増田(ますだ)愛音(あのん)の黒歴史ダイアリー 2013-06-25 ■楽園を追われましたがどうにかやってます。

磯崎愛

■十四歳で楽園を追われました

 あれは忘れもしない中学二年の六月のこと。衣替えしてすぐ、クラスメイトの中原(なかはら)(仮名)に呼び出された。

で、次のように言われたわけだ。


「増田、なんでブラジャーしないの?」


「は?」

 は??

 はあああああああああ???


 そんなわけで、


「十四歳で楽園を追われました」


 いつだったか、真顔でそう言ったら元彼にビール吹き出された。ひどいっ。

 たしかにいきなり聞いたら吹き出すしかないだろうけどさ、でも腹立つわー。

 野郎どもはいつだってお気楽さ。主語大きくてゴメン。恨みつらみゆえにわざと大きくしてみた、てへぺろ☆ この件は、あとで話すね。

 ともかくも、少なくとも元彼たちはみな、そこを理解してくれたとは思えない。物笑いの種にするか、不憫(ふびん)だなって顔をするか、またはまったく想像の外だと腹をくくってみせるか、しまいには今は女でよかったって思ってるよね、なんてことを不安そうな顔つきで確認してきたり、ね。うざったい。

でもひとり、たったひとりだけ、しみじみうなずいてくれたひともいるんだよ。

 あー、こう書くと「共感」がお望みか、とか言われちゃいそうね。うん、まあ、今回はそう。第二次性徴の「暗黒」について、野郎どもから聞かせてもらえることそう多くないからね。


 ま、それはそれとして。

 わたし、あの瞬間まで、「男の子」と「女の子」の国がそれぞれにあるなんて知らなかった。

 ううん、知りたくなんてなかった、か。

 正確にいうと。


 中原はそれまでわたしに向かって貧乳とかいって散々からかっておいて、あろうことか、あの日いきなり、なんでブラジャーしないの、と真顔できいてきたのだ。

 ナイからだよ! と叫びたいのを我慢して、なんでと問い返した。するとその面長の顔を赤くして、気になるよ、などとこたえやがる。しかもご丁寧に、男子のあいだで話題になってるなんてことまでつけたすのだ。

 乳首すかしたりしてないよ!

 とも言えないし(いくらわたしでも言えないよ!)、後ろに線がないのが目立つんだろうなあ、なんてことを想像させてほしくなかった。

 しかも、こちらが吐息をつくと、ほんとに心配そうな顔をする。やってられん。

 デリカシーの欠如ってやつを目の当たりにしながらも、中原の態度はきっとほんとにいやらしい気持ちじゃなくて、友情にもとづく根っからの善意や親切心なのだと自分を納得させようとしていると、あのさあ増田はもうちょっと自分が女だって意識したほうがいいよ、とこの期に及んで説教をたれた。休み時間に女子と一緒にいるの少ないだろうと言い当てられて息をつめると、おれは増田と話してると面白いけど、とつぶやいた。


 念のため、言っておく。

 女友達がいなかったわけじゃない。でも、まずもって、なんでトイレに一緒に行かないとならないんだかよくわからなかった。生理現象くらいひとりですませたいじゃないか。なんとなく同性同士でも恥ずかしいし!(ごめん、だって、わたし、なんか女の子といるほうが妙な羞恥心感じるんたよね、そういうことない?)

 それにわたしは自分が女だと知ってた。常識で考えて、知らないですませられることじゃないよ、ねえ?

 だから、意識してないじゃなくて意識したくないんだよ、と言い返したくなるのをぐっとこらえた。ここでそうしたらまさにそれを認めてると思われそうだったから。

 中原は、増田はそのままでいたいんだろうけど周りはそう見ないよ、と母親の文句と似たようなことばを口にした。わたしが気をつかわないでいた分、中原たちが負担を背負ったと匂わされた。

 中原の、こういうやり口が苦手だった。頭いいけど、いやらしい。

 これにはさすがに反論するぞと手に力を込めた。と同時に拳がスカートのひだに触れた。すんでのところで、わたしは唇をかんでそれをものみこんだ。


 鏡の前にでも立たないかぎり、自分の全身はじぶんで見えない。でも、セーラー服と詰襟じゃまるでちがう。こんなわかりやすい「記号」をまとっておいて、今さら何か言うのも虚しかった。

 小学生のころは弟と同じ格好でいた。だから男の子たちと一緒にいても浮いた感じはしなかっただろう。

 ほんともう、めんどくさい。

 男の子からこんなこと言われちゃうって、女としてはきっと情けない体験なんだろうな。ようするに、そう考える程度には自分の「女」とやらを意識できた。

 けっきょくは、こんなふうに、しようと決めたらいくらでもしないとならない。そのことがわたしを苛立たせた。

 ちなみにわたし、べつにすっごくボーイッシュって感じでもなかった。ついでにガーリッシュでもなかった。そしてもちろん中性的とかいう、あのミステリアスな雰囲気の持ち主でもなかった。ただたんに、幼かった。


 見た目だけでなく、体力差がはっきりしてきたのはとうに自覚してた。わたしがいると、思う存分できないんだろう。ずいぶん遠くまで自転車を連ねて釣りにいったりしていることも知っていた。女の子は早く帰したほうがいいよね。もちろん暗くなる前に。

 混ぜてもらえない不満はだから、あえてこっちだって口にしなかったんだよ。あんたらがどこいった、なにしたって会話に知らんふりを決め込んでやってたのに、それくらいわかれよ! とも口にしなかった。

 これで少年漫画を読みまわしサッカーをしてトカゲを捕まえるといった遊びができなくなることに心の底から落胆した。楽園追放の知らせに、ああ、まさにあれってソウイウコトかとしみじみ悲しくなった。智慧の実を食べて性が分かれ産みの苦しができたんだっけ?

 だったよね?

 この世にはオトコの国とオンナの国があるみたいで、どっちにも顔を出したいというイソップ童話のコウモリのようなわたしはそのどっちからも仲間外れなのだ。

 まあ、そこまではいいさ。

 しょうがない。わたしも納得しようとがんばった。でもさ、でもだよ!

 中原は余計なひとことも付け加えてくれたので、そこには納得できない。


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