七章 エンジェル・フォール
第57話 VICSの基地から脱出(救難編)
真っ暗なキャビンの中で、俺――
輸送艇がどこかに止まって数十分。耳をそばだてて周囲に誰もいないことを確認した後、キャビンのロッカーから出てきたまではいいが、ただでさえ初めて乗る船なのにこの暗さじゃなかなか思うように動けないでいた。
「あった……!」
下部ハッチの制御パネルだ。VICSの言語か、ただのアイコンなのか分からないが、象形文字のようなマークが三つある。そのうち一番左のアイコンを押してみると、船外の様子がディスプレイに映った。
薄暗い空間に不思議な光沢。人影はなく滑らかな床が見える。
船外カメラか……? じゃあ隣のアイコンは?
真ん中のアイコンを押してみる。すると足元で、下部ハッチのメカニズムが低い唸りを上げ、ゆっくりと床が下がっていった。
そこから出てみると外はかなりの広さだった。数隻並んだ輸送艇に整備用の機材があっても天井が高いからか圧迫感がない。
思わず乗り込んでしまったがこれからどうするか……あの時、マリーさんが戦っている間にシャノンを助けられていたらこんなことにはなってなかったのに。
そんな俺の後悔は、薄暗い間接照明の中にぼんやりと浮かぶ扉が目に入ると吹き飛んだ。
鈍痛で蹲ることしか出来なかった俺は、せめてマリーさんの邪魔にならないように必死に芝生の上を這っていた。そこで気づいたら景色が船内のような金属に囲まれたものに変った。それで撤退するとかシャノンが連れて行かれる声が聞こえたから咄嗟に手近なロッカーに隠れたんだ。その際、VICSに発見されないようにバイオデバイスをオフラインにしていた……近距離だったらオフラインにしても奴らに探知されるらしいけど、ギリギリ探知範囲外だったのか潜入は成功していた。
よし、ここからが本番だ。
端末で電波状況を確認しつつ扉に向かう。
まずは電波を確保すること。それからもし現在地が地下なら地上を目指すこと。
これはマリーさんがVICSに捕まった時にどうすればいいか教えてくれた『VICSの基地から脱出(救難編)』での一節だ。
それに則り、扉を開けて通路に出る。薄明かりに照らされた床のおかげで足元はよく見えるが、青白い金属の壁はいくつか白いラインが入っているもののどこも同じようで、天井も不必要なほど高い。しばらく歩んでT字路や十字路を通るたびに、この特徴のない通路で自分が一体どっちから来たか一瞬分からなくなってくる。
だがこんな時にもマリーさんは役立つ情報をくれていた。俺は端末からフォルダを開く。マップのようなものが画面に表示された。その画面には、さっきまでいた格納ベイからここまで光の線が引かれている。
マッピングアプリだ。だがただのマッピングじゃない。マップ情報がない状況でも、さらにオフラインでも使えるように開発されたNOXの軍用アプリだ。
これがあれば迷うことはない。ゲームで新エリアのマップを埋めるように通路を進む。意外だが警備の敵兵は巡回していなかった。たぶん基地か何らかの施設のはずなのに、何箇所かステージ3の歩兵級が歩哨として立っていただけで足音一つしない。
とりあえず端まで歩き、それから右に通路を折れ、進んで大まかな広さを測った。その面積から推測したマップを六割ほど埋めるように歩き回った結果、地上に向かうルートの候補がいくつかあった。
一つはエレベーターシャフト。これは使用記録から発見される危険性があるので却下。二つ目は謎の細長い通路。たぶん小型のVICS用の通路と思うがダクトくらいの広さしかない。そんな場所で拡散級みたいな大蜘蛛と鉢合わせたらと思うだけでぞっとする。おしっこちびる。よって却下だ。
最後に三つ目だが、これはシンプルに階段だ。一番確実で上下から挟み込まれない限り安全に移動できる。もうそれだけで採用するには十分だった。
一つ上の階に来ると同じような光景が続いていた。俺はこの階もマッピングしていく。そうして階段を見つけてさらに上階へ向かう。
こんなどこか分からなくて、さらにVICSが大勢いるはずの基地施設でも取り乱すことなく探索する。自分でも不思議なくらい落ち着いていた。
訓練で教わったからだろうか? それとも慌てたり怯えたりしても誰も助けてくれないと理解しているからか?
そうだ。誰も助けてくれない。ここには俺しかいないから。
自分を救えるもの自分だけ。そしてシャノンを救えるのも自分だけ。
プレッシャーや緊張、使命感やそしてもちろん一人で心細いやら怖いやらという感情もある。だったらコンディションは最高だ。
使命感で無理やり足を動かし、緊張や恐怖心で周りを警戒する。そうやって次の階もその次の階も順調にマップに埋めていった。
一つの階に数十分使って、合計で八つ目の階。そこは今までの階層より天井が低いところだった。二十分ほど探索してみると、エレベーターはあったが階段は見当たらなかった。その代わり、ハシゴの先にハッチという潜水艦の出入り口のようなものを発見した。どうやらここが地下一階らしい。
やっと地上か……? ここから出たら、地上に出たら断崖絶壁で逃げ場なしとかは勘弁してくれよ。
俺は不安を覚えつつそのハッチを開けた。
夜風が頬を凪ぎ、通路に抜けていく。それからジージーと鳴く虫の声が耳に届いた。ハッチの縁に手を伸ばすと、しっとりとした土の感触。恐る恐る顔を出し、俺は辺りを見渡した。
樹冠で月明かりは遮られ、真っ暗なそこを端末のライトで照らして確認した。
山中だった。もしかしたら森かもしれないが、木々が生い茂っていて人工物は一切ない。
ここが敵の勢力圏ならライトで辺りを照らすなんて目立つこの行為は、マリーさんに怒られていたところだろう。だが恐らくまだここは日本国内だ。輸送艇の飛翔時間は一時間弱だったから間違いない。
だとするとVICSだって地上をおおっぴらに出歩いたりできないはずだ。俺は足元を照らしつつ若干の傾斜のある地面を下っていった。
百メートルほど進むと、俺は首からペンダントを外した。
ここからが本番だ。
このペンダントは救難ビーコンを発信する装置になっている。こいつを起動すれば、周回軌道上で待機しているという宇宙巡洋艦からNOX軍が救出にきてくれるらしい。
だがこのビーコンの信号はVICSもキャッチする。起動すればこの静かな林に歩兵級のパトロールが溢れるだろう。
それでもやるしかない。ペンダントに指紋を読み込ませると、認証画面のホログラムが浮かび上がる。俺は心の準備をするように深呼吸し、それから緊急用の赤いアイコンをタッチして茂みに投げた。
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