第12話/ビューティフル・ネーム

 廊下の奥からタオが出てきたのを見るや否や、トパーズは早足で寄った。時計の上ではそれほどの長時間ではないが、気が気でないトパーズにはこれまでの人生以上に長く感じられた。

「大丈夫だよ。ビョーキとかはねえってさ」

「ほ、ほんと? どこも悪いとこ、ない?」

「ねーよ。待っててくれてありがとな」

 よく晴れている。オープンカフェで甘めの紅茶のカップを傾けながら、トパーズは何を話したら良いかわからずにずっともぢもぢしている。タオは以前のようにきょろきょろと視線を泳がせることはせず、落ち着きのないトパーズを見ている。

「親父はどうなんの?」

「え!? えっと……なんか、調べたらいっぱい余罪が出てきたから、裁判長引くみたい。たぶん、あなたもまだまだこれからたくさん事情聴取されるはず」

「ふーん。ま、終わっちまえばそんなモンだろ」

「気楽だね……私は全然安心できないのに」

「なんでだよ。おまえのことじゃねえだろ? あ、まあ、賞金首にゃなってたけど」

「それとこれとは別。だってあなたのことは……」

 タオはずい、とトパーズに詰め寄った。怪訝な顔をしている。

「さっきから、『あなた』って何。ヘンだぞ」



「そうですか。わかりました。それじゃまた」

 受話器、の形にしていた手を電話機に置く素振りをする。本来のオリビンはその程度で占えるが、久々の魔法界からの新顔にはちょっといい恰好をしたかったらしく、ジェイの見慣れたこのスタイルではなかった。

 長い付き合いになるが、オリビンの生まれた世界について詳しく見聞したのはジェイには初めてのことだった。

「なんだって?」

「新しいレジャー施設がオープン予定だそうです。海がテーマだそうですよ。いいですね、楽しそうでした。あとは、ふふっ、これはとっても嬉しいことですが、前作から早五年、待ちに待たされたあの映画の続編がついに決定です。うふふ、やったー」

「そいつは良かったな。他にも、あるんだろ?」

「はい。魔法界の例の騒動、とりあえず展望があったようです。やっぱりタオくんさんは人間界から攫われた女の子でしたね。人間界に戻すわけにはいきませんので、そのままあちらで暮らすそうです」

「……そうか。まあ、無事ならいいだろ」

 ジェイはプーッと煙草の煙を庭に向かって吐き出した。よく晴れている。ぬるめのミルクコーヒーを大きめのマグにたっぷり注いて、クッキーをチマチマつまむにはおあつらえ向きの天気だ。

「なあ、オリィ」

「はい」

「海のテーマパークもいいが、それより……コスタメサでサーフィンの方が、手っ取り早いとは思わないか?」

「ジェイ。あなたの長所は素直で物言いがストレートなところです。短所は、私をデートに誘うときだけ回りくどくなるところです」

 灰皿にズムンと煙草を突き刺し、ジェイは無表情のままでオリビンを見つめた。

「俺が選んだ最強のビキニを着てくれ」

「合格です」



「なんじゃ、ワシャそんな危なっかしいとこに誘拐されかけとったんけ」

「そ~だよ危なかったんスよ。まエメちゃんがブッ潰したけどね」

「にゃ~にを自分の手柄みたくほざきよるんじゃ。針子の姐やんがほとんどやっとるやろが」

「あははそれはそう」

 ビアガーデンは快晴に恵まれて心地よさそうな風を吹かせてさえいる。エメラルドもツキも飲みっぷりは変わらないが、既にツキの呂律は若干、怪しい。

「アホが大勢おったモンじゃのう。未だに獣人売買なんぞで儲けとったんか」

「アホっスよねえ。敵に回した相手が悪すぎっスよ」

「おん。あの鳥頭、いろいろ嗅ぎまわっとったしのう。へーへー、ようやりよるわ」

「パパのおかげでギリ回避したようなモンじゃん。命拾いしたと思いなよ~」

 次から次へとジョッキが空き、また新しく注がれたものがやってくる。忙しいガーデンの三割はこの席のせいだ。

「ヘッ。ワシャ楽して暮らせりゃあそれでええんじゃ」

「ツキちゃんの相変わらずのスタンスはエメちゃんもびっくりよ」

「エメにしちゃ珍しいこと続きやしなァ。なんじゃ、首都越してきてまでケツ追わすほどのタマか、あの交機は」

「まーね。おもしれー男……ってやつっスよ」

 店員の張り裂けんばかりの「いらっしゃいませ」がこだまする。

「おもしれー男の登場じゃ。ワシャ次行くけえ、ツケとけ」

「やだよ払えよ酒クズうぉ~か~がよ」

 ウサギらしい早足で出て行ってしまうツキと入れ替わる形でビャクダンが席につく。オフの日らしいラフに振り切った恰好だ。ツキを目で追っていたが、不機嫌ではない。ニヤニヤしながらエメラルドは自分の空のジョッキを軽く持ち上げた。

「ご注文は?」

 ニ~ッと笑ったビャクダンは「決まってんだろ」と返す。

「ビールちゃんだ」



「みゃあ゛ーッ! またルビーさんからのおもたせがポッケにィ! いつの間にィ!」

 上着をさかさまにしてバサバサ振ると、キャンディやミントタブレットを中心にした小粒の菓子類の他に、ピカピカのコインやサバの味噌煮缶、ねこ用ペーストのチューブなどもボトボトゴトンと落ちてくる。

「うう、でも断りづらァい……」

「シャノアールくん、断るなんてとんでもないことですよ。大魔女に認知されているだなんて世間からすれば光栄極まりないことなのですからね」

「長官にはわかんないですよゥ。文筆先生のパシリじゃないですかァ」

 ギベオンが大荷物なのは、〆切がギリギリすぎておかしくなり始めたアメジストに提供する茶菓子類を大量に持っているからである。行きのターミナル駅で後先考えずに土産物を買い込んだ浮かれ旅行者にも見える。

「光栄なことですから」

「長官らしくて不平が出ないや。あ、僕も同行します! ルビーさんに、変身薬の使用感についてのレポートをお渡しするので」

「ついでに荷物も持ってくれますよね?」

「ヤでーす。車両の申請してきまーす」



「あはははははいやあははははは作家ってのはいい仕事だなあははははまったく素晴らしいねこいつはなんだって昔の私はこんなので食っていこうなんざ考えたかな馬鹿らしいと思わないかいふははははああー編集から電話きちゃうっ催促されちゃうっいやだーーー誰か助けてくれえ」

「どうしてチルアウトな私のところで書くわけ? せっかくのシーシャが美味しくなくなるからせめて静かに書いて頂戴よ。本当にスケジュール管理がお馬鹿さんなんだから」

 隈を深々と作ったまま、パサピンにハネた毛先のまま、そして病的な笑顔のまま、アメジストはルビーに掴みかかった。

「仕事抱えてないヤツがめちゃくちゃリラックスしてる隣で書いたら腹立ってブーストになるはずなんだ! 全然進まない! なんでだ!」

「知~らない。離して」

 フウ~ッと吹き付けられる薔薇の香りの煙をモロに顔に受けてもアメジストの瞳は血走ったままだ。指輪になって大人しくしているガニメデも呆れていることだろう。

「大人しく書きなさいよ。あ、体壊すからエナドリ作れってのはナシね」

「うわああんケチロージー! 手伝うか作るか〆切消すかでなんとかしてよう!」

「編集さん呼ぶわよ! もう……私は久々に暴れられて楽しかったんだから、水差さないで」

「うん、まあ、一件落着ってのは、いいことだよな」

 冷めきった紅茶を飲み干して、アメジストは正気を取り戻す。

「しかしまあ、こんな今更、獣人差別なんつー古臭い慣習と向き合うことになるとはね。何百年前の話だよ。なあ? ロージー……」

 眉根の寄っているルビーに、アメジストはそれ以上の声はかけない。

「やっぱり私、一度サフィにフルスイングされるべき?」

「そう考えられてるうちは平気だよ。自信持ちなよ」

 ドアベルが鳴る。カメラ越しに、笑顔のシャノアールと汗だくのギベオンが大荷物を抱えている。

「……ちゃんと、考えられるだけ冷静になっているかしらね。私」



「久々におっきなパパが見られて嬉しかったわ!」

「わあい! いつでも変身やるヨ、マリーヤのためならネ」

 朝食に回したトルティーヤを食べながら、朝のニュース番組で大々的に報じられる「大犯罪! 人身売買とペット窃盗元締めを逮捕」のタイトル。専門家の「古臭い価値観のままでいると犯罪を犯罪として認識できていないケースもある」というコメントが重苦しい雰囲気を醸し出している。

「タオのこと、報道しないって、局みーんなに言ったヨ」

「そうねえ。人間界の存在なんて、混乱の種でしかありませんもの」

「あのお店の小籠包、美味しかったネ! また食べヨ~」

「まっ。ごはん食べながら別のごはんのこと考えてらっしゃんの? 大食いさんね」

 分けて食べるほどの大きさのサラダボウルを空にして、パパは満足そうだ。

「いっぱい食べられる、ブエノだよ! 頑張ったもんネ、ボクら」

「……パパ、あたくしのデザートもどうぞ。一口だけ頂いても?」

「アイカランバ! グラシアス、マリーヤ! 桃コンポート、上手にできたデショ?」

「ええ、美味しいわ。それにしても、タオだなんて安直な名前だことね!」

「Ya! ボクだけでもブリーダー、捕まえられたカモね」

 スタイルスタジオ「GALA」のオープン時間まではまだしばらくある。楽しいひとときももうしばらく続きそうだ。



 トパーズはぐぐっ……と悔しそうな顔になる。何を言い出すかと思えば、

「あーんな極悪人なのに、ネーミングセンスが悪くないのに怒ってるの……!」

「はあ?」

「だってあなたの本当の名前! アムリタって、とってもキレイな名前なのよ! ああ~っもうなんか悔しい! そっちで呼びたいけど、でもなんかそれはイヤ!」

「ウケる。どっちでもいいだろ」

 タオは何も気にしていない様子だ。置かれた環境がろくでもなかったし、危うい状況であったことも理解している。不都合も多いはずなのに、どこか楽しそうにすらしている。

「オレさ、タオってのも気に入ってんだぜ。急にアムリタちゃんって呼ばれてもなんかスゲーヘンな感じ。つかオレ自分のこと男だと思ってたし」

「無理矢理そう育てられたんだもの……しょうがないよ」

「だろ? しょうがねえんだよ。けどこれからどんどん変えていけるワケ。あの街のことも、首都のことも、他の知らねえ場所のことも、見て聞いて行って、好きなことして生きてけるんだろ? じゃもう昔のこたあ、どーでもいーじゃんか」

「……ね。すごく」

 にひひ、と、いたずらっぽく笑う。きっとこんな風に笑うのは、トパーズの前でだけだろう。タオは笑顔のまま、まだ複雑な気持ちでいるらしいトパーズを覗き込んだ。

「サファイヤさんが言ってたじゃん。誰でも完璧じゃないって」

「そう、だね?」

「でも愛さえあればみんな完璧とも言ってた」

「うん」

「オレそれ知りたい。真実の愛ってどういうの? トパーズは? 知ってる?」

 考えたこともないし、まっすぐ目を見て言われるとやけに顔が熱くなる。目を泳がせても、タオはその視線を追ってくる。

「わ、わかんないっ、そんなのっ」

「エ~なんか知ってそ~」

 近くの席でこのやり取りの部分だけを聞いていた女性が書き込んだ「【出歯亀】新品カップルさん、童話も真っ青の口説き文句を公共の場で吐いてしまう【砂糖壺】」という掲示板スレッドはじわりじわりと数字を伸ばし、総レス数211の良スレとしてしばらくの間ログを残した。



FIN.

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