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ワイン瓶の酒蒸し

有隣堂新店舗予定地編


 八月の某日、その配信は始まった。

「さぁー始まりました有隣堂しか知らない世界YouTube生LIVEでございまーす。はい、もうね、今すぐ帰りたいです」

 開始早々、なんともやる気の無いことを言うブッコローがいるのはいつもの撮影スタジオではない。それは何処かの屋内で、彼は部屋の照明もつけず、弱い光量の懐中電灯一本に照らされているのみである。

「さて今回は、事故物件住みますブッコロー……ではなくて、事故物件泊まりますブッコローということでね、いや本当に怖いのイヤなんだけどな……」

「……ー、あー、聞こえてますか?」

 ここで画面の右上にに別の映像が流れ始めた。

「聞こえてますよ岡崎さん。全く人になんて企画やらせてんすか、変わって下さいよ」

「え、嫌です」

 右上に映ったのはいつもの撮影スタジオもとい、有隣堂伊勢佐木町本店の六階である。どうも中継しているらしい。

 さて、いつも通りの自己紹介を終えた後、今回の企画説明が始まった。

「えー今回の企画はですね、今私がいるのが有隣堂の新店舗予定地なんですけども、どうもここが事故物件らしいってことで、一泊してお化けが映るのか、という検証をしていきます」

 ここまで言ったところでブッコローが頭を振る。

「僕さぁ、前に妻と子供いるからイヤって言ったじゃん。あれ妻と子供を事故物件に住ませたくないってだけじゃなくて、例え僕一人単身赴任状態であってもそのせいで家族の周りで怪奇現象起こるのもイヤって意味だったんだけどぉ」

「や……、まぁ多分大丈夫だと思いますよ」

「多分ってついてんじゃん……。それに普通事故物件がどうのって居住用の物件だけじゃないんすか」

 確かに告知義務というのが発生するのは居住用の物件のみで、基本オフィス等の商業事業用には該当しない。

「そうなんですけど、今回この場所を紹介してくれた不動産屋さんとは結構懇意にさせていただいてまして、それで、色々教えてくれたんです」

 岡崎弘子氏の説明曰く、どうもこの物件は十年前までは個人経営の洋菓子店だったそうで、そこの店主は特に不審な死を遂げたり事件を起こしたりすることもなく、年齢を理由に円満に店を畳み、残った建物がまだまだ使えそうだからと不動産屋に売ったらしい。じゃあ事故物件でもなんでもないじゃないですかとブッコローがつっこむと、岡崎氏はそうなんですけどと続けた。

「その後ここには幾つかお店が入ったりしたんですけど、あの、ほらここ駅から近いですし、でもどうもどのお店も長続きしなくて、ここを借りた人はみんな口を揃えて幽霊が出たって言って退去しちゃうらしいんです」

「えぇ……その洋菓子店の前になんかあったんですか? ほら建築中に大事故あったとかさァ」

 岡崎氏は手元の資料を見ながら質問に答えていく。

「いやそもそもその洋菓子店が初めというか、あの、この建物があるとこ自体、三十年位前に山を切り開いて作られた土地で、その切り開かれて直ぐに洋菓子店が出来たみたいなので……、その前とかは特にないですねぇ。山を切り開いてる最中は分からないですけど、少なくともその建物を建てている時には特に事故とかは起こってないみたいです」

 曰く付きの場所というのは大概の場合、その原因となる話がついてまわるものだ。しかしこの件ではそれらしい話がない。でもでも幽霊を理由に幾つもの店が逃げるようにこの建物を去っている。

 そのあべこべさが、何か恐ろしいことが隠されている証のようで、ブッコローは僅かに顔を歪めた。

「ところでそろそろ幽霊とかでましたか?」

 岡崎氏は自身の前にあるパソコンを覗き、ブッコローの背後を凝視しながら尋ねる。

「出てきてたら近所迷惑になるくらい騒ぎますよ『うわあああ有隣堂のせいでお化けに襲われる〜!』って。というかですね、今私と黒子さんしかいないのから私がパソコンで配信しなきゃいけなくて周り見る余裕とかないです」

 そうなのだ、今現場にはブッコローと三代目黒子さんしか居ない。これは大人数いると幽霊も出てきにくいのではないかというある種の配慮であった。が、そのためにブッコローは配信周りの色々を覚える羽目になったのである。

「まぁ今日は長期戦の予定ですし、これからが楽しみですね。そういえば、ブッコローお腹空いたとき用のお菓子持ってるんじゃないですか?」

「ヤメロヤメロ何も映んなくていいです」

 ブッコローは苦笑しながら先程黒子さんに渡された袋を覗いた。

「持ってるってか渡されましたけどね有隣堂で扱ってるらしいヤツ。あれでしょどーせ配信中に食べさせて、オカルト配信と一緒に商品の宣伝もしようって魂胆なんでしょ」

 文句を言いながらも袋の中から美味しそうな洋菓子を取り出し並べた。食べる気満々である。

「もー、こういうのはタニシさん呼んでお任せしたいだけどなー」

 タニシさんというのは以前、有隣堂しか知らない世界に出演した事故物件住みます芸人なる人物である松原タニシ氏のことを指す。彼はその名の通り様々な事故物件に住み、数々の怪奇現象に遭遇してきた事故物件の第一人者とも言える人物だ。言わずもがな、此度の事故物件泊まりますブッコロー企画のキッカケである。

 当然今回の企画が決まった直後、彼には今回の生放送に出てもらえないかと声をかけていたものの、どうも近頃本業の方が忙しくなってきたらしく惜しくも断られてしまった。

「仕方ないですよ。それに応援イラストも描いてくれましたし、喜んで貰えてじゃないですか」

「僕は喜んでないです」

 それから暫くは雑談が続いた。今回の企画は矢張り夏場のホラー企画ということもあり同接数も多く、チャット欄もいつもいるゆーりんち達以外にも、ホラー好きな一見さんのと思われるコメントがチラホラと見受けられ、新規視聴者獲得に成功したと言えるだろう。

 配信開始から三十分程経った頃、視聴者達の経験した怖い話を聞いて感想を述べていた時のことである。

「……うわーうわー、それは嫌ですね。いややっぱ怖いものが自分にしか見えてなかったら疲れてるのかなとか見間違えかなで済むけど、同僚にもちゃんと見えてたってのがねぇ……」

 帰りがけ、自分の勤める会社が入るビルに只管ドン、ドンと頭を打ち付ける真っ赤な肌でガリガリに痩せた男を見たという視聴者の体験談にコメントしていたブッコローはふと、妙な物音に気がついた。

 コンとも、カンとも聞こえる、ガラスを叩くような小さい音である。

「あれ、ちょっと待ってください」

 一声かけてパソコンから顔を上げ、音に集中するとどうも背後で音が鳴っていることが分かった。背後といえば、店の出入り口がある方向。店出入り口方向からガラスを叩く音が聞こえるとくれば、直ぐにその正体に察しがつく。ガラス戸を叩く音だ。

 バッと黒子さんの方へむくと、ブッコローを持っているためあまり反応を示せていないようだが、確かに彼も気がついているようだった。

「あのー……ヤラセとかやめてくださいよ、なんかさっきから玄関のガラス扉叩く音聞こえるんですけど。これあれでしょ? 外出たら間仁田さんがドッキリの看板持って立ってるんでしょ?」

 岡崎氏は一瞬驚いた様な顔をしたかと思うと、カメラ外のスタッフ達がザワつく。

「間仁田さんなら、ここにいますけど……」

 画面の端からちらりと男性が映り込む。見まごうことなく間仁田氏である。

「間仁田さんじゃなきゃ雅代ねェとか? だって誰かが扉叩いてるよちょっと」

「大平さんは、今恵比寿店いるはずです。……というか、あの」

 ここで岡崎氏は口籠もるが、ブッコローがなんですかハッキリ言って下さいよと少し強く言うと、再び口を開いた。

「外からお店の扉を叩けないと思うんですけど……シャッター、閉めてないんですか?」

 ブッコローはハッと後ろを振り返る。

 玄関の外の、シャッターはしっかりと下ろされていた。これでは外から扉を叩くなんてことは出来ない。

 気が付いて汗が首筋を伝うのを感じる。エアコンを付けていて程よく涼しかったはずの室内はいつの間にやら寒くなっていた。

「……本当に、ヤラセじゃないんですね?」

 その言葉は、本当に怪奇現象が発生したというのも同義である。仮にもYouTuberならここでキター!! と喜び勇んで怪奇現象を実況するべきだろうが、とてもそういう気にはなれなかった。

「ヤラセでは、ないです」

 崖から突き飛ばされた時の浮遊感と、重い何かに押し潰された時の圧迫感がぐちゃまぜの、体の内側が荒れる様な感覚に苛まれていく。

「……」

 十数秒間の沈黙の後、ブッコローは雑談を続けた。また何か、目立った怪奇現象が起こったら実況するからと。

 ここから少しづつ、妙なことが増えていく。

 誰もいない辺りから音がするというのは定番で、部屋の中をパタパタとスニーカーで歩くような軽い音や、コツコツと壁を叩く音が時折鳴った。勿論ブッコローはその度に音のなる方を見るがそこには誰もいない。

 次に発生したのは異常な匂いである。第一の怪奇現象から十五六分程経った頃のこと。

「あれ、なにか変な、甘い匂いがする様な……」

 甘い、甘ったるい匂いが、部屋の中に満ちていた。バニラ、チョコ、イチゴ等、洋菓子でよく使われる食材の匂いだ。

「この洋菓子店自体は何もないんすよね?」

「何もないはずです。少なくとも、分かってる範囲では」

 ブッコローが岡崎氏に確認を取るが、やはり答えは変わらない。

 問答をする内にどんどん匂いは強烈になっていく。それは、日常とはとても呼べない異質な状況下にいる為の錯覚か、娘の誕生日ケーキを買うために立ち寄る洋菓子店の何倍も濃い、ねっとりと鼻、いや鼻だけではなく口の粘膜にすら纏わりついてくる、最早と言えるレベルにすらなっていた。

 吐き気を感じたブッコローは換気のために立ち上がり、窓に近づいてそして窓枠に手をかけたところで看過できない異常に気が付いた。

「窓が開かない、鍵掛けてないのに!」

 慌てて手に力を込めて無理矢理開けようするが、窓はうんともすんとも言わない。その声を聞いた黒子さんが半ば跳ねるように立って玄関のガラス扉を確認し、こっちもあかないとブッコローにジャスチャーした。こんな時でも喋らないのはプロ意識と言うやつであろうか。

 そしてその焦りは有隣堂本店のスタジオにも伝播しつつあった。岡崎さんがブッコローに状況を尋ねる後ろで、スタッフ達の慌てた声が交錯する。

「急いで人を、誰!? 誰が行けばいいの!? 警察も呼ぶべき!?」

「なんて言って警察呼べばいいんですか」

「嫌だ俺は行きたくないぞ!」

「こん中に行きたい人いるわけないでしょう!?」

「……なんか、甘い匂いしな、あ、あ、灯り、灯り消えた!」

 パニックはさらに悪化した。

 どうも向こうも甘い匂いが漂い初めてオマケに灯りが消えたらしい。

 一番危機的状況にいるはずのブッコローと黒子さんが却って冷静になるくらい向こうはパニックになっていた。他人が慌てると人は冷静になるものだから二人が冷静になるのはある種の道理ではあるが。

 まぁなんだ、ブッコロー達が実質監禁状態という放送事故状態で慌てていたところで、さらにある意味安置にいたはずの自分達にも怪奇現象が発生したのだ。致し方ないだろう。

 理由はなんであれ冷静さを取り戻したブッコローと黒子さんは定位置に戻ろうとした時、カメラが少しズレてしまった。

「あっ、ヤベ」

 カメラを戻して改めて席に着き、一先ず配信を停止するべきかとブッコローが締めの挨拶をしようとした。

 その時である。コメントの一つが目に止まった。

『そこ、○○市の○○町?』

 ドンピシャである。今ちらりと映り込んでしまった窓の外を見て特定したのだろうが、如何せん早すぎる。恐らく地元民だろう。

 本来は現場凸されては困るので特定は控えてほしいところだが、今回に関してはその限りではない。いや、有隣堂からすると通常通りやめて欲しいかもしれないが、ブッコローはそこで有隣堂を気にかけたりはしなかった。

「あー今○○市の○○町ってコメントくれた人、あんまりねー、本当は特定とかそういうのは良くないですけどね、こんな事態だからね、もしかして何か知ってる?」

 ブッコローが本店スタッフ達の阿鼻叫喚をBGMに待っていると、直ぐにコメントが投稿された。

 曰くそのコメ主はその洋菓子店の近隣に昔住んでいたそうで、その情報は中々に有力そうである。

 なんでもこの洋菓子店自体については何度か行ったことがある程度で詳しいことは知らないが、近所に長らく放置された元新興宗教団体施設があり、その地域で起こる不気味な事象はその施設が原因であると専らの噂らしい。

 ブッコローが感謝を伝えつつ、パソコンで新しいタブを開き検索すると、その情報はアッサリ出てきた。

「なるほどねぇ……」

 随分と、胸糞悪い話であった。特に、ブッコローにとっては。

 ブッコローが開いた解説サイトは矢鱈長々と回りくどいように書かれていたが、要は単純な話であった。

 つまりその新興宗教団体というのはよくあるカルト教団の様なモノだったらしい。教祖は自身に特別な力があると思い込み、精神的に弱い人々を揺さぶり取り込み食い物にし、遂には盛大に周囲を巻き込み常人にはとても理解出来ぬ傍迷惑な最期を迎えるようなタイプの。

 そしてその団体は設立されてから暫くは細々と目立たぬように活動していたようだが、とある事件をキッカケにその存在が世間に露見し、教祖を始め信者達の集団逮捕にされたらしい。

 その事件というのは、とある信者の娘の死である。これまたよくある話だが、ここの宗教では修行として、生命が危機に晒されるレベルの断食を敢行していた。そんなことは、大人達は兎も角、成長期真っ盛りの子供が耐えられる事ではない。故にその娘は死亡し、そしてそのことがバレてこの団体は纏めてお縄となったのである。

 では何故それは世間に露見したのか。その事に、この洋菓子店は深く関わっていた。いや、関わっているというか、この団体を告発した、警察に通報したのは、この店の店主だった。

 以下は当時のニュースのインタビュー記事の引用である。

「いやァ、今からひと月くらい前にね、七歳位の女の子が店の前にいて、初めは特に気にしてなかったんすけど、三十分くらいずっとうちの店を覗き込んだまま動こうとしなくて、そのままいられても困るし、やっぱ気になるから店に入れたんですよ。本人はかなりオドオドしてて逃げたそうだったけど、嫁さんがね割と強引に引っ張っできたんですわ。明らかに様子が可笑しいって。思えば嫁さんはある程度その時もう察してたんでしょうね。それでね、その子、まぁ予想はしてたけどなんにも言わないですよ。だから、とりあえずうちのシュークリームあげたんですよ、あ、お兄さんもいります? チョコクリームにいちごとバニラたっぷりで美味しいですよ。……え? 仕事中だからいい? そうですか……。で、えっと何処まで話しましたかね、そうだ、シュークリームあげたところでしたね、そう、そしたらあの子、すごく食べたそうな顔をするのに、全然手に取ろうとしないんですよ。まぁ嫁さんが促して食べさせたんですけども。で、そしたら食べだしたところでボロボロと泣き出しちゃって、宥めながらゆっくり食べさせて、それで食べ終わって飲み物あげたら漸く落ち着いたのか、ポツポツと話てくれたんですよ。少し前からご両親が可笑しくなったこととか、変な集合住宅みたいなとこで住んでるとか、食べることは悪いことだって教えられてるとか、学校に通わせてもらえてないとか、そういうことをね。……えぇハッキリ言って虐待ですからね、もう私も妻もすぐに警察に通報しようと思ったんです。でもそしたらね、あの子がまた泣き出しながら必死に止めてきたんです。『やめて、お父さんとお母さん逮捕されちゃう』って。正直驚きましたね、あの歳で両親や周囲が間違っていることをしっかり理解しているとは思わなくて。……まぁ実際あの子は私達が予想していたより五つも上でしたし。それを差し引いても、賢いというか、聡明な子でしたけど。で、えーっと話を戻し戻し、そう、あの子が止めてきて、それで、落ち着かせて通報しなきゃいけないって説得したんですけどね、どうしても聞いてくれなくて。でそのまま日が落ちてきて、で、困ったんですよ。本当はもうすぐにでも保護したかったんですけど、現状だと寧ろ私達が誘拐犯になりかねないし、無理矢理通報すれば、あの子の心を傷つけかねない。だから、約束したんです。今日は一旦通報しないでおくこと、但し、一週間以内にあの子のご両親が考えを改めないようなら警察に通報すること、そして、その一週間の間は必ず毎日ウチの店に顔を出すことって。あの子はそれを了承し、私達もそれで一週間待つことにしました。……えぇ、死ぬ程後悔してますよ。私達は浅はかでした。何がなんでもあの時あの子保護するべきだった。断食以外に暴行の痕跡が無いからって油断してはいけなかった。宗教にハマった人間の、視野の狭さを想像するべきだった。……翌日、閉店時間になってもあの子は来ませんでした。私達は警察に通報し、またあそこは結構色々な噂もありましたから、警察も直ぐに動いてくれて、あの子を探してくれて……。それで、あの、子は、あの施設の奥で……。すみません、ちょっと……。(十分間の休憩を挟む)。……すみません、失礼しました。えぇそうです、私達の判断ミスがあの子を殺してしまった。彼女に恨まれていても、それは当然のことなんでしょうね。だから、もう誰にも同じ過ちを繰り返して欲しくは無い。虐待から子供を保護することを、躊躇わないで欲しい。……そう思っています。え、あぁ、あーでももう一つ、もう一個言わせて頂けるなら、あの子に、もう一回ウチのシュークリームを食べて欲しかった。あの時は、感想を聞けなかったから」

 余談だが、この長々しい文章を読んでる間、ブッコローはつい黙り込んでしまったため、黒子さんは頑張ってブッコローダンスを踊り、配信を沸かせていた。

 読み終わったところで、ブッコローはゆっくりと顔を上げ、正面を見据える。もう、恐れはなかった。

「で、この記事の『あの子』って言うが君なのか」

 ブッコローの正面には、枯れ木のように痩せ細り、貧相としか言いようのない服の少女が立っていた。

「……」

 少女は何も言わない。

「君にとっては、死ぬ前の最後の良い思い出が、ここでシュークリームを貰ったことだったから、ここにいたの」

 ブッコローの口調は普段の配信時と偉く違った。子供の相手をする時用の柔らい口調である。

「僕達外に出られない困るから、扉をあけてくんねぇかな」

 ブッコローは手元の袋を取ると、少女に差し出した。

「これ、お菓子だよ。物に頼るっていうか、物を渡すことしか出来なくて悪いけど、今の僕達にはそれだけしか出来ないからさ」

 少女の影が、少しだけ揺らぐ。

「外に出たら、キチンと供養するし、洋菓子店のご夫婦にも伝えるよ。君は多分、貴方達に感謝してるしちっとも怒ってないって」

 壁から大きくバンッバンッという音が鳴る。

「ごめんごめん多分じゃないね。ちゃんと、伝えるよ」

 壁の音が止み、少女の輪郭ががスゥっとボヤけ、ブッコローに近づく。そして、袋を受け取ったかと思うと霞のように消えていく。

 そしてブッコローの背後でカチリと音が鳴る。見なくても鍵が空いたことは明白であった。

 数秒視線をさ迷わせてからブッコローはおもむろに立ち上がり、帰宅の準備を始めた。

 ……お気付きだろうか。ブッコローは今、配信中であることをすっかり忘れている。

 準備中に出したアレコレをしまい、私物をしまい、そしてそのままブッコロー(綿と布の方)の所へ近づいた。

 その時、黒子さんのファインプレーが輝いた。

 声を出す訳にはいかない。かといって色々あった直後のブッコローはジェスチャーに気付かない。スタジオの方はまだ照明が点滅してるとか、なんかいるー! と騒いでいてこちらまで気が回らない。そんな状況下に置かれながらの彼の行動は、まさに最適解だった。

 ブッコローダンスをビシッとキメると素早く手を離し、姿勢を今まで以上に低くして、目にもカメラにも止まらぬ速さでサッとパソコンへ近づき、配信を終わらせた。

 無論、アーカイブを残さぬように配信終了だけではなく、その上で速攻削除もした。

 故にこの配信を見ていた各々の端末画面にはこの文言が浮かんだことだろう。



『動画を再生できません』



 ちなみに後日談が二つある。

 一つ目はこの数日後、今回の配信に関わっていた者たち全員と例の洋菓子店のご夫婦で少女が眠る墓へ線香を上げに行き、そしてその日の内に新店舗予定地をお祓いしたこと。皆で真摯に供養したのが良かったのか、神奈川県でも有数の厄祓い神社に依頼したのが良かったのか、洋菓子を供えたのが良かったのか、それ以来新店舗予定地関連の怪奇現象はめっきり無くなった。スタッフの中には自宅で枯れ木のような腕を目撃した者やバニラの甘い匂いに苛まれた者、夜中に部屋の灯りが勝手についたりきえたりした者達がいて、そのうち前者二つは解消されたのだからこの判断は英断だったと言えるだろう。

 二つ目は、この生配信が一部のゆーりんちー達による録画保存及び切り抜き動画投稿によって大いにバズり、主にオカルトファン達から大反響を呼んだこと。それ故今回の配信からそう日が経たぬ内に再びオカルト生配信企画が持ち上がったものの、渡邉郁氏の熱烈な反対により全て退けられることとなる。彼女のその胸中としては個人的に怖い事が苦手であるから二度目は御免であるというのが一割、広報担当として有隣堂に過度に暗かったり湿っぽかったりするイメージを付ける訳にはいかぬというのが九割だそうな。

 まぁなにはともあれ、キチンと供養しもう二度とこのような配信は行わないのだから、ブッコロー達が少女らの幽霊や怪奇現象に脅かされることはもうないのだろう。……有隣堂に元々憑いていた「なにか」についてはその限りではないが。

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