■結果、乾くんにふられました(笑)

 わたしは一躍女子のヒーローに成り上がったけれど、付き合いはじめたばかりの乾くんも含めて男子たちには敬遠された。乾くんは他の子を好きになったと言い訳したけれど、怖気づいたんだろうなと思った。わからなくはない。

 正直そんなにショックじゃなかった。

 不思議なことに、田宮とは遺恨をのこさなかった。もともと陰湿な苛めっ子でなくてお笑い担当だった。次の年にも同じクラスになり、画板を並べて一緒にスケッチをした。たまにふざけて姐御と呼ばれた。

 いじめがあって女子ひとりが学校に来なくなったときも、その子の家まで案内してくれた。プリントを丸めるわたしの横に立って、増田はよくやったと思うよ、と慰めてくれた。

 よくは、やれてないだろうと自嘲した。いじめに気づいてそれがなくなるよう努力しても、よい結果が得られなければ、なんの意味もない。知っていて見ないふりをするのはいじめている相手と同じ卑怯者だと思っていた。こんなんじゃ、世に言う「巨悪」になんてとうてい立ち向かえない。無力どころのレベルじゃない。

 いかにも黒歴史らしく、そんなに自分に対して全能感をもっていたのか問われたら、そうかもしれないとこたえる用意はある。教師には始めから期待してなかったつもりだったのに、ほんとに頼りにならないどころか、厄介ごとを抱えた不運、それを嘆く態度を隠しもしないことには酷く失望した。

 

 それなら、わたしは最善を尽くしただろうか。

 

 自分で言い出したことなのに遠回りしてプリントを届けるのが億劫になったこともあった。受験も気がかりだった。偽善者な自分自身に嫌気がさした。それに、いじめている相手を怖いとは思わなかったから、できた。言い負かす自信もあったし、味方はいた。しかも、学校の中だけのことだと割り切っていた。それほど性根の据わったことを企てられる相手だとは思っていなかった。あと半年もしないでわたしは彼らと違う高校に行くという確たる保障もあった。

 実をいうと、わたしの気がかりは、いじめていたひとたちではなくて、その、学校に来なくなった彼女のほうだった。

 彼女はわたしを忘れないのではないかと思った。その記憶のなかで、都合の悪い役割をふられたくなかっただけのはなしだ。

 いじめるほうのひとたちはきっと、彼女のことを忘れるだろうと思った。彼らが万が一彼女を思い出すときがあるとすれば、自分がいじめられたときくらいか。だからわたしのことも同じように忘れるだろう。それはいい。そうだから、わたしだって、やっていられる。

 はっきり言って、わたしは彼らを馬鹿にしていた。

 ひとのいないときを見計らって他人のノートに死ねと書き、わざわざ他人の靴箱をあけて上履きを遠いゴミ焼却炉まで持っていかないとならない理由がわからない。わたしは、そんなめんどくさいことをしたくない。そうまでしてそんなくだらないことをする意味がわからなかった。

 ストレスで八つ当たりするならモノにすればいい。つまり、相手が復讐しないと思っている読みの甘さも謎だった。人間いついかなるときに権力を持ち、力を行使するかわからない。こんな、隣近所みんな顔見知りという町内で相手を貶(おとし)めて、自分がこの土地で生きて死ぬあいだにどんなことがあるか想像しないのだろうか。あそこのお譲ちゃんやお坊ちゃんはかくかくしかじかと噂になり、脛(すね)に傷持つ身になるのは厄介だ。結婚やら就職やら、その後の幼稚園小学校と面倒なことこのうえない。

 正直、ひとの目が気にならないってうらやましいなあと考えたりもした。忘れられるって、なんて凄いことなんだろうと本気で考えていた。「衝動的で刹那的な人間」ってよく犯罪者の本を読むと出てくるけど、あんなのかしらなどと恐ろしく失礼なことを思っていると承知で、感じていた。承知なところが、自分自身に深いため息をつかせた。自己批判が鋭い痛みになった。

 さらにはいじめるって性的に興奮するのかと首をかしげたりもした。是非はともかく、ブラホック外しであれば想像の範疇だ。そりゃあ思春期の男子にとっては刺激的な遊びだろう。くりかえしてやりたくなるに違いない。

 そんなことを想像したのは、どちらかというと、いじめる側の女の子や男の子のほうが、なんとなく、オトナっぽい体型やら雰囲気やらをもっていたように見えたからだ。違う言葉でいえば、多少なりとも自意識があり、ぼうっとしていないという意味だ。隙がないともいえるはずなのに、なんでそんな愚かしいことをするかなあと感じていた。まあ、それだからこその苛立ちなのかもしれないけれど、謎だった。

 とはいえ、だ。

 因果応報という法則は現実世界でまかり通ってない。ほんとうに。この世は虚構じゃないから、悪いやつは悪いやつで笑いっぱなし。露見しなければ、悪事として裁かれやしない。いや、たとえ露見したって弱いものは屠(ほふ)られるまま、だ。

 わたしは世間一般の正義感で、いじめる側のひとたちが憎らしいのではなく、彼らのすることが杜撰(ずさん)で、それに由来する醜悪さが気に入らなかったのだと思う。自分のほうが常々ひどく歪んだ欲望を抱える悪人だと感じて相手を見下す、この奇妙な優越感がイワユル思春期の闇とかいうやつかと悟った気でいた。こんなことを延々考えてしまう自分て、なんて業が深いんだろうと自嘲した。

 

 彼女が学校にこなくなり、わたしはこれで事件が収束するか、はたまた最悪、わたし自身が槍玉だろうかと少しばかりワクワクするような気持ちでいたのだが、そういうグループはそのなかでまた「外れ」を作るのだ。

 みなの連帯感を高め、結束をかためるために他の誰かを疎外する方法が有効なのは、わかる。といっても、それで泣きついてこられても困る。

 誰ちゃんにいわれて仕方なかったのよってべそをかくから、しかたないですめば警察いらないよと子供みたいに返したら、そばかすの散った顔を歪めて大声で泣きわめかれた。ムチャクチャ慌てた。予想外だった。てっきり言い訳するものと決めつけていた。

 だから、あなただってわたしのことをいい子ぶってとか、ブスとか、わたしにだけ聞こえるように悪口いってたじゃない、とは言わなかった。頭んなか一度のぞかしてみてよとは言いそうになったけど。

 それでもその子が泣きやんだあと、あんなことして悪いと思わなかったの、と思い切って尋ねた。その子は目を伏せ、でも、自分がされるよりはいいとパッキリこたえた。いやだもん、と。

 わたしもいやだよと思いながら、わたしはまだ、きっと、余裕があったのだなとも感じた。

 自分の身を守るのは大事だ。生物としていちばんの重要事だし、その子がどのくらい怖かったのか、いやだったのか、わたしにはわからない。そこで踏ん張って与(くみ)しないという選択肢もあるよと言えば、責めることになるだろう。いじめられてわたしのところに来たのだから、これ以上、傷つけてもしょうがない。わたしには、そういう権利も義務もない。生きていくのがけっこう大変だということくらい、わかる。それに、あんな大声で泣かれてはもうたまらない。正直、たぶん、もう面倒くさかった。そんなものだ。

 

 ようするに、こういうものは巡り合わせ、というだけなのかもしれない。と勝手に結論づけた。

 

 けっきょくその子はわたしの後ろについてまわり、事なきを得た。というよりおそらくは、たんに本格的な受験シーズンに入っただけのことだろう。

 その子といっしょにいることで友人たちの幾人かは呆れたけれど、わたしはべつに、誰かをのけものにして楽しめる欲望の持ち合わせはない。まあこうやって一対一で話せば、なんだか悪い子じゃないような気がするからそれもまた、こういうことの不思議なんだろうなとぼんやり考えていた。

 実際のところ、その子は悪い子じゃないどころか、小まめに手紙をくれたり受験のお守りをお揃いで買ってきてくれたりする、やさしげな女の子っぽいタイプだった。それはわたしに対する媚だと言ったひとがいたけど(沙織ちゃんだ!)、逆にいえば、ひとの顔色を読むそういう気遣わしげなところが、次に弾き出されてしまった要因だろうと思えた。

 彼女といることでお人好しだよねと言われても、わたしは自分でそんなに人間ができていると思わないから、褒め言葉だとうけとった。器が広いということさ、と内心自慢げに思っているわたしなのだから、れっきとした賞賛だ。それに、わたしはお人好しでもないし器も広くない。それは、わたしがいちばんに知っている。

 

 にんげん誰でも、自分の味方だと思えばやさしくなれるし、魂のないどうでもいい相手だと思い定めればなんでもできる。

 わたしもそう考えてひとを馬鹿にしたのだからおんなじだ。

 そう。

 おんなじなのだ……。

 

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