酒とミミズクと時々ザキさん

@Masukawawa

第1話 極めて冷静に馬券を買う

「肝機能がまずいことになっています」

 医師が極めて冷静にそういった。

 さすが説明することを生業している男性は、ききとりやすいいい声をしているものだ。とどこか他人事のように思う自分を遠くから眺める余裕もあり、その点ではブッコローも極めて冷静であった。

 「この採血の結果みていただきますとALTという肝臓の機能を示す値が前回健診時より明らかに上がっているんですね。ɤ-GTPも上昇してる。常の生活を伺っていても肝臓に負担が大きくかかっているように思われます。」

  医師が告げる自身の状況を聞きながら数時間前の自分に覚悟を決めてこの場に臨めと伝えてやりたい。と思わず現実逃避をしたくなってしまった。

 晩夏の暑い日に、年に一度の季節行事と受けた健康診断で再検査がでたことから指定されたこの病院にきたのだから、ある程度なにか言われることは想定していた。とはいえ自分はまだ若く、再検査という文字もそこまで大事をはらんでいるようには思えない表示にみえたことから軽いお小言で済むだろうと楽観的に考えていた自身の甘さにブッコローは眩暈を覚えた。

  医師のいう"まずいことになっている"とはどういうことだろうか。

 自分には妻もまだ幼い二人の娘もいる。もし命にかかわるような状況であったとしたらどうしたらいい。嫌な想像は無限にわいてくる泥のように重く、思考をさらに鈍化させてくる。

 「エコーの感じはまだ大丈夫そうですけどこのまま悪化するようであれば入院して頂いて肝生検とか色々検査が必要になる可能性があります。」

  “入院”という単語に頭を大きく殴られたようだった。 もう目の前の男が、私もミミズクの患者さんはあまり見たことがないからどれくらい人間の一般論と差が出てくるかはわかりませんけどね~。など場を和ませようとしてくれている言葉なんて一切思考に響かない。

 医師がパソコンに向かいながらなにやら自分の情報を書き込んでいるが、キーボードの規則正しい音も医療機器から流れる聞きなれない電子音も何か遠くの世界での出来事のようにブッコローを置き去りにしていた。

 大きくエンターキーを押した音にはっと現実に戻される。再び目の前の男と目が合うと

 「まあとりあえず食事療法と禁酒から始めてもらって次の外来でどうするか決めましょうか。」

  と口切の発言の時と何も変わらぬ極めて冷静なそれでそういった。



 ブッコローは医師との面談の後看護師に連れられ別室で食事や生活の注意点の説明を受けた。

  手の中には病院関係者の手作りなのだろうか。いらすとやの絵が多用されたパステル調で目に優しいレイアウトの極々平易な言葉でかかれている生活のしおりが握られていた。

 意識半分の中なんとかとったメモと合わせながらふたたびそのしおりに目を通す。だめだ。どう考えてもこの生活制限を守れる気がしない。ブッコロ―は大きくため息をついた。

 大酒飲みという訳では無いがそれなりに飲むことは好きだ。そして仕事の兼ね合いで機会飲酒も多くこの制限の中で生活することは現状かなり困難を伴うことが明らかであった。

 家族を思えばすぐにでも実践するべきなのだろう。しかしまだ様子がみれそうな言い方を医師はしていたではないか。ということはまだ本気でこれに取り組むときではないのでは?自身の易きに流れる性格をまた第三者目線でみて再び頭を抱えた。

 このままではいけない。なんとかしなければ、しかし…ぐるぐると同じ思考に舞い戻る渦は途方もなく「どうしたらいいんだろうな~」と思わずこぼした言葉は風に消えて…いかなかった。


 じじじじじと妙な機械音が頭上に響いている。目の前には青い飛行物体が飛んでいた。光りながら不規則に動くこれはドローンだろうか?おもちゃのようにも見えるそれは都会に染まり見て見ぬふりがうまくなった普段の自分なら気にしない存在に近かったはずなのに、ブッコローが発した言葉を宙に浮かばせ可視化し、その言葉の周りをふよふよと飛んでいた。

 これはただごとではない。この浮遊物はなにかがおかしい。この未確認の何かに対峙しながらどう動くことが正解か考え、考えがまとまらぬうちに空中に浮かび漂う「どうしたらいいんだろうな~」の文字は集まり光る球になると徐々に形を変え一人の女性を作り上げた。

 「あら~フォントは“くろかね”でしたか~。いいですね~」

 少し間延びしたような独特のイントネーションで 話すその女性は彼女の顔を彩る印象的なメガネをきらりと光らせ、はじめまして~岡崎と申します~とブッコローに古くからの友人に久しぶりにあったかのような軽やかな口調で話しかけはじめた。

 「困っている声が届いたので来てみました。あなたはとても素直に生きているので好感がもてますね~」

  ふふふと穏やかに笑いながらこちらに向かって歩いてくる人物にどう対応したものか困惑はするものの不思議と不快感や恐怖といった感情は全く抱かなかった。

 しかしだ。

 流されそうになりながらも冷静にブッコローは現状について再確認を行い始めた。突然目の前に理解を超えた現象が起きたかと思うとフォントについての感想を述べる女性が現れた。悪い人には見えないがどう控えめに見ても変人だ。

  どうやり過ごすか思考を巡らせるブッコローを尻目に岡崎は続けた。

  「このままでは可哀想だと思ったので少しですが助けてあげましょう」

 変人などといって申し訳ない。この人は女神様だったのだ。

 熱い手のひら返しと言われようとも知ったものではない。ブッコローは使えるものは使うミミズクであった。

  目の前にたつ岡崎を慈悲にあふれている存在ととらえブッコローは心から「岡崎さん。いえ女神様ありがとうございます」と信心深い教徒のように深く頭を下げた。

 「いえいえ。礼には及びませんよ。あなたは私が大事にしている蓄光ガラスペンのマスコットに少し似ているので少し様子をみてみたくなったんです」

と岡崎は照れながらそのガラスペンをみせてくれた。微妙に自分に似ているそれはうすぼんやりと光っていたが、光る理由がよくわからず確実に購入者を選ぶものであるなということだけは文房具に明るくないブッコローでもわかる代物であった。

 前言撤回。極めて個人的な理由で助けてくれようとしているこの人は女神サマかもしれないが名前を呼ぶとしたらザキさん以外にあうものが思いつかない存在となった。

 しかし…

 いろいろな感情に襲われぐちゃぐちゃになりつつも冷静に頭を整理する。

 自分の肝臓を救ってくれるというのであればもう目の前の青い飛行物体がUFOでも神がかったなにかでも何でもよいし、何なら目の前にいる女性が宇宙人でも女神を名乗る変人でも何でもよかった。 

 「ザキさん。助けてくれるとおっしゃいましたが、どう助けてくれるのでしょうか…?」

 控えめに問うブッコローに前述のガラスペンを大事そうに仕舞いながら、私は文房具が大好きなんですよね~と独り言とも語りかけともとれるような言葉とともにこちらに目線を合わせて岡崎は質問をしてきた

 「ブッコロー。あなたの一番の趣味はなんですか?」

 「競馬です」

 きっぱりと言うブッコローにそんなに食い気味に言わなくても…と苦笑いをしつつ、そうですねぇと岡崎は少しの間考えると 

 「ではその大好きな競馬の掛け金のかわりにあなたの肝酵素がかけられるようにしてあげましょう」

 「え」

これは妙案だと言わんばかりの声色で岡崎は更に続けた。

 「趣味ということは勝つことが多いんですよね?私競馬は詳しくないのでよくわかりませんが…好きなことで少しでも楽しく体が楽になるならいいんじゃないですか?」 

 よしそうしましょう早速手続きを…と岡崎がなにやら綺麗に輝く紙を用意し契約内容を書こうとすると遠くから


 ((ザキさん。さすがに賭博で負けると命かけなきゃならなくなるような加護は与えちゃダメです。それは弊社の理念的にアウトです。))


 と止めに入る声が聞こえた。 P(プロデューサー)に怒られちゃったので少し変えましょうか…また少しの間悩む様子を見せると岡崎はこういった

 「……では競馬で勝てばその分次に飲むアルコールが肝臓にかける負担率を下げるようにしましょう」それなら最悪負けがこんでも飲まなきゃいい話ですもんね~とさらさらと書き込む岡崎にブッコローは完全においていかれていた。

 女神サマは会社員なのか?というかコンプラ案件とか本契約前にPがはいるとかどういう世界観なんだ?

 「まっ…まってください!女神サマ。いやザキさん。あなた達はなんなんですか???」

  「私達は有隣堂という組織です。ブッコローあなたにはこの契約書を挟んだ叡智の本を上げますので少しみてみてくださいね」

 ほわほわと笑うザキさんにはぁ~とブッコローはもう何も言えなかったがとりあえず週末WINSに通い始めることを決めた。




 「正直普通に競馬をしているのと何も変わらないんじゃないですか?」 

 ザキさんに向かい合いながらブッコローはいった。

 競馬をはじめて数ヶ月。確かに万馬券になるような大勝ちはしていない。にしてもアルコールへの還元率が悪すぎるのだ。

 3.5倍の掛け馬が当たったとてアルコール反映は天の声のディレクションが入り1/100になってしまう。そのためそうそう肝臓への代謝は変わらないことにブッコローは気づいてしまった。

 まぁ確かに即効性のある結果には繋がらなかったかもしれませんねと少し眉を下げブッコローの周りをくるくる歩き

 「そうですね~。では今までの貯まった勝ち星の代わりにこの少し良い鉛筆をあげましょうか?

  これは少しだけコチラの加護のかかったものなんですよ~。鉛筆単体としても鉛の含有量が多いので発色もいいですし非常に良いものですよ」

  岡崎は某有名メーカーに酷似している鉛筆をブッコローに渡した。

 「その鉛筆で馬券を買うときのマークシートをうめると肝機能ポイントがよくなる率が上がるような機能をつけてあげましょう」

 あんまりおまけしてばっかりだとPに怒られちゃうのでこういったものが欲しくなったらお互いにやり取りをする課金方式にしましょうね。と少女のような茶目っ気でブッコローに岡崎は笑いかけた。

 顔を合わせる機会も増え、何となく人となりを理解できるようになったと思っても時たま人智を超えるものをさらりと出し、似合わない若者言葉を交えて話してはこちらを困惑させる岡崎に「なんなんすかほんとに……」と思わずひとりごちる

 「それは有隣堂しか知らない世界ということです」

 ザキさんの笑顔とその言葉は一週間ほどブッコローの脳に焼き付き離れなかった。




  医師に言われた次の外来は2週間後に控えている。もしダメだった時は本気で禁酒をしなくてはならなくなるだろう。その前にせっかくザキさんがくれた特別なボーナスタイム。肝臓に負担のない状態で酒をたらふく飲んでおきたい。 

 ブッコローは岡崎に貰った鉛筆を握りしめ阪神競馬場にきていた。


  ここまでの全10R小さくではあるが勝ち越している。最終レースである大阪杯。ここで大きく勝てば豪遊しても肝臓はノーダメージ。少なくとも単勝でもあたれば医師に後ろめたさなくアルコールが解禁できるギリギリのラインにのるのは確実であった。

  ブッコローは全てをかける気持ちで推し馬であるマニタカミースギを軸に馬券を購入した。

  聞き慣れたG1のファンファーレを受けゲートに入るサラブレッド達、そしてブッコローの命運を乗せ走り出す。

 レースが始まり馬達はブッコローが想定した通りのレース展開を見せていた。

((よし、このままの位置取り、今日の仕上がりであればマニタカミスーギは必ず上手くしかけて残り500mで先頭にたてる…!!)

 そのままでいってくれと心から願いながら見守る場上は最終コーナーを抜け直線。逃げる先頭のイクデキージョが想定より足が残っており一方のマニタカミスーギは思いの外のびない。

 残り500mを切りじわりじわりと差し迫るがゴールまで200m、100m…。

 ゴールは写真判定の表示であった。肉眼で判断がつかなかった以上もう神のみぞ知る世界である。ここまでともに歩んできた岡崎の属する有隣堂でも知らない世界であろう。

 己の肝臓はどうなるのか…果たしてマニタカミスーギは無事に勝ち切れただろうか。

「さるべきえんは……」   

古語にもなろう心境で電光掲示板が変わるのをただみる春の15時。

 「結果出る前なら普通の飲酒ってことになるのかな~」

馬券とミミズクは結果をみずに人の波の中に歩み始めた。

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