第15話 同居生活開始

「それじゃあ俺は大学に行ってくるから」


「うん、いってらっしゃ~い」


 真奈実に見送られ、俺は玄関を出た。

 まだ5月の朝は冷えるのか、薄手の長袖では心許ない。

 だけどこれ以上着込めば昼間の日差しに突き刺されてしまう。


 朝夜は寒く、昼は暑い。

 気温がジェットコースターのように上下するのはこの季節の宿命か。

 さっさと来いよ小笠原気団。


「ああー、やっぱ行きたくねー。休校になってくれないかな」


「もう諦めて行きなよお父さん。恨むなら遠隔授業が普及していないこの時代にしてね」


 悪態をつくも、同居人から呆れたように窘められる。

 追い出されるように家を出て、大学へと歩く。


 今日は休日明けの月曜日。

 これからまた1週間講義があると思うと憂鬱だが、この休日から始まった新生活に胸を膨らませているのも確か。

 大学までの道中、物思いにふけながら先を進む。


 同居相手が恋人ではなく娘なのは本当に謎だ。

 男女の大学生が一つ屋根の下で暮らすと言えば、恋人が鉄板のはずだが何故か違う。


 相手は血のつながった実娘。

 更に言えば同い年。

 こんな摩訶不思議な出来事、誰に話しても信じてもらえないだろうな。

 まあ言うつもりも無いけど。


 ただその生活が早くも面白おかしくなっていることも事実だ。

 昨日の夕方に恋人の明音は「バイトがある」と言って帰宅してしまったのだが、それまでの半日、ショッピングモールに買い物に行ったときから考えれば1日半もの間、疑似家族を体験できた。


 それから2人でご飯を食べたりゲームをしたりと、何かと充実した休日を送ることが出来た。

 そしてこれからは明音も家に来る頻度を増やすようで。


 未だに真奈実がこの時代に来た詳細も不明なままで、いつもで居るのかも未定だが、しばらくはこの生活が送れるだろう。


 今朝もさっそく真奈実の作った味噌汁を頂いた。


 そんな事を考えながら歩いていると、もう大学にたどり着いている。

 家から大学まで徒歩5分と少し。工学部棟の講義室に入るまで更にもう5分。

 計15分足らずで到着出来る。


 1限までまだ時間に余裕があるからか、講義室にはまだまばらにしか生徒はいなかった。

 各々好きな席で談笑したりパソコンを操作していたりと、自由に過ごしている。


 俺も真ん中少し後ろの席に座り、教材を取り出す。

 すると隣の席に腰掛ける人物が1名。


「よう、おはよう杉本。材力の課題やったか? 答え合わせしようぜ」


 気さくに声を掛けてきた彼の名は高木真たかぎまこと

 俺の数少ない大学での友人だ。


 茶色の縁眼鏡に軽いパーマのかかった茶髪。

 本人曰く、その髪は天然らしい。

 人当たりが良い癖に、彼女が出来ないとよく相談される。


 俺に彼女がいることは隠しているから、高木から見れば同類の俺。

 ちょっぴり申し訳なさを感じないこともない。


 そんな高木からの申し出。

 断る理由などあるはずがない。


「ああー材力の課題な。ちょいとお待ち、……を?」


「おん? どうした?」


 怪訝そうに眉をひそめる高木に対し、確認するように問を投げる。


「材力って、問3までだよな?」


「そうだぞ。寧ろそこが1番答え合わせしたい箇所なんだが」


 だよなあ、と思いつつ内心で焦りを押える。


「もしかして、やってないのか?」


「ああ。すっかり忘れてた」


 問2まではすんなり終わったものの、そこからが頭を捻っても思い浮かばず後に回していた。

 休日のあれこれですっかりと頭から抜け落ちていたらしい。


 現在1限開始6分前。

 提出は講義のはじめ。

 全力でやればまだ間に合うはずだ。


「ということで高木、助けてくれ」


「はあ、仕方ねえな」


 高木に教えて貰いつつ、計算をこなす。

 関数電卓は偉大だと文明の利器に感謝していたら、何とか講義前に解き終えた。


――――――――


「長い1日だった」


「まだ2限までしか終わってねえよ」


 今日という日を乗り越えた気でいたのだが、高木からツッコミが入る。

 今は昼休憩の時間だ。


 大学は1つの講義で90分。

 2限までやったらもう正午になる。


 そして午後からまた2回講義があると思うと現実逃避もしたくなる。

 いや、5限が無いだけまだマシか。

 5限があると終わるのが18時頃になる。


 中学高校だったら部活が終わるような時間。

 大学生は時間が余りあるものと思っていたのに、蓋を開ければこれだ。


 高木と愚痴りながら食堂へと向かう。

 学生のほとんどは昼食を持参していないため、食堂か購買を利用する。


 そこでふと、家で過ごす真奈実のことを思い出した。 

 彼女のことだから作ろうと思えば勝手に昼ご飯を作って食べるだろう。

 ただ、冷蔵庫に食材が入っていた記憶がない。


 みりんや醤油を始めとした調味料にマーガリンや味噌、チューブの生姜……。

 多分すっからかんだ。


 昨日の夕飯で使い尽くしたな。

 ちなみに昨日は生姜焼きだ。


 毎度お世話になる某料理研究家のレシピ。

 昨日はその『至高』ではなく『究極』の方だ。

 かろうじで残っていた玉ねぎも使い果たしてしまった。


 我が家の冷蔵庫事情を思い出していた最中、隣から落胆の声が聞こえる。


「これは……完全に出遅れたかも」


「凄い列だな。諦めて並ぶしかないか」


 そこには、遊園地のアトラクションかと錯覚するほどの長蛇の列。

 20分ほど並んで、ようやうく昼ご飯にありつくことが出来た。


「もう一つ食堂があれば良いのに」


「確かにな。工学部は少し、いや大分遠いからな」


 食後、また2人愚痴りながら講義室へと戻る。

 今は専門科目の講義しか受けていないため、俺達は工学部の棟へと向かっている。

 大学の敷地内にそれぞれの学部棟が建てられており、そこで専門科目の授業を受けたり研究を行う。

 そして、工学部棟は食堂から最も遠い位置にあった。


 近道だからと理学部と文学部の間の少し細い道に入る。

 ここはメインの大通りからも外れているし、昼休憩ということも相まって人通りはほとんど無い。


 すると複数人の話し声が。

 大学内だから話し声などそかしらから聞こえているのだが、ここは人通りの無い細道。

 今回は何やら毛色が違うようだ。


「だから、せめてアカウントだけでも」


「結構です」


「そんなこと言わないで、少しでいいからさ」


「わたしこの後用事あるので」


 近くで起きていたのは、ナンパだった。

 複数人の男子生徒が一人を取り囲んでいる模様。

 いかにもチャラついた集団だ。


 取り囲まれている方はナンパ師達に隠れて見えないが、


 大学内でナンパなんてする人初めて遭遇したな。

 余程の美人でもいたのだろうか。


 とはいえ俺には関係の無いことだ。

 無駄に首を突っ込んで面倒事になるのも困る。


「ナンパなんて俺初めて見たよ。こういうのって助けに入ったら面倒事になるよな?」


 と高木からも同意見が飛んでくる。


 なので素通りしようと思ったら、聞き覚えのある声が。


「だから。わたし、このあと用事があるんですけど?」


 氷のような冷たい声音。明らかに拒絶しているけど、どこか無理をしているような。

 つい釣られてその方振り向く。


 ナンパ師の間からチラリと見えたその姿に、思わず困惑する。


「え、真奈実?」

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