chapter.end to end. / とある愚者の追想
隠れ蓑にぴったりのつまらない女だと思った。
春の夜会でぼんやりと壁の隅に背中を寄せて、全体を眺めている物静かな姿を見た時、これだ、と思った。
グラスを片手に社交辞令的に少し会話をしただけなのに、うぶで可愛い型にはまったような令嬢然としている娘は、あっという間に手のひらの上に転がり落ちてきた。
一つ、また一つと増やし抱え込み、流し、蓄えてきた宝物もいつまでも屋敷の地下に封じ込めておくわけにはいかない。
無能だ、横暴だと揶揄され即位しても愚鈍な王になると噂されていた王太子が、実はひそかに内耳の情報から国庫の出納を調べているとは知りもしなかった。そうして、いくつか尻尾を掴まれ逃げきれず捕らえられた者もいる。
だがまだ、我が家に手は伸びていない。
それに、協力者もいる。
「何を考えているのか」
自分に相談もなく、彼女の屋敷にお祝いにかこつけて挨拶に行ったと聞いた時は、心臓が縮み上がるかと思ったものだが、何ということもなかったようだ。彼女、セレーネは自分たちに王室の紛失した宝飾を探す王太子の手が届くのを恐れて、断腸の思いであの耳飾りを手放そうとしたそうだが。
疑うことを知らない令嬢は、断固として受け取らず、あまつさえこの婚約式に招待をしたという。
螺旋階段から婚約者が階段を昇り始めたようだ。
室内階段の踊り場でその様子を眺めやりながら、気をもんでいると、視界の片隅でちらちらと動くものが見つかり、マルセルはちらりと視線を投げた。
自分が贈った薄桃色のドレスがよく似合っている。
両耳にはここから離れていてもしっかりと確認できるほど、煌めきがまばゆい大粒の耳飾りが見て取れた。本当は、隠れ蓑の方に両方を贈る形でかくして置き、婚約の正式の破棄が決まった後に取り戻そうと考えていた。
セレーネがあれほど固執して、絶対に譲るのを頑としてよしとしなかった首飾り。王家の秘宝の一つで、あれさえあれば一生暮らすに困らないほどの財が手に入る。
「セレーネには悪いが」
あの耳飾りと首飾りをいつまでも手元に置いておくのは大変危険だ。
少しの間であれば身に着けてもよいだろうが、公の場所となるとまずい。派手好きで衣装や見た目にもこだわりを持ち、他人に称賛されることを喜ぶ恋人の姿を思い浮かべると、外に持ちだして身に着けることを許すことはできない。
わかる者が見れば、あれが何かわかるはずだ。
戻り次第欲しいという人物に足がつかないように譲る手筈だ。
セレーネは絶対に令嬢が自分にあの首飾りを返すはずがないと主張したがマルセルは違った。
愚直で生真面目で礼節の塊のような娘のことだ。
婚約破棄された後、元婚約者から贈られた宝飾品を身に着けたいとは思わないはずだし、どこかに売却するとも思えない。だとすれば、律義にこれまで贈った宝飾品を突き返してくるだろうということは容易に想像できる。
まるで本当のお人形のように。
「きれいだよ」
誰でも着飾ればそれなりだというが、今日の彼女はいつもと、否、これまでと
いつもはただ穏やかに退屈な光を浮かべるだけの蜂蜜色の瞳が、今日は射貫くような、ハッとさせるような光を浮かべてこちらを直視している。
首元に輝く豪奢な首飾りに負けない凛とした佇まいに、彼女が何と言ったのかさえ聞き取れなかった。
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