたわ! ジーナですね」
(わたくし、怖いお姫様じゃないわ。そう思ってもらいたい)
アーサー王太子もこの点については頭を悩ませているのだという。舐められてもいけないが、恐怖政治みたいなのもよくない、と。
(わたくしは優しいご主人様、わたくしは恋愛物語に出てくるような、貴族の常識から外れた庶民に受けの良い言動をする庶民派の『おもしれー女』……)
そんな恋愛物語のおもしれー女は、みんなに愛されるのだ。
(わたくしを愛しなさい、ジーナ!)
フィロシュネーは猫撫で声を出した。
「ジーナ。わたくしのお話を聞いてくださる? お仕事の邪魔をしてしまうかしら?」
「い、い、いいえ! 全力で拝聴いたします!」
「適当に聞いてくださって大丈夫よ」
フィロシュネーは自分の周囲に積み上げた本を見せた。
「わたくし、当て馬キャラに魅力を感じて応援してしまって、負けてしまった時に嫌な気持ちになることがあるの……ジーナは恋愛物語を読んだことがあって?」
そう問いかけると、ジーナはコクコクと首が取れそうなほど大きく激しく頷いた。
「は、はいっ。お気持ちもわかります、フィロシュネー殿下! 当て馬を好きになってしまうと辛いのです……」
「素晴らしいわジーナ! さすがわたくしの侍女! あなたとは濃ゆいお話ができそうね! わたくし、感動しています」
試しに幾つかの本のタイトルをあげると、ジーナは読了済みだった。ばっちり趣味が合う! これは王太子アーサーが「趣味の合う侍女がいいだろう」と手配してそばに置いていたためなのだが。
「ご覧になって。わたくしの婚約者候補ったら、『当て馬が出てくるシーンだけ読み飛ばせばいいのでは』なんて書いているのよ」
フィロシュネーは紅国にいる婚約者候補からの手紙を見せながら、「彼とはね、話が合わないの。感性が違うの。もちろん、それを理由に嫌ったりはしませんが!」と残念な心情を吐露した。
「そもそもねぇ、わたくしが読んだ本はこの本なの。預言者ダーウッドが持ってきてくださったのよ。いらっしゃい、ジーナ」
「は、ははい」
ジーナを長椅子に招いて隣に座らせると、背筋をピンっと伸ばしてかしこまっている。見せるのは、タイトルが『シークレットオブプリンセス』という人気の本だ。
「アランとベリルの二人のヒーローがいるでしょう? 読む前からどちらが当て馬かわからないのよ。それでね、わたくしは尋ねたの。どちらがヒーローでどちらが当て馬? って」
そう。フィロシュネーとて、イヤンな思いをしないように対策したのだ。しかし。
「ダーウッドはアランがヒーローだと仰ったの。それで、わたくしはアランがヒーローだと思って読んだのよ」
「あっ……ぁあ~~っ!」
「もう、おわかりね。さすがジーナ!」
アランは不憫な生い立ちで、仲の良い親友のために自分を殺し、ひたすらに身を犠牲にして頑張る健気な少年だった。ヒロインは自分も秘密を隠しながら、アランの謎を追い、アランと苦難を共にする。お互いに真実を知り合い、助けて助けられる仲の……
「作中ではアラン視点も多くてねぇ? それがすっごく素敵で、もう応援したくなっちゃって。恋の自覚はあるのにしがらみにがんじがらめで自由のないアランは、ヒロインとベリルが仲良くしているのを見て胸を痛めるのだけど、何もできなくてね? わたくしはその心情に胸が張り裂けそうで! でも、ヒーローはアランだから、最後には報われるわ、頑張ってって思って応援していたのぉ!」
ジーナはいつの間にか緊張の解けた様子で、身を乗り出している。
フィロシュネーはそれが嬉しい。
(趣味のお話って、身分の差を越えるのね! 素敵!)
「姫様、私の友達もそうでしたよ。オープニング話にも出てきてましたし、もうひとりの主人公みたいな立ち位置でアラン視点も多かったですから、アランを応援する女の子は多いのです」
呼び方もちょっと砕けている!
(うふふ、よくってよ。姫様の方が呼びやすいでしょ!)
フィロシュネーはニコニコした。
「ジーナ、あなたのお友達もこの本を読んでいるのね? もしかしてお友達と本のお話を楽しんだりしているの?」
めくるめく世界が目の前にひらけた気がする。同じ趣味の女の子がいっぱい集まって、わいわいお話に花を咲かせるのだ。身分も何も関係なく。
「ダーウッドもアランがヒーローって仰ったのよ……ベリルと仲を深めるイベントもなかったし、ベリルはあまり本筋に関係しなくて、応援したくなるようなベリル視点もなかったし……」
「友達も同じことを言ってましたよ、姫様」
「ねえ! そのお友達を紹介してちょうだい。すごくお話ししたいの!」
フィロシュネーは複雑な思いの溢れる視線で本を見た。
「他の部分はとても素晴らしい作品だったのだけど、わたくしはアランがずっと可哀想で、でも可哀想を積み上げた果てにヒロインに振り向いてもらってカタルシスを得られると信じていたの。わたくし、9巻にも及ぶ大長編をアランのハッピーエンドのために……アランの恋が実る結末を前提として読みましたのよ」
ジーナはウンウンと頷き、友達を紹介してくれると約束してくれた。
「友達は、ニジソウサクをしてその気持ちを昇華させようとしています」
「に……にじ?」
未知の単語が出てきた。
フィロシュネーはキョトンとしつつ他の本もひらき、「この本はね、幼馴染で旦那さんポジションだったのに、あとから運命を感じる恋人がやってきて不倫されて取られてしまうのよ」とどんどん語る。
「それでね、わたくしの婚約者候補は、『もう当て馬が出てこない物語をお楽しみになればよいのでは?』というのです!」
「あ、ある意味、正解っ……」
「やだやだぁ! わたくしは応援してるヒーローが勝ち目のない恋に勝って幸せになるカタルシスを得たいのぉ!」
ちなみに、ヒロインは愛を競わない。取り合いされる側である。そこはフィロシュネーの中で絶対だった。
「姫様、そのう、……スパダリ、という概念が恋愛物語にはあるのですよね」
「わかるわ! スーパーダーリンね!」
ジーナは恋愛物語に詳しい! 乙女たちの専用用語(?)であるスパダリを知っている!
フィロシュネーは思わず抱きついた。この人材、得難い!!
「スパダリ、は、理想の殿方で完璧でなければいけません。余裕があって、落ち着いていて、頼もしくて、格好良いのです。そうなると、あまり個性的だったり、可哀想だったり、思い悩んでいたり、苦境に置かれていてつらい、というキャラクターとしては書けないのではないでしょうか。描写が薄く、なんなら出番も少ない方が、想像力で勝手に理想化されるわけで……」
ジーナはスパダリについて考察できる!
「すごいわジーナ! あなたにスパダリ有識者の称号を贈ります」
「こ、こ、ここ、光栄です? 光栄……でしょうか?」
「爵位をつけてあげてもよろしくてよ!」
「スパダリ考察程度で爵位を賜るのはさすがにダメです、姫様っ!」
「それでお話を戻すけど、ベリルが思い悩んだりする描写がないのにヒロインがベリルに恋をしたのは、スパダリだからなの?」
「そ、その可能性はあるかと……」
「でも、アランが不憫だったり頑張っていたり、ヒロインに惹かれたり、他の男とヒロインが距離を縮めてつらいって気持ちでいるとわたくしはアランを応援したくなったのよ」
フィロシュネーは頰に手を当てて思い悩んだ。
「私がベリル派なのは姫様には黙っておこう……」
何か独り言が聞こえた気がする。聞かなかったことにしてあげましょう!
「では、理想のスパダリは出番が少なく個性がなくて、理想の当て馬は応援したくならないような悪役キャラになるのかしら」
「そういう本は、多々ございます……」
奥が深いっ!
フィロシュネーは学者になった気分で紅茶のカップを傾けた。
「ねえ! こういうお話って、話がわかる仲間と話すとすごく楽しいわね! あなたもそう思わなくて?」
「え……ええ、フィロシュネー殿下。私もこういうお話は、楽しいです」
「わたくしは、当て馬研究会を発足します! こういうのをみんなで研究したら、とても楽しいと思うの!」
こうしてフィロシュネーは学友たちにも声をかけて、当て馬研究会を発足させたのだった。
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