第8話 運命の分かれ道
見晴らしの丘からずっと、後ろをつけてくる気配が消えなかった。
私はキサラちゃんと凛ちゃんを先に寝かせてサザーランさんと打ち合わせをすると言って借りた部屋を出た後、何もない空間に向けて声をかける。
「そこにいるのはだあれ?」
答えは返ってこない。
「気のせいか」
気のせいではないが、答える気がないのならそれで良い。
もしも狙いが私ではなくあの子達であった場合、酷い目に遭う。
流石に私に向かって気配はついてくるので安心して階段を降りた。
「女将さーん、いるー?」
「なんだいあんた」
普通であれば名前で呼び合う仲。
私が名前で呼ばないことに呼応して、向こうも気を使ってくれたようだ。
「実はお化粧切らしちゃって」
「なーにやってんのよ。明日は晴れ舞台でしょ?」
「忙しくって、切らしてたの忘れてたのー。お願い、ちょっと貸して。あとで買って返すから。もうお店空いてなくて困ってるのー」
演技をしてれば気配は消える。
「仕方ないねぇ。利子つけて後で倍にして返してもらうからね」
「けちー」
「あんたアタシより稼いでるくせにどっちがケチだい」
「だって〜」
気配が完全に消えるのを見据えて、素面に戻る。
それに合わせてサザーランさんも演技をやめた。
「で、なんだって急にあんな演技を。はい、化粧水」
「ありがと〜。なーんか、後つけられてたっぽいのよね」
「なんかお偉いさんの癇癪に触れたかい? あんた無意識に相手を煽るところあるから……」
サザーランさんが本当に心配そうな顔をする。
えー、そんなこと全然ないよ?
「私そんなヘマ踏みませーん」
「そうよねぇ、あんた抜けてそうなのに意外と周囲をよく見てるから」
「見晴らしの丘に行ってからどうも妙な視線を感じるのよね」
「きっと貴族と思われたんじゃない?」
「私がぁ?」
あり得ない。
正直格好から何から何までマナーも何もなってない自負がある。
まるで誇れないけどそれで良いのだ。
「確かに素行を見りゃあんたにはまず気品が足りないね」
「ぶーぶー」
「が、元は悪くないんだ。一目見て振り返る男どもは少なくないだろ?」
「お褒め頂きありがとう、と言いたいけどこればっかりはあの子達の素質だからね。サザーランさんも」
「本当にこの力には世話になりっぱなしだよ」
貴族と見違えられるくらいに綺麗となったと言われたら満更でもない。
けど、視線の正体はそんな感じじゃないのよね。
もっとねっとりとした嫉妬じみたものを感じたわ。
妙なことが起きなければ良いけど。
◇◆◇
「ほう、お前ほどの手練れが気配を悟られたと言うのか?」
「ハッ、まだまだ精進が足りませんでした」
「世界は広い、と言うことか?」
「どうやら私は井戸の中で頂点に立って浮かれていたようです」
密偵より報告を受け取ったクラーフは、目を細めて思案する。
今回はなった密偵はリンツァー国での上位の気配遮断の持ち主。
それに気づく相手となればそれ以上の手練れ。
それが彼の地の開拓に関わってるとなれば、やはりあの開拓そのものがこちらの目を欺くための布石であると結論づけた。
「なるほど、その女は勇者の仲間であると?」
「その可能性は高いでしょう」
「だが国民に混ざって生活していると聞くが本当か?」
「そう報告を受けております」
「……妙だな」
「妙と申されますと?」
「あの王が能力が低いからと呼び出した人材を放逐するだろうか?」
「するとあの者は王命を受けた可能性があると?」
「まだわからんが、監視はまだつけておけ。そして、我々の行動の邪魔になる様ならその時は消せ」
「ハッ」
クラーフはリンツァー国の徴兵を始めた。
かつてほどの規模はない。
だが、この戦は弔い合戦。
奪われたものを奪い返すための戦だ。
兵士の士気は当時の比ではない。
「クラーフ」
「カーミラ様」
「私をその場所に連れて行きなさい」
「盗み聞きとはお行儀が悪い」
「盗み聞くつもりはなかったのよ。たまたま聞こえてきただけ。それとその女がザーツバルグを離れてリンツァーにつけば、面白いことになりそうよ?」
「靡いてくれるでしょうか?」
「靡かせるのよ。得意よ、そういうの。知ってるでしょ?」
「カーミラ様の仰る通りにございます」
クラーフはぼんやりしながらカーミラの前で跪く。
どこか恍惚とした表情で恋心を抱き始めた少年の様にカーミラの事で頭がいっぱいだ。
かつてカーミラがリンツァー国に取り入った時と同様に“魔眼”を使う事で人材確保をしてみせると、カーミラは妖艶に笑った。
◇◆◇
「それでー、コンシェルジュの私に何のご用ですか? お嬢様」
「あなた、うちに来ない?」
「引き抜きのお話ですかー?」
「そんなものよ」
翌朝。
見晴らしの丘のサロンのプレオープン当日から変な客に捕まった。
身なりは整っていて、どこかの国のお貴族様だと言うことはわかるんだけど、よもやサロン体験前から引き抜きに来るとは思ってないので想定外。
これは勇者だと言うことがバレたか?
その上で引き抜きに来ている。
間違いなく召喚国に恨みを買ってる国だ。
ここは慎重に話を進めないと。
今成長途中のあの子達と別れるわけにはいかないから。
と言うか私が手放したくない。
だってこの世界に来てからの唯一の癒しなんだもん。
「うーん、それはちょっと困りますね」
「困る? どうして。ザーツバルグから弱みでも握られてる?」
はて? ザーツバルグとはどこの事だ?
逡巡した結果、この国の名前だと予測する。
ああ、この国ザーツバルグなんて一丁前にかっこいい名前なんだ。
知らなかったわ〜。
「弱みというか、ここ最近税金を納めよーとか御触れが出て迷惑はしてます」
「税金? 国を運営していく上で必要な財源の確保ができてないと自ら告白してる様なものね。でもおかしいわね? ザーツバルグほど潤ってる国を私は知らないのだけど?」
「私は他の街を知りませんので、比べることはできません」
「でしょうね」
「ただ、近頃治安が低下しているのくらいは気付いてます」
「治安の低下? 詳しく教えなさい」
「それはここではお話しできません」
「他者に知られたくない話?」
「他者というか他国に知られたくはないですね。察するにあなた様はやんごとなきご身分のお方であられますね? ここから先はこの国の行末を決める話となります。私達と行動を共にするとお声を頂くまで内情は話せません」
如何なさいますか? と促す。
「ふぅん、まぁいいわ。どうせ私の独断で決定は出来ないし」
「左様ですか。しからば今日のところはお引き取りを。お客様をお待たせしてしまっております」
「そう言えばあなた、案内人のと言っていたわね。どんなお店を開いているの? 少し興味あるわ」
「キサラちゃーん、一名様ご案内!」
「はーい」
取り敢えず、諸々のお話はサロンの中で伺いましょうか。
「へぇ、ここはサロンなのね。平民専用? 随分と悪どいことをして稼いでるのね」
お召し物を預かりつつ、人聞きの悪いことを言われた。
「凛ちゃん、ボディは後回しでスキンケアを重点的に。キサラちゃんはお髪を丁寧にケアしてあげて」
「はーい」
「はい」
「ここはマッサージをしてくれるの?」
「はい、全身マッサージから整体、骨盤の歪み改善までありとあらゆる女性の不調を取り除くことをウリとしております」
「そう、でもどうしてマッサージは後回しに?」
「ご懐妊されていらっしゃいますよね? 母胎に無理をさせたとあっては私共の看板に傷がつきますから」
「……私、妊娠してるだなんて言ったかしら?」
女性の目が細められる。
確かに聞いてはいない。
「いいえ。ですが同じ女性だからこそ見抜けます。先ほどから姿勢を変える時にお腹があまり揺れない様にお心がけしていましたよね。あれは妊婦の特徴です」
「そう、でもそれを知ったからってサロンの提供内容は変わるの? せいぜい香油を塗って気分を高める程度でしょう? 平民のお化粧だなんて貴族のものと比べたら粗悪品と相場は決まっているわ」
「ご不満はご体験後に改めて伺いますわ、奥様。今はただ世間を忘れてリラックスしてくださいまし」
「まぁ、好きな様にするといいわ。その代わり、私の髪をボロボロにしたら許さないんだから」
相当神経質そうだものね。
軋んだ神は枝毛が多く、肌は化粧で誤魔化している。
その上でプライドだけは高くて貴族のお嬢様ーって感じだわ。
装飾品一つをとっても高級で、貴族の中でも上位に君臨してそう。
そしてお預かりした毛皮のコートは見たこともない毛色で、きっとモンスターのものなんだろうなと検討をつけた。
「茉莉さーん、お髪終わりましたー」
「お客様は?」
「お休みになられてます」
「うんうん、グッジョブよ」
「相当お疲れの様でしたので、念入りに頭皮マッサージしてあげたら、くたっと」
「でしょうね。ここで成功を掴めば私たちの待遇も変わるわ」
「そうでしょうか? 上得意様が増えるのは嬉しいことですけど」
「あなた達の力次第ではもっともっと上にいけると思うのよ。ところでキサラちゃん、ここのほつれが気になるんだけどあなたの能力で治せない? というか伸ばせる?」
「うーん、死んでる対象の毛は難しいですねー。ダメ元でやってみますけど」
「お願いねー」
さーてこれが後々吉と出るか凶とでるか。
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