走れなくなった君へ、

梨とばし

第1話

かすかな光

暗い部屋

制服とカバン

何もない6畳

その真ん中に一人、少女が床にひざまずいている。

ふと思い出したように、言葉を思い出す。


「走れ!走って、全て後ろにしてしまえ!お前は…」

アサヒ    とても懐かしい言葉、いつも元気を与えてくれた言葉、この言葉があるかぎり、私は立ち止まらない。だって、この言葉は彼が私に…

アサヒ    あれ…誰に聞いた言葉だったっけ…

アサヒ    顔も声も名前も忘れた。でも忘れてはいけないものがあった。私は走る。走る限り、ずっと、ずっと前に進んで行ける。


~場面転換

桜が舞う高校の校門

部活の宣伝のためアサヒと後輩の女の子(こーちゃん)がチラシを持って立っている


こーちゃん    先輩また怖い顔してますよ~ もう新入生の子たち来ているのにそんな顔していたらまた即逃げ…(目の前で新入生たちが遠ざかっていく) あ~あ~

アサヒ      ごめん…

こーちゃん    まったく!去年もこんな感じだったんですよね、(ハッ)もしかしたら先輩、変顔を極める練習を…!

アサヒ      そんなわけあるか!ただ最近、変な夢を見るようになって…男の子の声が聞こえて…それだけ。

こーちゃん    男の子?イケメン!?イケボ!?

アサヒ      ん…わからない、詳しくは思い出せないけど、あの子の言葉がずっと頭の中を巡ってムズムズする

こーちゃん    これは確定ですね。困ったな、顔以外かわいいところがない部長が火遊びで部活をサボったらこの陸上部もおしまい…


こーちゃん、殴られる


こーちゃん    あら?でもそれがさっきの理由なら、去年もあの夢を見たのですか?ずっとボーっとしてたんですよね

アサヒ      違う。違うけど、「夢を見た」…ある意味あってるかも。

こーちゃん    それって…

アサヒ      叶えたい夢があったんだ。「夢を見る」なんてさっさとやめた方が良かったって思い知らされただけだけどね

こーちゃん    先輩、でも私は納得できません。先輩なら、その「夢を見る」のも「夢のような話」じゃないし、

アサヒ      ううん、自分の実力は誰よりも良く知っているはずよ。さすがに万年4位には壁が高すぎた、それだけ。

こーちゃん    この1年間どんなに頑張って来たのかを私が見ていたからです!

アサヒ      しーっ、ほらこーちゃん、怖くて新入生が逃げちゃうよ?

こーちゃん    うっ…

アサヒ      さ、今日はここまでして撤収するか。帰ろう、こーちゃん

こーちゃん    …先輩のバーカ!ちびっ子、ぺったんこ、留年してしまえ!(走る)

アサヒ      …留年したらこーちゃんのクラスメイトになれるのかな


チラシを持って部室に戻るアサヒ

部室には去年まで使っていた、今は使わないアサヒのランニングシューズが置かれている


アサヒ      何回捨てても元の場所に帰ってくるもんね、あやかしより怖い後輩さまを持った私も、ついてないな…


そう言いながらも、微笑む。

シューズに触れる。懐かしいのか、諦めた夢への未練が残っているのか、曖昧な表情


アサヒ    あったな、夢に向かって真っ直ぐ進むヒロイン、その輝きに憧れ同じ夢を見る仲間、支え合い希望を見出す、夢のようなストーリーの小説が…


アサヒ      さすがに可愛い後輩ちゃんを来年から一人にさせるのは胸が痛いかもね。


いつの間にか来たこーちゃんが声をかける


こーちゃん    先輩…

アサヒ      ん?ああ…聞こえてた?

こーちゃん    その胸で痛くなるのはたぶん狭心症…


こーちゃん、殴られる


アサヒ      心配して損だよ、本当に。


部室を出てドアを思い切り閉めるアサヒ


こーちゃん    本当に、先輩ったら素直になれないですね。でも私、覚えていますよ。あの冬、偶然に聞いてしまったあの言葉、先輩がずっと大切にしてきた言葉。諦めた顔してるけど…まだ諦めてないこと、バレバレですよ?


去年、12月、部室

一人

アサヒ


アサヒ      …私には夢がある、その先を見る前に死んでたまるものか!私の夢は…!


ブラウン管テレビの電源が切れる

ある男の部屋

1980年前半のような風景

学ランを着た少年がリモコンを握っている。


少年      ダサいんだよお前ら、そんな少年漫画みたいなことあるか。


少年、リモコンを投げ出して高校に向かう、路には桜が咲いている

少年の家でラジオが流れる、そこには野球部のユニフォームとバットが置かれている。


ラジオ     本日は東京都高等学校体育連盟の陸上競技部の方から来てもらいました。先ほど1万メートル決勝戦に出る選手が決まったようですが…


~教室


少年      つまらない日常…

ラジオ     …北条アサヒ…

少年      今日の授業早く終わったらいいのにな…


まぶたを閉じる


まぶたを開ける

授業は終わっている

少年、家に帰ってラジオのチャンネルをいじる


少年    夜を待つ、夜、よみがえって僕になる。日課になった居眠り。それで一番早くこの夜と出会える。朝日が昇らない限り、僕は、僕のままでいられる


少年の独り言が、過去回想と交差する

制服を着た少年と、ユニフォームを着た少年が、交差する


少年    (独り言)夢とか希望とかバカかよ。僕にはこのくだらない日常と、しょうもないラジオ番組を聞く夜だけでいい。

少年    (過去回想)こんな…こんな汚たない真実なら知らない方が良かった。何も言わない方が良かった。ずっと死んだまま生きてたら良かった。誰も信じず、誰にも会えず、誰とも話せず、変わらない世界でずっと、汚されず汚いまま過ごしてたら良かった…!

少年    (独り言)…少年漫画なんて、現実にありえねぇんだよ。

少年    (過去回想)それでも僕は信じたい、ここを乗り越えたらきっと希望が待っているって、辛かった昨日がきっと意味があったって、明日にはきっと、笑っていられるって…!

少年    (独り言)あ。そう。


少年、手を銃にして鏡にうつった頭を狙う。

発射。

銃声。スターターピストルの銃声が重なる。

~陸上競技場

走り出すアサヒ。1万メートル予選


アサヒ    足が重い、息が切れる、走りたくなくなるほど、限界が近づいていると心臓が知らせる。もうとっくに限界が来たと頭が言うそれでも…!



アサヒ    それでも、私は応えなきゃいけない。こんな私でも信じてくれる人に、証明しなきゃいけない。すべて諦めても諦めきれなかった最後の意地を見せなきゃいけない。だから、走り続けたその先の景色を見たいと思ってしまったんだ。バカでいい。笑うがいい。私は、二度と諦めない。


ゴール

1位


こーちゃん    せんぱいいいい!


遠くから走ってくるこーちゃん、花冠持って来てアサヒの頭に被せる。はしゃぐ。


~陸上部の部室、こーちゃんの手料理がいっぱい。クラッカーを鳴らすこーちゃん。


こーちゃん    今回はなんとなんと、自己ベストですよ!凄いです!かっこいいです!最強!

アサヒ      えへへ~

こーちゃん    せんぱい今日は倍でかわいいんですけど大丈夫ですか!

アサヒ      もちろん!わたし、かわいいんだから~

こーちゃん    せん…ぱい?


こーちゃん    やべぇ、こっちのステーキ、料理酒飛んでなかったわ。

アサヒ      こーちゃん~抱っこして~

こーちゃん    ちょーラッキーなんだけどちょっと罪悪感を感じますわ…


アサヒ、こーちゃんを抱きしめる


アサヒ      ううん~ (頬を擦り寄せる)

こーちゃん    あ、これ、もうどうでもいいやつだ (頭をなでなでする)

アサヒ      こーちゃん大好き~

こーちゃん    私も大好きですよ、せんぱい!

アサヒ      こーちゃんってお姉さんみたい!

こーちゃん    あら嬉しい~ わたしも先輩みたいな妹がほしかったんですよ!

アサヒ      じゃあ今日からこーちゃんの妹になる!

こーちゃん    お姉ちゃんって呼んでみて~

アサヒ      こー姉ちゃん!

こーちゃん    やべ。わたし、あした死んでもいい…


いつの間にか、寝ているアサヒ


こーちゃん    せんぱい!ここで寝ちゃうと危ないですよ!ん…このまま置いていくわけにもいかないし、どうしよう…

アサヒ      こー姉ちゃん、うちで一緒に寝よう?

こーちゃん    え、え、えええ!いや、ダメですよ、いくらわたしだとしても…

アサヒ      一人暮らしだから寂しいんだ…

こーちゃん    …

アサヒ      ……ダメ?

こーちゃん    仕方ないですね、今日だけは一緒に寝てあげますか。

アサヒ      は~い、そしたらこれで開けてね~(鍵を渡す)

こーちゃん    先輩、わたし以外にはこんな簡単に鍵渡しちゃいけないですからね…!


こーちゃん、アサヒをおんぶしてアサヒのアパートまで行く。鍵でドアを開ける。


こーちゃん    は~い、つきました! そ、し、た、ら…!お姉ちゃんと一緒に着替えしましょうアサヒちゃん~


こーちゃん、おんぶしたまま顔だけ振り向く。アサヒの顔が赤い。


アサヒ      …ごめん、こーちゃん。降りるね…

こーちゃん    ア、センパイ、酒から覚めるの早いタイプですね…

アサヒ      忘れて…!


時間経過、朝

こーちゃん、目覚める。美味しい匂い。料理をする音。


アサヒ      ごめんこーちゃん、起こした?後ちょっとで朝ご飯できるから少しだけ待っててね

こーちゃん    ママ…

アサヒ      なにいきなり、昨日ごちそうしてもらったし、遠いのにここまで運んでくれてたからそのお礼っていうか…

こーちゃん    素直ですね、せん~ぱい!

アサヒ      そして…昨日のあれ…忘れて…

こーちゃん    ごめんなさい、一生の宝物にするんで

アサヒ      うっ…!そもそもこーちゃんが入れた酒のせいだから…!

こーちゃん    は~い、こー姉ちゃんが全部受け止めます

アサヒ      (無言でグーをかざす)

こーちゃん    これは…ボコボコですか?


こーちゃん、殴られる


アサヒ      仏の顔も三度だからね!

こーちゃん    …はい


朝ごはんを食べる


こーちゃん    そういえばこの前の夢の話なんですけど、あれ、思い出しました?

アサヒ      ん…それがね、まだわからないんだよね、忘れてはいけない記憶、「走れ」というキーワード、それくらいかな

こーちゃん    まあ、いつか思い出せるんでしょ。

アサヒ      どうしてわかるの?

こーちゃん    それくらいはわかりますよ、だって、大切な誰かでしょう?先輩って色んなこと忘れがちで結構心配になるところあるんですけど、一番大切なことはいつもちゃんとされているんで

アサヒ      一番大切なこと…か。

こーちゃん    そりゃ疑問の余地なく私じゃないですか!(笑う)

アサヒ      はいはい。

こーちゃん    過去の記憶を思い出して一回整理してみたらわかるかもしれないですね!むむ、もしかして男じゃーないですね?!そうですね?!

アサヒ      (無視する)そっか、だったらやってみるか、過去回想!


過去回想。10年前、幼なじみの「???」とアサヒ


アサヒ    本当に困ったら結婚してあげるからね~

???    いやそっちこそでしょ

アサヒ    じゃあ嫁にさせて~


~視点変換

???の位置より少し前にスポットライト

???、スポットライトを向いて歩く、歩くたびに年を取り高校生になる


???    (スポットライトに入りながら)そんな言葉でからかうのが、あいつの口癖だった。他愛もないふざけた日々。それでも僕は、君といるその時間が好きだった。そんな日々が続くだけで良かった。なあ、君は今でも、こんな僕と結婚できると言えるか?


アサヒ    北条家の娘になってから、私たちは会えなくなった。今となってはとても昔のような思い出。ふと思い出した彼の名前は、ある日の新聞に書かれていたその名前だった。先月、高校野球の大会だったらしい。地域の小さな野球場。なぜかそこに足を運んで、


???    そこで僕たちは出会った

アサヒ    5年ぶりの再会。最初はわからなかった

???    でも声を聞いた瞬間

アサヒ    あ、

アサヒ・アキチ    「君だ」

アサヒ    苦しんでいた。目を見た瞬間、気付いた。彼は分かっていたんだ。自分がどんな目をしていたのを

アキチ    逃げ出した。目を背けた。鈍い足が地面を蹴る。冷たい空気を残して彼女を後ろにする。

アサヒ    その目を知っている。私が何回も見た目だ。5年前に鏡をぶっ壊す時に見た目だ。二度と思い出したくない目だった。

アキチ    そして君は走り出した。その音が遠くからでも聞こえてくる。それが何故か嬉しくて

アサヒ    そして君の後ろを追う。君と近くなっていく。


アキチ、ボロアパートに着く。息が切れ、ドアに寄りかかる。アサヒを見る


アキチ    こんな日常…あったよな。

アサヒ    遅くなったね。アキチ。

アキチ    お前が…早く…なりすぎなんだよ…バカ。


アサヒ    彼はなにも言ってくれなかった。ただ…私は知っていた。だから見せなきゃいけないことがあった。この男に返さなきゃいけない言葉があった。


アキチ    僕はね、あのころ君の背中を追う日々が嬉しくて、いつも君の後ろをついてきたんだ

アサヒ    そう、君とは昔からずっと一緒だったよね


アサヒ    そしていつからか君は私を避けた

アキチ    怖い、怖いんだ。もう誰も信じられない今、一番会いたいはずの君が一番会いたくなくなっている。君の口から嘘が吐かれることを想像するだけで吐き気がする。君だけは、君だけには、裏切られたくない。嫌われたくない。


アキチ    でも、この汚くなった心で、君の言葉を疑ってしまう。それを耐えられないから…君を避けているだけだった。


アサヒ    (その声を切り裂いて)やすく見られたもんだな、この私も

アキチ    違う、僕は君のことを想って…

アサヒ    だったら黙って付いてこい。今から見せてやるぞ。

アキチ    一体なにを…

アサヒ    決まってんだろ、ぬるくなったお前の根性を叩き直す「なにか」だ!


銃声。場面転換。陸上競技場。

アサヒ

走る


アサヒ    アキチー!!!!

アキチ    遠くでも、ハッキリと聞こえてきた。なぜか笑っていた。なぜか懐かしい景色だった。

アサヒ    ね、覚えている?

アキチ    目が合った。彼女の話が聞こえてきた。彼女の叫びが聞こえてきた

アサヒ    「走れ!」

アキチ    遠い昔のような記憶。

アサヒ    君が教えてくれた言葉なんだ。何回も支えてくれた言葉なんだ。そして何回も忘れて、何回も思い出す。何回だって言ってあげる。「走れ!走って、全て後ろにしてしまえ! お前は、

アキチ・アサヒ    こんなもんで終わりたくないだろう!!!!」

アサヒ    私の夢は、今日も明日がくるって知らせることだ。この夢だけは、誰にも奪わさせない。

アキチ    そして僕はまた走り出した。彼女が見せてくれた景色を、いつか僕も誰かに見せたいと思った。だから僕は、走り続ける。

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