仮想世界からの使者

懲りた猿

横浜の春

 スギ花粉で鼻がムズムズし始めた、春先の横浜。伊勢佐木町の商店街「イセザキモール」は多くの買い物客で賑わっていた。


 その日は、昼過ぎからYouTubeの撮影だった。有隣堂・伊勢佐木町本店の六階、撮影スタジオにはいつものメンバーが集まっている。


 人気コーナーの『最新・個性強すぎ文房具の世界』の収録は、歩きながら本が読める肩掛け式ブック用ジンバルの登場で大いに盛り上がった。

 歩きスマホが禁止されているくらいなので、公共の場での使用許可がなかなか下りないらしい。それでも使い心地は最高で、視線を認識して滑らかに距離や角度を調整するジンバルの動きは素晴らしい。


 ブッコローの突っ込みが冴えまくる。

「こういう無駄な発明、最高っスねぇ〜。しかも、四万八千円って、高っけェ。メーカー、売る気ないっしょ」


 収録後、夕方になってもメンバーは代わる代わるジンバルをおもちゃにして遊んでいた。


「これならジョギングしながらでも読書できますね」

 ジンバルを付けた有隣堂の文房具バイヤー岡崎弘子が、小走りをしながらはしゃいでいる。その滑稽な姿を見て、広報担当の渡邉郁が涙を流しながら笑い転げていた。プロデューサーのハヤシユタカが慌ててビデオカメラを構え、岡崎弘子の姿を追う。



 陽が沈みかけた、ちょどその頃、突如、横浜に巨大なトリが飛来。みなとみらいに降り立った。

 五〇メートルほどもある巨体は、3Dコンピュータグラフィックスで作られたように見える。あたり一面を照らしながら、ゆっくりと呼吸をしていた。


 サプライズイベントでも始まったのだろうか? それがミッキーであれば大歓声でも沸き起こるのだろうが、カクヨムのトリはカクヨムの利用者にもあまり浸透していないので、一般の人たちが知るはずもない。ただ唖然とトリを見上げていた。

 中には、スマホを向けて写真を撮る物好きなカップルもいる。大観覧車のイルミネーションと重なって、目を奪われるほど美しかったからだ。


 しばらく、周りを見回していたトリは、やがてゆっくりと大股に歩き出した。ランドマークタワーの目の前まで来ると、立ち止まった。翼を広げ、大きく呼吸をすると体がひとまわり膨らんだように見える。


「パギャアァァァーッ」叫び声が耳をつんざく。


 トリの放ったラリアットが、ランドマークタワーの横っ腹に食い込んだ。ドーンという低い衝撃音がみなとみらい一帯に響く。ゆっくりと崩れ落ちるランドマークタワー。展望フロアが斜めに沈んでゆく。


 入道雲のように舞い上がる粉じん、揺れる大地、逃げ惑う人々。一瞬で横浜は地獄と化した。



「ん、地震か?」

 本店六階の窓ガラスが、跳ねるようにガタガタと震えた。何かが落ちて割れる音や、誰かの悲鳴が聞こえた。地震を知らせるチャイムと、落ち着いて身を守るよう館内放送が流れた。


「あれ、やば、電気も切れたぞ」

 室内が真っ暗になり、緊迫した空気に包まれた。スマホとノートパソコンだけが不気味に光っている。


「地震じゃない。トリがランドマークタワーをぶっ壊したらしい、ほらっ」

 ハヤシユタカがスマホ画面を差し出す。

 ツイッターの投稿には、『なんだこのキャラ?』の文字や、下から見上げたトリの姿の画像がいくつも上がっていた。


「もしかして……」渡邉郁がノートパソコンの前に座る。


 彼女は、半年前、二〇二三年の秋に起こった大惨事を思い出していた。

 北海道の旭山動物園に、全長八〇メートルのティラノサウルスが突然出現。三分の二の檻が壊され、半数以上の動物が犠牲になった。その一週間後、京都に巨大な仏像が出現。清水寺を破壊した。


 新型コロナウイルスの流行による移動制限がようやく緩やかになり、国内外からの観光や修学旅行などの学校行事が解禁されたばかり。その矢先の悲劇に、人々は再び憂鬱になった。


 この二つの事件に共通するのは、恐竜も仏像も破壊行為を終えると忽然と姿を消したことだった。

 ネット上では、様々な憶測が飛び交った。暴走したAIが仮想世界のモンスターを乗っ取って、現実世界を侵食しようとしたんじゃないか。外へ出掛ける楽しみを奪い、仮想世界への依存度を上げようとするIT企業の陰謀かなど、真相はいまだに不明だ。


「きっと、これよ!」

 渡邉郁がノートパソコンのニュース画面を見せる。


「いやいや、郁さん。仮にそうだとしても、カクヨムのトリが横浜に何しに来たわけよ?」ブッコローが質問する。


「娯楽施設を潰し、観光地を潰した。で、今度は読書の拠点を潰しに来たのよ」

「トリが? どこを潰しに?」

「もちろん、ここ。有隣堂の伊勢佐木町本店」


 そこにいた全員、彼女の発言に息をのんだ。


「現実世界の全ての楽しみを奪って、人間を仮想世界に取り込むってことですか?」

 岡崎弘子が不安げに首を傾げる。


 言われてみれば確かに、WEB小説と紙の本の小説との橋渡し役であるトリは、AIにとって都合の良い、乗っ取りやすい存在なのかもしれない。

 今や百万人を越えるYouTubeチャンネル登録者数をもつ有隣堂をつぶせば、紙の本好きに与えるダメージは相当なものだ。仮想世界での読書に移行させる、いいきっかけになる。


「何とかしなきゃ」

 渡邉郁は社長に電話して、応援を要請した。

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