第11話/アムリタ

 なんか、寒ィな。


――おい! 飛ばせ飛ばせ! 人間界の連中なんぞに追いつかれるんじゃねえ!


 腹も減ってきた……。


――立派な商品に仕上げるんだ。もう高値を吹っ掛けてきてるヤツもいる。


 体が上手く動かねえな。何だ?


――男の恰好をさせろ。サツに目をつけられねえようにするんだ。


 ここ、どこ……?


――屋敷からはまあ、出してもいいだろう。物を知らなすぎるのは逆効果だ。だが街からは出すな。儂の目の届くところに置いておかなきゃなるめえ。すっ転んで怪我でもされちゃたまらねえからなあ。


 目を開けたそこは、薄暗い見知らぬ場所である。すぐ前に、鉄格子があった。そこには何重もの鍵がかかっていて、無理に壊そうにも数が多い。

「え……なんだこれ」

 鍵に触ろうとしたタオは、自分の手首に見たことのないレースがかかっていることに気付く。いままで着たことのないような、フリルとレースだらけの、少女趣味なドレスだ。素材感はやや粗い。

「オレ……どうなってんの?」

「そろそろ時間だ。落札者がおまえを引き取りに来る」

 良く知った声が背後からして、タオは安心して振り返った。老人はいつもと変わらず、車椅子を黒服に押させている。少しばかり身なりの良いのも、たまにそんな恰好をしているのを見ていたので知っている。

「親父!」

「おお、可愛いタオや。心配したぞ。危険だと言うに、首都なんぞに行きおって」

「ごめん……でも、いろいろ勉強できたぜ! これから親父のためにもっともっと……頑張る! 迎えに来てくれたんだよな、ありがとう親父」

「当たり前だとも。大事な商品にこれ以上余計な傷がついては大変だ」

 タオは伸ばしかけた手を止めた。見慣れたはずの老人の目は、どこかおかしい。優しいものではない。値踏みする目だ。ないはずの指が、金額を数えて折られている。

「犬猫やら、獣人やらと違ってな。桃娘は難しい。何度か育ちの良い娘でも試したが、上手くいかない。魔法界のヤツじゃ失敗する。魔力がなければないほど長く続くとわかったから、わざわざ人間界に危ない思いして行った甲斐があった。人間界で長々と伝説として語られるだけある。おまえがここまで立派に育ってくれて、本当に良かった。手を上げないように育てなくちゃならんかったのは厳しかったがな、なあに、おまえにつく値段に比べたら儂の手足の値段なんぞ安いものだよ」

「……トパーズは? サファイヤさんに、パパも……」

「大魔女なんて危険な連中に、おまえは捕まっとったんだ。助けてやれて本当に良かったんだが……おまえはもう、手遅れになってしまった」

 大魔女にその見習い、そして、獣人差別禁止法の立役者であるパパ。この三人といたため、タオはずっと監視下にあったにもかかわらず、老人はタオを奪い返すことができずにいた。トパーズの「首輪」が外れ、一人になったタイミングでようやく連れ去るに至ったのだ。オークションは既に終了している。至上最高額が動き、タオは老人のキャリア至上でも最高額の落札品となった。落札者の代理人を名乗る二人組からは、スーツケースにぎっちり詰まった純金を預かっている。

「おまえは余計なものを食べてしまった。天然物として売り出せなくなってしまうのも時間の問題だ」

「さっきから……何の話だよ……」

「だからな、ちと早いが、お別れだ。手のかからん子だと思ったが、最後の最後で困った子だよ」

 重い扉の開く音がして、薄い光が入り込む。その一瞬にタオに見えた周りの環境は、壁一面を覆いつくす大小様々な檻と、そこに震える動物や獣人の姿だった。

「やあ、ようこそ。この度はまことにありがとうございます、マダム」

「その子かい? ああ……ここまでいい香りがしてくるよ。素晴らしいねえ」

 傘を杖代わりにした、すっかり腰の曲がった老婆が一人、タオの入った鳥籠の前に立つ。身なりは良いが、皺だらけの顔と尖った鼻はお世辞にも美しいとは言えない。

「お一人ですかな? 使用人などは……」

「もう少ししたら呼ぶさ。ところでこの子は本当に、血を飲むと甘いのかい?」

「ええもちろん。なんならここで、指の一本でも」

「馬鹿をお言いでないよ! この子はもうあたしんだよ。あたしがどうこうする他を許すはずがないだろう!?」

 老婆は精一杯に手を伸ばして、タオの頬を撫でる。理解の追いつかない恐怖で目を瞑っていたタオだったが、口振りや表情に対してやけに優しい手つきに覚えがある気がして、そっと目を開く。目深に被ったフードの下に、若々しく輝くブルーの瞳がウインクしていた。

「うんうん。大人しいいい子だねえ。ドレスが安物なのが気に食わんが……そんなのはあたしが仕立ててやろうねえ。短い命だ、とことん可愛がってやらなくちゃ」

「是非に」

 老婆はニタリと笑うと、傘をカツカツ鳴らした。黒ずくめの老婆にはあまり似合わない、カラフルなオウムが飛んできて、老婆の肩に乗る。扉から入ってきたのは高級スーツをピッチリ着せつけられた黒猫の獣人だ。

「素敵なご趣味だ」

 老人に対し、老婆は今度はウフッと笑った。いつの間にか、顔じゅうの皺が消えている。すっと伸びた姿勢はトップモデルも顔負けのものだ。傘を使ってくるりと回れば、黒いローブはブルーのチュールに刺繍をあしらったドレスに変わる。大ぶりの金のイヤリングが揺れて、鋭い眼光を引き立てる。

「そうでしょう? みんな、あたくしのなのよ」

 驚いて声も出ない老人や黒服をしっかりと見据え、どこから出したやら、マイクを口元に、サファイヤはビシッと天井を指差した。

「Welcome to the Jungle!」

 高らかなその声に合わせる形で、二人の獣人が動いた。パパがゆっくりと羽を広げ、オウムから、巨大なロック鳥へと変身しきるまで、豹や猫へ自在に姿を変えながらシャノアールが黒服を薙ぎ倒してゆく。象をもヒナのエサにするというロック鳥がひとたび羽ばたけばこんな古い廃倉庫の屋根など軽々吹き飛ばしてしまう。

「突入!」

 上空には交機が隊列を為して待機している。エメラルドも交えた彼らは、ビャクダンの命令で次々と突っ込んでゆく。慌てて逃げ出そうとした老人の車椅子の肩に突き刺さる、サファイヤのピンヒールの先端。早着替えはこれまたいつの間にやら、わざとボサボサにした髪と白いノースリーブのTシャツ、ピタピタのエナメル素材のパンツと、ラフながらに相応しい。

「knees! I wanna watch you bleed!」

 そしてそれは屋外にもキンと響き渡っており、アメジストとルビーがそれを聞いてくふくふ笑う。

「サフィめ、ノリノリだな」

「だってああいうの、サフィがいちばん許さないタイプじゃない」

 二人乗りの箒で、ルビーは気まずそうに視線を泳がせる。いつ自分もあの調子でキレ散らかされたものかと考えてしまったのだ。

「このままライブ会場になるのも悪かないが、せっかくならシナリオ通りに、見どころたっぷりのラストバトルシーンに仕上げたいじゃないか。だろう? トパーズくん」

「……キメます! うう、そんな余裕ないかもしれないけど……」

「そういうのは最初の一言だけでバッチリなの! あなたらしいけど!」

 交機とエメラルドの猛スピードの飛行で、屋根が外れたことによる土埃は早々に晴れてくる。予想よりも早い自分の出番にトパーズは身構えたが、シャウトを張り上げるサファイヤの背中に大きな鳥籠があるのが見えると、急降下した。

「ガッツあるな。私たちも位置につこうか」

「頑張ってるシャノアールくん、ちょっと見えた」

「はいはいよかったな」

 箒にしがみつくように、風の抵抗を受ける面積を減らす。エメラルド直伝のスピードのコツを最大限に発揮しながら落ちるように降りる。鳥籠の中に目指すものが見えている。

「タオくん!」

「トパーズ!」

 手と手が触れる。檻越しに額が触れ合う。

「鍵、外すね。大丈夫だよ」

「うん、うん……」

 交機とエメラルドの合同部隊に屋外へと追い込まれた老人と黒服たちは命からがら逃げ出したとばかりに思っている。が、

「!?」

 突然、地面から茨の蔓が急速に伸び、行く手を阻む。蔓の隙間から、液体の入っていたらしき瓶を逆さに持っているルビーが微笑んでいる。

「いやあ、悪人がシナリオ通りに動くのはやっぱり面白いね。楽な仕事にしてくれてどうもありがとう」

 ルビーの隣にアメジストが立つ。ペン型の簪で茨を指すと、ペンで「書き換え」を行った。

「茨は縄となり全員ふん縛る!」

 アスレチック遊具に絡まった子供のように悲惨な状態になる黒服たち。

「は~い違法業者御一行様、ご案内~」

「悪ィな、数が多いモンだから魚網でしかご案内できねェわ」

 交機の一部チームを率いたエメラルドとビャクダンが、その上から魚網を投じる。水揚げされた魚同様に暴れても、身動きは取れるはずがない。

「やめろ! 儂の事業の邪魔をするのか!」

「届出も承認もされていないので、そのご意見は無効です。それより、追加で、公文書偽造をはじめとするいくつかの法令違反をお付けしますね」

 戦況を見守っていたギベオンがすかさずアメジストの隣を固める。ここいちばんのドヤ顔だ。呆れたアメジストは小言で攻撃を仕掛ける。

「お~い長官くん。手伝いもしなかったんだからせめて被害者のケアくらい行ったらどうだい?」

「あちらはもう終わりますよ。私の手伝いなど不要でしょう」

 ハードロックフェス会場から、オーケストラコンサートへ。マイクなしでも非常によく響いて通るサファイヤの歌声が変わる。不安に怯えていた動物や獣人たちが安心して落ち着いてゆく。しっかりと握って離さない手を振りほどくことなどせず、トパーズは壁じゅうに重ねられた檻を見渡した。

「全部開けないとね」

「鍵っ子ちゃん! きちんと『封印解除レリーズ』って言うのよ!」

「ちょっとニュアンスが違うんじゃないですかそれ!? えへ……でも憧れだったので言います」

 鍵束から星のデザインのついたものを取り出す。レプリカの、ファングッズに過ぎない代物が、鍵の魔女が使えば変わる。

「封印解除!」

 一斉に檻が開く。獣人たちから歓声が上がった。パパやエメラルド、交機を中心に、次々に救助活動が進む。夜が明ける頃には、檻の中には誰も残されていなかった。

 タオとトパーズの手も、ずっと握られたままだ。

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