第3話

  3

 

 灰崎は走る。

 此処は死地だ。

 止まることは許されない。

 感知されるような行動は許されない。

 静止は死ぬことと同意である。

 灰崎は疾走する。

 倒壊したビルや散乱した瓦礫で視界が悪い。

 地面は灰に覆われ足場が悪い。

 剥き出しになった瓦礫や投棄された銃器が進行を阻む。 

 それでも、灰崎が足を止めることはない。

 建物の残骸を足場にし、脱兎の如く跳躍する。

 後ろを振り返ることはない。

 ただ前だけを向いている。

 人間に出せる限界を遥かに超えたスピードで疾駆する。

  

  4

  

 ——暫くして、灰崎は足を止めた。

 そこは、開けた空間だった。

 崩壊し倒れたビルが瓦礫を堰き止めできた空間が、虚ろに存在していた。

 ここなら、奴らに感知されることはない。

 ここは三年前、父親が行方不明になる前に見つけた唯一の安全地帯。

 灰崎は息をつく。

 此処まで約七分。約五キロメートルの疾走だった。

 

このタイムから分かるように彼は常人ではない。

 強靭な肉体を持った新人類でもここまでの走りは出来ない。

 新人類の身体は旧人類に比べて確かに打たれ強かったり、力が強かったりと優れているが、人間の範疇を超えることはない。

 例えば、旧人類でも肉体を極限まで鍛えれば、新人類レベルまで到達し得るし、新人類が怠惰な生活を送ればその肉体は旧人類の平均以下にまで堕落する。

 要するに、旧人類と新人類の肉体的強さの違いにそこまでの大差はないのだ。ただ、限界値に差があるだけ。

 しかし、灰崎はその範疇を大きく超えている。彼は、確かに新人類だ。けれど、普通の新人類ではない。

彼は、新人類の中でも『異人』と分類される人間である。新人類に比べて強い肉体、強い大気汚染耐性を持ち、加えて何かしらの能力を獲得した人間。

それが、『異人』である。新人類の中でも希少種で、灰崎自身、自分以外の『異人』は三人しか知らない。

 その能力は人それぞれで、灰崎の能力は『身体強化』。能力の内容はその名の通り、身体を強化するというものである。脚を強化すれば、人間離れした跳躍や速度を出すことが可能となり、先程の疾走もこの能力を駆使したものである。この能力を発動した時、灰崎の五体の出力は人間の常識をはるかに超える。

 『異人』の存在は、あまりにも希少種なため、あまり世間に認知されていなかったりもする。


「……さて、どうしようか」

 灰崎は、脚の強化を解き思考を巡らす。

 この汚染地域内での人探しは、言わずもがな難易度が高い。ただでさえ、倒壊したビルや建物で視界が悪いのに、この広さだ。虱潰しに探すのでは埒が明かない。

 基本的にこのような場合、的を絞りその範囲内を捜索するほうが効率良い。灰崎自身、この汚染地域の特徴を踏まえ、ある程度捜索範囲は絞っている。

 その地点が此処だ。正確には此処を端とした半径二キロ。灰崎はこの範囲内に、捜索対象がいると踏んでいる。

 しかし、それ以上のプランは灰崎にはなかった。

範囲を絞ってはいるものの、結局虱潰しの捜索には変わりない。

灰崎は、ほとんど何も考えずに現地に行けば何とかなるだろうと根拠もなく気軽に構えていた数刻前の自分を恨む。が、それが全く無意味であることに気づき、はぁとため息をついた。

そして、

「——全く、絶望的過ぎる」

 そう独白し、安全地点を後にした。

 

灰崎は、またしても走り出だす。安全地帯を後にして旧都市中心部に足を運ぶ。

——突如、灰崎は天を見上げた。

旧都市中心に近づけば近づくほど、辺りに建ち並ぶ廃ビルが高層化し、数が増える。倒壊し、原形を留めていない物もあれば、倒壊せず未だ建物としての役割を保っている物もある。

まるで、コンクリートの密林だ。地面は、瓦礫や放棄された銃器が散乱しており、剥きだしになった大樹の根を彷彿とさせる。倒壊したビルは道を塞ぎ、高層ビルは天を塞ぐ。

ただでさえ空は幾十も重なった雲に覆われ日光を遮断しているのに、この有様だ。不気味で仕方がない。

そんな密林の中、ふと灰崎が見上げたのは摩天楼であった。密林で木々の隙間から差し込む光が神々しく見えるように、灰崎にはその建造物に魅入られた。

結論から言うと、その建造物は電波塔のようだった。周りのビル群とは一線を画す高さを有し、この都市の象徴であるかのような存在感を放っている。建物の半分、中心あたりで倒壊しているが、迫力は十分で象徴としての威厳を保っている。

「——あそこにするか」

 灰崎は見晴らしの良い場所を探していた。灰崎と言えど、ここに来るのは三年ぶりだ。旧都市内の街並みがどう変わっているか分からない。だから、一度この場所を一望できる場所を探していたのだ。

 電波塔の麓に到達した灰崎は、脚の強化を研ぎ澄ます。

——跳躍。

幾層にも重なる鉄骨。跳躍を重ね、灰崎はその一段に着地した。地面から約二百メートル。

その地点からは、旧都市が一望できた。

 灰崎は、眼下に見下ろす。見渡す限りの灰色。眼下に広がるは、死した都市。生きていた頃の面影を多少なりとも残しながら、それでもその都市は死んでいた。

 人が退去したこの地には、草木が生い茂ることも動物達の楽園となることもない。この劣悪な環境のせいで生物は存在できないのだ。それも、灰崎達一部を除いての話だが。

——だから、この場所には静寂が広がっているべきである。

 しかし、その静寂が守られることはない。軋む機械音と轟く咆哮。此処一帯は静寂とは程遠かった。音は、時間が経つにつれ大きくなる。

まるで、その音源が近づいている様に。

「そろそろ時間切れか……」

 旧都市を俯瞰していた灰崎はボソッと呟く。

 

直後。

 大地を揺らす轟音が灰崎の立つ足場(電波塔)を揺らした。

 ——灰崎は見つかったのだ。

 確かにこの場所には、人間や動物は近づくことができない。しかし、例外は存在する。その例外の一つは、灰崎達新人類。他に挙げられる例外。それは、機獣と言われる存在である。

 機獣とは、人間が環境に適応し進化したのと同様に、動物が幾年をかけて進化した存在である。動物の進化の急激さと規模は衝撃的なものであった。動物の進化は人間よりも早く、人間が環境に淘汰される中、動物の一部は多大なる進化を遂げた。

高い大気汚染耐性を獲得し、そしてなりより目に見える進化はその規模にあった。動物達は進化の際、人間の負の遺産を体に取り込んだのだ。例えば、戦争に使用されそのまま投棄された銃器や戦車。また、墜落した戦闘機、建物の瓦礫までも取り込んだ。その見た目は、取り込んだ異物により機械じみ、その大きさは、個体差はあれ本来の五から十倍と全く別の生物へと進化していった。

 そして皮肉なことに、機獣は人間を襲った。巨大な質量で圧倒する物もいれば、取り込んだ銃器を肉体の一部として使用するような個体まで現れた。

人間の人口が此処まで減少したのは機獣による殺戮も大きな要因として挙げられる。しかし、新人類の登場により機獣は住処を高汚染地域内へと移すことになり、最近は機獣による被害はあまり耳にしない。

灰崎がいるこの場所は、機獣の住処そのものであった。今まで灰崎は、機獣に見つからないよう建物が犇めくビル街を移動し、その場に留まることをしなかった。しかし、今立っている電波塔はその条件とはかけ離れた場所である。旧都市が一望できる場所は即ち、旧都市全てから一望できると同義であった。

結果、灰崎は見つかった。

 灰崎自身、奴らに見つかることは許容していた。虱潰しという絶望的な状況から脱するため、一縷の望みをかけて高台に上ったが進展はなかった。

「……クソが」

 そんなわけで、機獣に見つかった灰崎がとった行動は一つ。逃げであった。

 電波塔から飛び降り、機獣の進行とは逆の方向に走り出す。

追ってくるのは、猪型の機獣。全長約八メートルの巨体。外殻は、コンクリートや鉄骨の瓦礫が敷き詰められ、まるで鎧のようだ。この巨体と外殻も十分に脅威だが、一番の脅威は、口元から生える二本の牙であった。牙は正に刃でその鋭利さは、大刀の切っ先を彷彿とさせる。そしてその刃がロケット鉛筆のように幾層にも重なり大きな牙が形成されている。

 容姿からして脅威その物である機獣の赤く煌々とした眼光は、灰崎の姿をしっかりと捉えている。

巨体を揺らし、機獣は迫る。牙と鉄の鎧で全ての障害は薙ぎ払われ、建物や遮蔽はすべて無に帰す。この機獣の刺突を食らえば人体などひとたまりもなく切断されるだろう。

だから灰崎は、逃げる選択を取った。灰崎の全速力の疾走は、機獣の突進と同等の速さを持つ。

灰崎の体力が尽きるのが先か、機獣が諦めるのが先かの生と死をかけた鬼ごっこが始まった。

 灰崎は走る。

 今日はずっと走っている気がする。

 ——本当、嫌になる。

命がけで依頼をこなさなければ食っていけない自分にも、そんな人間が沢山いるこの世界にも。本当に、うんざりする。

 当然のことながら、この世界は食糧不足である。厚い雲に覆われ日が出ないところが多く、平均気温も年々下がっている。そんな環境下、旧人類は農作ができる場所を探し、転々と生活区域を移している。その際、環境や機獣の生息の有無の事前調査を新人類に依頼し、その達成報酬で灰崎達新人類は生活している。旧人類と新人類は両者の利益が一致し、協力し合って生きているのだ。     

しかし、食糧は人類すべてを養わせる程は作れない。基本的に、人類は皆、死の瀬戸際に立たされているのだ。

今、灰崎に迫ってきている機獣も全てが高汚染区域内で生活しているわけではなく、現在でも十分に人類にとって脅威な存在である。


灰崎は、走りながら、深いため息をついた。息が上がっている様子はないが、それでも長い時間、遁走している。

「ほんと、何してんだ俺……。こんな変な依頼じゃなくてもう少しまともな依頼、探せばよかった。……あぁ、腹、減った」

 依頼の報酬額に目が眩みこの依頼を引き受けたが、それでもひと月もつかどうかの金額である。依頼を達成できたとしても、すぐに貧乏生活まっしぐらだ。

 物凄い形相の機獣に追い掛け回されているのに、全く暢気なものである。

人は、限界が近いと、今置かれている状況が見えず、今考えるべきではないようなことを考えてしまうらしい。灰崎の場合、限界なのは体の疲労ではなく、空腹の方なのだが。

 

半ば強引に開催された鬼ごっこは、佳境に入りつつあった。ビルとビルの間を走り抜ける灰崎に対し、猪型の機獣は建物を物ともせず、強靭な牙でなぎ倒しながら直進してくる。直進と蛇行では、間違いなく直進の方が速い。灰崎と機獣の距離は徐々に縮まってきている。

「——それよりも」

 灰崎には、機獣との距離よりももう一つ、懸念していることがあった。それは、音である。機獣の建物をなぎ倒す音と衝撃は、大地を揺らす。灰崎は、この音が他の機獣を呼び寄せるのではないかと心配していた。大地を揺らす程の轟音と衝撃だ。他の機獣に気づかれるのは、時間の問題だ。機獣が一体ゆえに、『身体強化』を駆使し何とかここまで逃げ続けることが出来たが、二体、三体を相手にするのは流石の灰崎でも困難を有する。

「……さて。どうしようか」

本日二度目の熟考タイムである。前回とは違い、今回は走りながらの開催であった。

前回と同様、そんな簡単に答えが出る問題ではないのだが、間違いなく生死に関わる問題であった。


——少しして。

 灰崎は、ふぅと息を吐く。そして、

「ダメだーー。まったくいい案が浮かばない」

 そう嘆いた。

 斯くして、二回目の熟考タイムも失敗に終わったのだった。


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