コロナが続けばいいのに

鬼平主水

2019年

第1話

 両親曰く、あかりという名前は「常に朗らかで、周りの人を明るくする人になるように」という意味を込めてつけたのだという。

 だが今のわたしはその真逆の性格だ。

 勤め先こそアパレル企業という流行の最先端を行くような業種だが、担当部署は経理である。日々若者の心理を掴むようなトレンドに気を尖らせるわけでもなく、わたしはいつもパソコンとにらめっこしていた。


 普段から、わたしは会社の人と自ら親しく話すことはない。別に嫌われてるわけではない、と思う。他の人は気軽に話しかけてくれるし。ただこっちから話すような話題がないだけだった。

 時々、同じ経理部の仲間と昼食に行くことがあるが、大抵わたしは聞き専に回っていた。

 今日も経理部数人と社員食堂にいたのだが。


「前から気になってたんだけどさ、鈴木さんって何でいつもマスクしてるわけ?」


 珍しく話題はわたしのことになった。この質問をしてきた鷹井たかいという女子社員は、わたしの一つ先輩にあたるのだが、他人のプライベートゾーンにまで踏み込んでくるお節介な女だった。でないとわざわざこんな質問はしてこないだろう。

 彼女の言うように、わたしはいつもマスクをしている。冬場や花粉症の季節はともかく、夏場でも気にせずにつけているのは、たしかに気になっても仕方があるまい。だがわざわざ訊いてくる必要はないだろうに。


「慢性鼻炎でして、花粉症もあるんで」


 ここは正直に答えることにした。


「ええ、でも夏もつけてるじゃーん」


「前はつけてなかったんですけど、いちいち着け外し考えるのも面倒で……」


「そんなもんかなあ? わたしだったら気にせずにマスクなんかしないけど」


 あんたのことは別に聞いていない。鷹井はいつもこうして自分の話に最終的に帰結させるのだ。これがテクニックということだろう。


 わたしがマスクを外さないのはもう一つ理由があった。都会の空気になじめないのだ。

 田舎から就職のために上京してきて、もう何年になるだろうか。気がつけばわたしも27歳だ。それでもまだ都会のこの空気には慣れないでいた。ただでさえ故郷でも引っ込み思案だったのに、東京に来てからは、あまりにも違う種類の人間達が多すぎて、いわば人酔いをもよおすこともあった。それに耐えるためのマスク。夏も外せなくなったのはそのせいだった。


「鈴木さん、可愛いんだからマスク外したらいいのにぃ」


 平田ひらたという別の女子社員が余計なことを言ってきた。彼女が本心で言っているのかどうかはすぐに分かる。本心で言っていない時は、それを悟られないようにするためか、語尾に小さい「ぁぃぅぇぉ」がつくのである。


「ありがとうございます」


 わたしも本心でないお礼を返してやった。しかし平田も鷹井もそんなことつゆも知らない。


「ほんとほんと、ずっとマスクしてた方が苦しいでしょ? 外せるときは外したら?」


「は、はあ、考えときます」


 笑顔を取り繕ったつもりだが、もしかすると固くなっていたかもしれない。

 なぜこうもこの人たちは自分の基準でものを語るのだろうか。誰かに迷惑をかけてるわけでもあるまいし、ほっといてくれていいのに。それにもうすぐ十月だ。まさにこれから風邪の季節。マスクしてないとやってられない。

 もしこの世がマスクを着けるのが当たり前の世界になったとしても、この人達は一切マスクを着けるつもりはないのだろうか。


 今日はもやもやしながら仕事を続けた。

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