番外編:変遷 ⑪


 ガチャリ、と音を立ててアパートの鍵を開ける。憎めない優しい笑顔を浮かべて「部屋まで運ばせて下さい」と言われてしまえばジョアンナは断ることは出来なかった。



「……お茶、淹れるわ」



 荷物を運んで貰っておいて、すぐに部屋から彼を追い出すことは義理堅いジョアンナには難しい。キッチンに立つために背中を向けるが後ろから抱き寄せられた。



「……離して」



「……聞いて欲しい話があるんです」



 サムの懇願するような声色にジョアンナは弱かった。渋々小さく頷くとぐるりと身体をサムの方に向けられ、熱い瞳に見つめられる。



「サム、待って……」



「好きです、大好きです」



 ジョアンナの制止の声に首を振り、サムは左手は彼女の腰へ、右手は彼女の頬へ手を添え、強く切なくそう伝えた。



「嘘……嘘でしょう」



「嘘じゃない」



 目を伏せ首を振り、ジョアンナが弱々しくそう言うといつもの彼と違う雄々しい声が響いた。



「だ、だって……あれは一夜だけのもので、貴方は、そう、責任を感じているだけで……」



 胸が詰まって上手く言葉にならない。たどたどしく言葉を落としていくと、またきつく抱き締められてしまう。



「誤解、なんです……だけど誤解させるようなことをしたのは俺で……ごめんなさい」



 誤解、の言葉にジョアンナは恐る恐る顔を上げた。眉を寄せ、申し訳なさそうな表情のサムを見て、つい心が緩んでいく。



「あの日からじゃない。ずっと前から好きでした。貴女のことだけをずっと見ていました」



「サム……」



「ずっと好きで、だけど伝えたら困らせるって分かってました。一緒に働けるだけで嬉しくて……クラウディア様が来てからは旦那様と上手くいくように作戦を立てたりして、その時間が楽しくて」



 そう、クラウディアが来てからは特に充実した日々でサムとの作戦会議の時間を心待ちにしている自分がいた。それを伝えたいのに言葉にならない。代わりにじわりと目に涙が浮かぶと、サムは優しく笑って目元を撫でた。




「ずっと想いを仕舞っていたのに、あの時、つい欲が出てしまったんです」




「欲……」




「貴女との関係を進められたって浮かれてました。貴女が頷いてくれたあの時から、恋人になれたと思い込んでいて……」



「へ?」



 目を丸くするジョアンナを見て、「やっぱり誤解させていましたね」とサムは肩を落とした。



「あの時、狡い提案をして……誤解させてしまって傷つけてすみませんでした。馬鹿な男の言い訳になりますが……何年も好きな相手が一夜を共にしてくれるなんて、同じ気持ちなんだと浮かれてしまうものなんですよ」



「……あの時、サムは嬉しかったの?」



 ジョアンナの問いに今度はサムが目を丸くする番だった。「それはもう!」と断言したかと思えば長々と演説が始まった。



「ジョアンナさんの部屋に来れただけでどんなに俺が嬉しかったか。ここで二人でお茶を飲んで、話をして、どれだけ舞い上がったと思いますか?抱き締めただけで好きな人の香りでいっぱいになって。折れそうなほど細いのに柔らかい身体を一生抱き締めていたいってそればかり考えていて。唇を合わせたら……」




「ス、ストップ!ストップ!分かった、分かったから!」



 真面目な顔で「ここからなのに」と告げられるが、これ以上は到底聞いていられない。身体中が熱を持ち、いつまで経っても冷めそうになかった。 



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