双曲線上のタヌキ

江山菰

第1話 デフォルトは全裸

 このうちでは、僕は家事担当だ。

 家事だってきっちりやると大変なんだ。


 今日は特に、遠出して山菜を取りに行ったので疲れていた。そのせいだろう、食後に猛烈に眠くなった。

 ほんの少し転寝うたたねするつもりが、目を覚ますと夜中の一時だった。

 うちの中は静まり返っている。

 トイレに行こうと廊下へ出ると、そこに広がる光景に思わず変な声が出た。

 廊下にはブリーフケース、スーツの上下、ネクタイ、シャツ、靴下、そしてパンツ。その配置センスはさながら龍安寺石庭りょうあんじせきてい。僕は溜息をきつつ拾い集める。

 その動線の終着点に辿り着くと……そこには、たらふく食って腹を膨らませたタヌキが股をおっぴろげて転がっていた。そりゃあタヌキなので、大変ご立派ですよ。でも非常に見たくない。

 足でつついても起きない。したがって、腹のあたりを中身が飛び出さない程度にぐりぐりと踏む。


「こんなとこで寝んな」


 ぽんぽこりんな獣がうっすらと目を開け、眩しそうに瞬きする。最高に不細工だ。


「飲んできたのかよ。 夕飯が要らんときは連絡しろって言ったろ?」


 タヌキは首をもたげ、半眼できゅううと鳴いた。ちょっと酒の匂いがした。


「山菜ごはん食いたいっつったのどこの誰だよ。わざわざ山に取りに行って作ったんだぞ」


 もう一度寝ぼけた声で鳴くと、タヌキは千鳥足で寝室へ逃げて行った。


 翌朝、兄がちゃぶ台に突っ伏していた。辛うじてパンツは穿いているが半ケツ。

 兄は意味不明なほど容姿に恵まれている。とにかくイケメン仕様がバグっていて弟の目から見てもぞくっとするくらいだ。

 しかし本人は自己評価も美意識も低い。至って小市民的性格の持ち主だ。日々絶え間なく人間に言い寄られ、あるいは嫉視されて弱っている。


「二日酔い? ほら、水」

「う……うう……」

しじみの味噌汁作ったけど」

「さんきゅう……」

「仕事行けんの?」

「行く……」


 これでも兄は人間社会ではそこそこの学歴でそこそこ稼ぐ。もちろん我が家のATM担当。適材適所だ。

 頭痛に半分泣きながら、うちのATMが妖艶に水をがぶ飲みし、味噌汁をすする。あー生き返るーと呟いたくせに、啜り終わると畳の上へアンニュイに倒れ込み眠りの淵へ沈んでいく。全然生き返ってない。僕はまた踏む。


「仕事行くんだろ、シャワー浴びろ」

「うー」

「目の周り黒いよ。耳もヤバい」

「あー」

「尻尾も何とかしろ。ズボンの後ろが膨らんでるなんて最低だからな」


 何とか身支度を終えた兄の背中を、僕は門のあたりを掃きながら見送った。

 家に入ると、作ってやった弁当が取り残されていた。食べることが大好きな僕らにとってはあり得ないことで、それだけ兄の二日酔いのひどさを物語っていた。

 僕はその弁当を会社まで届けてやることにして、ヘルメットを被り、ロードバイクに跨った。今なら駅で捉まえられそうだ。

 ご近所さんに挨拶しながら、朝の田舎道を駆け抜ける。

 とても気持ちがいい。


 兄は人間のときこそあんなふうだが、タヌキへ戻ると同族からはキモメン扱いで、婚活も全敗中。

 人間の嫁を貰えばいいのにと進言すると、そういう異種姦の趣味はないとか何とかわめく。人間社会で生きることを決めたのは兄なのに、本当にめんどくさい。


 そんな兄とは違い、僕はヒトでもタヌキでもフツメン。至って気楽だ。

 実は優しくて可愛い彼女もいる。彼女もいたって普通のタヌキで、お互い安らげる存在になっている。兄にばれたら厄介なことになりそうなので黙っているけど。


 僕は日々、何事も中庸が大事だということを噛み締めている。

 僕らは、本来の姿と人間に化けたときとで美醜が反比例するんだ。

 

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