猫界一の美女。
たまこ
はじめまして!
第1話
「ねぇ、おねえちゃん、だいじょうぶ?」
遠くで、幼い声が聞こえる。可愛くて、優しい声だ。
「息はしているし、生きてはいるだろう。怪我が酷いが、幸い骨は折れてないみたいだ」
もう一人、こちらは冷静な、低い声。冷たく聞こえるけど、心配してくれているみたいだ。早く起きて、大丈夫だって伝えなきゃ。あぁ、こんなに心配してもらえるなんて、あの子以外初めてだ。うれしい。早く起きて、ありがとうって…。
ぱちり。
私が目を開けると、眩しい光が差していて、しばらく周りが見えなかった。徐々に目が慣れてきて、目の前には声の主がいた。
「おねえちゃん!めがさめたんだね!いたい?」
「……声が出せるか?」
私の目の前には、人間、ではなくて。ふわふわの毛並みの子どもの茶トラ猫と、キリッとした表情のキジトラ猫が当たり前のように話していた。何度も瞬きしてみるが、全身猫。
「ねっ…!なっ…!は…!」
パニックになり、言葉にならない私に、二匹は心配そうに顔を覗き込んでくる。
「おねえちゃん、のどいたい?くるしいの?それともくちのなかも、けがしてるのかな?」
「落ち着け。ゆっくり呼吸できるか?吸って、吐いて、もう一度だ。吸って、吐いて、吸って、吐いて、上手だ。」
促されるまま、深呼吸する。しばらく続けていると、呼吸の乱れが治まってきた、心の乱れは治らないけど。
「名前、言えるか?」
「えっ……サチ。」
「かわいいおなまえだね!」
茶トラが目をキラキラさせながら褒めてくれる。
「えっと、あの、助けてくれてありがとう…でも、その、なんで、ねこ…」
私の言葉に、茶トラはにっこり笑い、キジトラは怪訝そうに顔を顰めた。
「そうだよ!おねえちゃんとおなじ!ぼくたちねこだよ!おなじ!」
「記憶障害か…一時的に混乱してるだけだろうか」
キジトラが私の脳を心配しているみたいだけど、私にはその言葉は届かなかった。同じ?同じって…?
そこでやっと私は今の自分の体を見回す。体中が真っ白なふわふわの毛。綺麗なピンク色の肉球。白くて長いしっぽ。見えづらいけど、ピンク色の首輪とそれに宝石のようなアクセサリーが付いているのが見えた。この宝石、見覚えがある。
茶トラとキジトラ、もう一度じっくり見てみると、少しずつ記憶が甦る。そうだ、この子たちは…。
「おねえちゃんって、どこからきたの?すっごくかわいくて、おひめさまみたい!」
お姫さま、そう、この世界は。
再度意識を失った私に、二匹は慌てて、声を掛ける。返答したいけど、上手く声が出せない。
「おねえちゃん!おねえちゃん!」
「おい!しっかりしろ!」
猫が話すこの世界は、乙女ゲーム『私が愛する猫の旦那様』、通称『ねこダリ』の世界だ。
◇◇◇◇
私は日本の片田舎に住んでいる、19歳のフリーターだった。普通の女子、と言いたいところだが、多分、おそらく、少し、変わっている。
育ったのは汚いボロボロの団地で、父親はおらず、母親もほとんど帰ってこなかった。ネグレクト、という言葉を知ったのは、大きくなってからだ。学校にもほとんど行けず、もちろんオモチャなんてないから、毎日暇で暇で仕方なかった。
似たような境遇で、同じボロ団地に住むアッコだけが、唯一の親友だった。ある日アッコが、暇を持て余し、近所のお姉さんから要らなくなった大量の乙女ゲームを貰ってきた。今になって思えば、小学生相手に何を渡してるんだ、と言いたいところだが、これが私たちが沼に嵌る始まりだった。
アッコは、お姉さんにもらった乙女ゲームを万遍なく、どのジャンルも嵌まっていた。特に歴史モノが好きで、よく語っていた。アッコの話すことの半分以上理解できなかったけど、幸せそうに話す、アッコを見るのが私は大好きだった。
一方、私は『私が愛する猫の旦那様』、通称『ねこダリ』のみ嵌まり、何百回もプレイしていた。『ねこダリ』は、本物の猫が恋愛対象の乙女ゲームだ。アッコには「猫耳男子とか獣人ならまだ分かる!これはガチ猫じゃん!」と何度も突っ込まれていた。乙女ゲーム界隈でも、物議を醸す作品だったようで、プレイ人口は多くないがコアなファンが多い作品となっている。
ともかく、アッコは歴史系乙女ゲームに、私は『ねこダリ』に嵌りながら、仲良く過ごしていた。お互い、酷い家庭環境だったから、高校卒業してしばらくは一緒に住み込みのバイトをして、必死で貯金して、やっと二人でルームシェアを始めたばかりだった。やっと心穏やかに生活できるって、そう思っていた。
あの日、アッコが登山に行くと言い出した。アッコの好きな『戦国大名に恋してる』の名シーンの舞台が、その山なのだと言う。アッコは聖地巡礼が好きで、私もいつもなら、ついて行っていたのだが、あの日だけはどうしてもバイトの休みが取れなかった。だから、あの日、アッコを見送って、そして。
「……おい!おい!しっかりしろ!」
目が覚めると、キジトラ猫が私を揺さぶっていた。
「……あ、れ…なんで…」
「大丈夫か?酷く魘されていた。一度目を覚まして、それからまた気を失ったんだ。覚えているか?」
小さく頷くと、キジトラ猫の難しそうな表情が少し弛む。
「良かった。こいつも心配して、離れたがらなかったんだ」
キジトラ猫が目線を落とすので、毛布の中を覗くと、私のお腹の方に茶トラ猫がピタリとくっついて、すやすや眠っていた。
「なぁ、何か自分のこと、分かるか?家族は?」
「いない、捨てられたの」
無意識に、でもハッキリとそう答えていた。キジトラ猫が、ピクリとし、表情を歪めた。
「……じゃあ、友達は」
「ひとりだけ」
「その子は…」
「……いなくなっちゃったの。あの子しか、私にはあの子しかいなかったのに」
あの日、アッコは登山に行ったまま、戻らなかった。
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