第9話 魔女の残滓
「今のご時世、魔法なんて子どもの寝物語の中くらいにしか見かけませんが、数百年前のアルビオン国では魔法文化が花開いていたのです」
手の中の灯火をくるくると回しながら、ボールドウィン室長はしずかに語り始めた。
「その中心にいたのが『はじまりの魔女』と呼ばれる、偉大な魔法使いでした。当時は魔法がごく当たり前に人間のそばにあり、魔女が創り出す数多の魔法は人々の暮らしを豊かにした。彼女は多くの民に慕われていました。しかし行き過ぎる崇拝を恐れた時の権力者に、危険因子と見なされた魔女は、彼らに殺されてしまいます」
「ひどい話よね」
むすっとした顔でオリビアがいう。
「死の間際、魔女の体からいくつもの魔法の粒子が飛び出したといわれています。尽くした人々に裏切られた魔女の悲哀と憎悪が形となったそれは『魔女の
「ちょ、ちょ、ちょっと待ってください!」
チャーリーが両手を突き出して話を止める。
「数百年前とか、魔法文化とか、魔女とか……そんな、そんな話、生まれてこの方聞いたことがありませんけど!」
「そりゃそうだろ。国のお偉いさんの都合で、俺たちは歴史の闇に葬られたんだからな」
「葬られた……?」
「魔女の影響力は確かに強大だったのですよ。権力者たちは魔女の命だけでは飽き足らず、彼女の力も、存在すらも、人々の記憶にも記録にも残らないよう、すべての魔法を固く禁じました。折良く、入れ替わるように生まれた科学の発展を国が大きく後押ししたことで、体裁よく魔法を表舞台から排除することに成功したのです」
「でも……皆さんがいるということは、魔法が完全になくなったわけではない、と?」
「その通り」
よくできました、とばかりにボールドウィン室長が微笑う。
手を閉じると、魔法の炎も音もなく消えた。
「この国にはまだ魔女の残滓が残っていますからね。魔法文化が潰えて数百年たった今もなお、国はかたくなに魔法や残滓の存在が世に知られることを良しとしません。この特捜室は、そういう表に出すことのできない、魔女の残滓が関わる事件を扱う部隊なのですよ」
「そ、その『魔女の残滓』っていうのは、どういうものなんですか……?」
「お前も見ただろ、黒いもや」
掲示板の素描を、アレクがこぶしで軽くたたいた。
「あれが残滓だ。あれだけデカく成長したのは、最終形態みたいなもんだけどな。最初は誰も感知できないほどささやかな魔性因子だが、人間の憎悪や悲しみ、あるいはそうした想いが宿ったものにヤツらは憑依する」
「残滓が憑いた対象を、アタシたちは『
「魔女の残滓は、憑依者の歪んだ心を喰って成長する。そうやってぶくぶく太りながら、ヤツらは憑依者の怨嗟を増長させていくんだよ」
ふだんなら理性が働く人間が、そうした強い悲しみや衝動的な殺意に駆り立てられて、重大な事件を引き起こす。
「極めつけに最低なのはね、この残滓、憑依者の心を食べきったら、最後に自爆するのよ」
「ばくはつ……?!」
「残滓の方にしてみれば、花が種をとばすような行為なんでしょうね。一緒に吹き飛ばされる側にとっちゃたまったもんじゃないわ」
オリビアが数枚の写真を掲示板に貼っていく。
「これは手遅れになってしまった過去の憑依者たちよ」
「写真」
その言葉に反応したチャーリーは、自分でも気づかないうちに席をたち、掲示板の前に立っていた。並べられた写真をじっと見つめる。
オリビアとアレクがおどろいたように、ボールドウィン室長は興味深いものをみるような眼で、絵描きを見た。
「これが……」
いずれも体のどこかが大破した遺体が並んでいる。
一般的には眼をそむけたくなる類の光景なのだろう。
しかしチャーリーの中で「見たことのない」ものに対する好奇心が勝った。
トンボメガネの奥にひそむ花緑青の瞳に、とろりと光がきらめく。
「この模様」
「あ?」
「すべての写真のご遺体にあります。昨日の男性にも同じものがありました。植物の、ツタのような紋様が」
「その模様は憑依者の体にあらわれる。一説には、残滓による浸食度合いを示すもんだともいわれてる」
あの時模様が広がっているように見えたのはそういうわけか、とチャーリーは内心納得した。
「基本的に、何か事件が起きないと我々は魔女の残滓を追うことができません。残滓が姿をあらわすのは魔法を行使しているあいだだけで、ふだんは憑依者の中にひそんでいる。そのため感知が非常に困難なのです」
変死体が出た場合も捜査に入るが、事件としては手遅れであり、事後処理の対応が主だ。
「昔は残滓が『視える』魔法使いに協力してもらったものですが、時代を経て、魔法使いの家も随分少なくなりました。今では、本庁に数人いる程度だと聞きます」
「アタシたちみたいな地方にまわしてる余裕はないんですって」
「残滓の魔力が憑依者からにじみ出るほど成長してりゃ、さすがに気配で俺たちでも気づけるが、そこまでいけばもう自爆秒読みだからな」
「昨日自爆した男の人は、めずらしく事件発生直後に憑依者だってわかった事件だったんだけどね~」
「ボートビー町の漁師の青年の件ですね」
「えっ……もしかして、貴族を刺し殺して、自分も変死体で発見されたっていう事件の?」
「おや、ご存じでしたか」
「さっき記事を見ました……」
やはりあの写真の人物は、昨日見た黒いもやにつつまれた男だったのだ。
チャーリーは口もとをおさえながら思いをめぐらした。
「そう、そのボートビーのひと。でも結局、
「仕留め損ねて悪かったな」
半眼になるアレクに苦笑しながら、ボールドウィン室長がフォローを入れる。
「うちで唯一の討伐要員であるアレクくんにいろいろとしわ寄せがいってしまっていることを、私は申し訳なく思っているのですよ。我々サポート組が残滓の痕跡をもっと早くに見つけて、十分な情報と、自爆寸前ではなくもっと時間が残されている状態で君に討伐をお願いできたらいいのに、と」
「痕跡、ですか?」
チャーリーが首を傾げる。
これ以上新しい単語が増えたらいよいよついていけなくなりそうだ。
「魔女の残滓は、憑りついた対象の悲しみや憎しみにまつわる『何か』を痕跡として現場に残します」
たとえば、と掲示板の素描を指さす。
暗闇の中、スポットライトのような光に照らし出された、黒いもやにつつまれた男の後姿と対峙するアレク。天から注ぐ槍の雨、そして吹き上がる砂が鮮やかに描かれている。
「この憑依者の青年、彼には恋人がいました。恋人は舞台女優になるという夢を抱いていたそうです。青年もその夢を応援していました。彼女は夢を追ってウィンドナートへやってきましたが、不運にもある貴族の若者に眼をつけられ、しつこく言い寄られ、困っていた」
「しかもそいつ、特権階級の力を使って恋人さんの舞台活動の妨害とかもしてたみたいなのよ。やめてほしかったら自分のいうことをきけってね。ほんっと性根の腐った野郎だわ」
「青年にも度々手紙で相談していたそうです。ある日、若者の誘いを強く拒絶した彼女は、その拍子に事故にあい、そのまま還らぬ人となってしまいました」
「そんなことが……」
「青年は悔やんでいました。家業を継ぐためにボートビーに残ったことも、相談を受けた時にそばにいてやれなかったことも。そして何よりも憎んでいた。恋人の未来を無情に刈り取った若者のことを」
「…………」
新聞にそんな事情は記されていなかった。
(新聞社が上流階級に忖度するのはよくある話だけど)
あの時聞こえた青年の悲しげな声が、ふいにチャーリーの脳裏によみがえった。
ボールドウィン室長がゆっくりとチャーリーの方を振り向く。
「昨日、君が迷い込んだのは憑依者が魔法を使って創り出した結界――――いわば、憑依者の心象世界のようなものです。……ねえ、チャーリーくん。君は、あの青年にまつわる『何か』を見たのではありませんか?」
緑青色の眼が大きく見開かれた。
記憶がめぐる。
あの絵の光景がもつ、本来の意味が理解できた瞬間、世界は新しい色をともす。
自分はかの青年をどれほども知らない。
それでも浮かんだ仮説に、ああ、とかすかな吐息がチャーリーの口からもれた。
「……潮風が、吹いていました」
遠くにさざなみがうたっていた。
「空から降っていたのは槍ではなく、漁に使う銛で」
アレクたちが立っていた足場は石畳ではなく、きっと砂浜だった。
そして、あの暗闇の中でアレクたちを照らしていたあかりは、
「灯台が……ボートビーにはたしか有名な灯台があると、祖父に聞いたことがあります。沖に出た漁師たちが目印にする、美しいたたずまいの灯台があると ―――― ……あれは、その灯台のあかりだったんでしょうか」
チャーリーの悲しそうな視線に、老室長はわずかに眉をあげると、しずかにうなずいた。
「そうですね。彼の恋人は、その灯台からながめるボートビーの海岸がとても好きだったそうです。……ふたりの思い出の場所であると」
「そうでしたか」
あの空間は、恋人との大切な思い出の場所からながめた景色を模した世界だった。
――――――――――――『もう、いいんだ』
どんな想いで、あの青年が最期にその言葉をつぶやいたのか。
チャーリーにはわからなかった。
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