chapter.7 / 星の指輪

 目を見開いたアンテリーゼがエヴァンゼリンを見やると、彼女は沈痛な面持ちで眉根を寄せ頷いた。


「ごめんなさい。アンテリーゼ。あなたを騙すようなことをしてしまって。実は、以前からメルツァー伯爵が怪しいと踏んでひそかに調べていたのだけれど、どうしても証拠が見つからずにいたの。昨日、あなたから話を聞いて、もしかしたら首飾りや他の装飾品が見つかるのではないかと思って、一緒に装飾品の行方を捜していらしたデルフィーネ様にすぐに相談したのよ」


「失われた宝飾品は巧妙に隠されていて、どうしても足取りが見つからなかったのですわ。宝物庫の出入りが多いことや、不審な売買の記録だけではどうしても訴追のための証拠が足りない。この状態でメルツァー卿を弾劾しても、立件はできませんし、罪を問うて償わせることもできない。確証がないまま権力ごり押しで投獄することも可能だけれど、エヴァンゼリンは何より、あなたのことを心配して最後まで粘ると譲らなかったんですわ」


 見かけによらず強情な性格と揶揄されたエヴァンゼリンは椅子から立ち上がると、バランスを崩してその場に倒れた。


「エヴァ!」


 アンテリーゼは慌てて駆け寄ろうとすると、エヴァンゼリンは侍女の手を借りながら、片足を引きずる格好でアンテリーゼの傍まで数歩進み、懺悔するように跪いた。


「本当にごめんなさい。リーゼ。あなたに心配をかけたり迷惑をかけるつもりはなかったのだけど、かえって、巻き込んでしまって」


 翡翠の瞳から透明な雫をぽろぽろと零しながらエヴァンゼリンは堰を切ったように話し出した。


「あなたたちが結婚を前提にお付き合いをはじめた以前から、メルツァー伯爵家の財務状況に不審な点があったの。王太子殿下は各部門の出納について不審な点がないか洗い出しをされている時、いくつかの不正な公金の詐取問題を見つけられて、その中にメルツァー伯爵家も含まれていたのよ。これまでは金額が莫大ではなく、頻度も高くなかったことから見逃されていた可能性はあったのだけれど、癒着した管理の一人が出納記録を捏造し、不正に公共事業への補助金を横領していた事実が発覚し、その中核にいたのがマルセル卿のお父様だということがわかり。そこから、様々な箇所にいくつか分散して、一回としては小規模だけれど、全体として合算すればかなりの額がメルツァー伯爵家に流れていたとわかったの」


「そんな」


「それだけでなく、浅ましくもあの愚か者たちは、王宮の宝物庫から盗んで運び出した美術品や宝飾品を愛人や親類縁者に与えたり。宝石は石と台座を分けて足がつかないよう別々に売買し、魔石は息子が取り外して違法な流通経路で流して金品を得ていたということが判明したのよ。自分の地位と職務を利用するなんて、ずる賢いと言えばそうなのでしょうけれど」


 フン、とにべもなく言い捨ててデルフィーネは扇をパチンと閉じた。


「一連の出来事がはっきりと明るみに出たのは、この首飾り。本当は対になる本物の耳飾りがあるはずなのだけれど、今日見つかったのはこの女神の涙の首飾りだけ。……、この首飾りは代々の王太子に嫁ぐ娘が婚約式の日に身に着けることを許される王家の秘宝」


 扇の端を首飾りに向けて置き、デルフィーネはその場から立ち上がってアンテリーゼに振り返る。


「本来であれば婚約式の日、エヴァンゼリンが身に着ける予定であったこの首飾りが紛失していたことをきっかけに、王太子殿下はこの事件の終息と首飾りの発見に全身全霊を注ぐことにされたのですわ」


 押し黙ってしまったエヴァンゼリンのうなじを見下ろす格好で、アンテリーゼは凍り付いた。まさか、自分が婚約式で身に着けるようマルセルに贈られた首飾りが盗品で、あまつさえ王太子妃となることが決まっているエヴァンゼリンが本来であれば婚約式で身に着ける物であったなんて。


 友人の一人としてエヴァンゼリンの婚約式に招かれ、王宮の茶会に呼ばれたアンテリーゼはその日のことをうっすらと思い出した。だがやはり、どう思い出してもその際のエヴァンゼリンが身に着けていたのはこの首飾りではなく、別の、瞳の色に合わせた美しく華奢な装飾具だった気がするのだ。


「なんて」


「浅慮ですもの。後先のことなどきっと目先の欲に眩んで考えもしなかったか、見つからないとでも考えたのか。どちらにせよ、王家の宝物を盗むなど極刑に等しい重罪ですわ。よくて流罪。領地の没収はもとより、爵位の剥奪、私有財産はすべて差し押さえられて国外追放すらあり得ますわ。宝石でとどめていればまだ救いようがあったのに、王家の、魔石の宝飾品にまで手を出すなんて」


 王家に限らず、特に魔石を用いて作られた宝飾品には指向性のある魔術や国外秘である魔術が使われていることが多い。そのため、魔石の売買には特別な資格が必要で、魔石を用いた美術品や道具、宝飾品などを販売する場合は国に届け出が必要で、現物を魔石鑑定士が確認の上、許諾を受けた者だけがその販売を許可される仕組みである。


 申請を出さず売買される魔石は新古品問わずすべて違法で、その罪はかなり重い。


「国内における魔石の流通はひと粒も漏らさず国が管理します。いつ、誰がどこで、何を、どれくらいの大きさで、どのような属性、特徴、魔力、産地が分かれば産地のものを流通させるのか。その情報は毎日魔石管理局であるアブソリュートでまとめられ、国内の一級以上の魔石鑑定士のところに日々報告されます。目を皿のようにして探しても、当該の魔石が出てこないとなれば、裏で取引をされているか、未だ販売をされずどこかに隠されているかどちらかだと殿下たちは推測を立てました。そこで、本物の魔石の行方を私に探すように依頼が為され、リエリーゼ嬢には偽物に似せた本物が流通していないか各商業ギルドに子爵家から連絡を飛ばし、物理的に監視させることにしたのです」


 フィオナはすっかり冷めてしまった紅茶を一口飲むと、薄い金色の相貌を紅茶の水面に注ぎ入れた。


「大抵の魔石というのは独特の魔力波動を持っているので、一級以上の魔石鑑定士であれば、その魔石の特性さえ理解している場合において、探査の魔術を使って魔石を探し出すことが可能です。ですが、王家の宝となると問題が発生します」


「王家所有の宝石や美術品や絵画、指向性のある呪物にも一部そうしたものがあるのですが、そうしたものには特別な魔術や精霊の加護、神々の祝福といったものがかけられていたり、追跡できないように隠匿の魔術が施されているものが多くあります。建国以来数多くの内紛や王政転覆などもありましたし、他国から侵入された際、守りの装身具は時に保護を妨げます。魔石の魔力を追尾捜索することができれば、その者がどこに逃げ隠れているかがわかるからです」


 リエリーナは耳飾りを丁寧な動作で柔らかい布で拭きながら箱に戻し、フィオナが乱雑に転がした翡翠の指輪を手に取った。


「宝石や魔石には祈りが込められています。それは魔力あるなし、魔術あるなしで、持ち主やそれに付随するものが豊かさを、幸せを、喜びを、楽しさを、悲しい時は心の支えや寄り添いになるようにという、ささやかな祈りの欠片です。困った時、悩んだ時、そうした時も自分の代わりにその人の憂いを取り去ることができますように、という心という祈りが込められています」


 アンテリーゼはリエリーナがそっと摘み上げた指輪の陰影を静かに見つめた。


「特級の魔石鑑定士においても、その祈りを付与された特別な宝物庫の装飾品を探し出すのは至難の業。悔しいけれど、さすがは宝物庫に五代続けて務めていただけはあるわね。何にどのような魔術が施されているか熟知しているからこそ、すぐには見つけることができなかったのだから」


 マルセル達は宝物庫の中にある宝飾品や美術品の中でも、そうした特別な魔術がかけられていて、魔石の魔力を探査できないもの。簡単に言えば、一度持ち出してしまえば見つからないものばかりを選んで計画的に犯行を重ねていたということがいえる。職務で得た知識をうまく利用し、入念に下調べをして足がつかないものばかりを選んだというところだろうか。


 足元から地面が崩れ去っていく気持ちがして、アンテリーゼは眩暈がしそうだった。


「様々な角度から調べていくうちに、メルツァー伯爵が犯行の手綱を握っていることはわかったのだけれど、本当にそうなのか。それとも確証がない疑惑だけなのかで判断が難しかったところに、あなたの奇妙な話をエヴァンゼリンから聞いたのですわ。アンテリーゼ、あなた、家宝伝来の指輪が怪しいと踏んでいるのではなくて?」


 デルフィーネに問われて、アンテリーゼはハッとして自分の右手の指輪を見下ろした。


「はいはーい。見せて見せて」


 するりとどこからともなく白銀の髪が目の前を横切り、エヴァンゼリンの横に片膝を立てて座り込んだフィオナがにんまりと笑う。


「わぁ素晴らしい。なんて美しい星の瞬き。小さいけれどとてもとても貴重な魔石のついた指差ですよ、アンテリーゼ嬢」


 少しひんやりとしたフィオナの指先がゆっくりとエヴァンゼリンの手のひらを包み込む。


「これはね、今から三百年くらい前に、最初で最後に発見されたとても特別な魔石の原石から作られた、国に五つある至宝の装飾品の一つなのですよ。一つは東の帝国に。一つは南の公国に。国内には現存するものが二点あり、そのうちの一つはもう魔石が摩耗して砕けてしまい台座だけが保存されているのだけど。その五つの内の最後の一つが、あなたの持つ星刻の指輪なんだよ」


「星刻の、ゆびわ?」


 フィオナはこれまでで見た中で一番の笑顔をアンテリーゼに向けて強く頷いた。


「そう。それは通り名だけれど、そう言われてる。指輪の代々の女主人が命の危機に瀕した際は、近い未来で訪れるその死を回避するため、七度に渡り、近く訪れる死を回避するための方法を見つけられるよう夢で警告をする、と伝わる。あくまでも伝承だから、使ってみないことには何とも言えないけれど。使う人によっては、本当に死に瀕した際、時が巻き戻って生き返るとも言うけど、時を遡る魔法や魔術がない以上、事実そんなことは起こりえないと思うんだ。――アンテリーゼ嬢は、夢を見たのかな?」


 興奮冷めやらぬというような爛々とした表情で、整いすぎた美麗な顔がアンテリーゼに近づく。


「ゆ、夢?」


 フィオナはアンテリーゼの指輪に目を落とし、星の刻印の奥で鈍く輝く小さな白銀の石に目を落とす。


「多分、魔石としてはもう役目を終えてしまったのだけれど、願いの残滓が残っているね。あなたに近い血縁の女性でこの指輪を持っていた人が、あなたが自らの意志で幸せを得ることを願っているようだよ」


 フィオナの優しげな声音は、心にのしかかった思い切りを切り裂くに十分だった。

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