第9話/Fixer Upper
「あの……サファイヤさん。お夕飯は、いいんですか?」
「ダイジョブ、明日の朝、食べるカラ!」
「あたくしの分も残しておいてくださるといいけど。ほらタオくん、あれが雑貨屋さんよ。ご一緒しましょ」
「あい」
餌付けの影響か、元よりあるサファイヤの母性らしきものか、タオはすっかりサファイヤについて回るようになっている。懐いているというよりは、付き従っている。
「最初からサファイヤさんにお任せした方がよかったのかも……」
「ノ! ノだよアプレンディーザ。最後まで責任もって、面倒見る。これ、鉄則だヨ」
「そんなペットみたいな……いや、まあ、ええ……通ずるものはありますが……」
レターセットやフレークシール、リボンにスタンプキットなど、ろくにものを知らなかったタオからすれば真新しい世界へ、サファイヤは連れて行ける。初めて見る、手芸道具というものをタオがしげしげと眺めているところへサファイヤがたずねる。
「あーたのそのお召し物は、随分と上等だわね。お父様に頂いたのかしら?」
「うん。親父はいつもこういう服くれる」
「そうなの。本当に良い生地だわ。まるでお肌に傷をつけないためみたいになめらかよ」
「肌触りサイコーだよ。パッと見もスゲェカッケーしさ。気に入ってんだ」
「いいことだわ。ねえ、あたくしね、着るもの作るお仕事をしてるのよ。あーたにも、きっと似合いのを作って差し上げるわ。ちょっと裄を測らせて頂戴」
サファイヤがこうまで手塩にかけるのは、ぬいぐるみかパパ、他の大魔女たちの他には見られない。トパーズはぼんやりと、「どうしてタオくんのことを特別に扱うんだろう」と考えている。パパが茶々入れしてきた。
「アプレンディーザ。わかるヨ、タオ取られて、ちょとズルいって思ってるネ?」
「え!? わ、私がですか!? なんでそんなこと……」
「ボクがマリーヤ取られてションボリだからサ! Aye! マリーヤ!」
「ああ、そういう……」
道行く先にあるすべての店に立ち寄る勢いで、二人はずんずん進んで行ってしまう。タオの「首輪」が発動しないよう、トパーズもいそいそとついて行く。誰かの背中を追うのは、大魔女見習いになってからは毎日そんな心地だ。そこに、タオという新しい姿がいることが、未だに不思議だった。
「まっ! それじゃ、本当にさっきのが初めてのお味だったのね! それにしても驚かされてばっかりだわ! 桃の味のするものしか食べたことがないだなんて!」
「え!? そ、そうなの!?」
「オレからすりゃ、味ってモンに種類があったなんてびっくりだぜ。さっきのはなんか、ジュワっとして、じわ~っとして、ちょっとだけベロがビリビリするみてーな……なんだろ、でもウマいって思った!」
「それじゃ、きっともっと知らないものを、これから知ってくことになると思うわ。あたくしもそうでしたもの」
通りを行くと、噴水のある広場に出る。夜は恋人たちがよく集まっているが、どうやら一組、揉めている。
「へー。首都なんつーとこでも喧嘩はあるんだな」
「あれは喧嘩の中でも痴話喧嘩。あらあら、どうしたものかしら」
大声で言い争っているので会話の内容は周囲に丸聞こえである。女は事情があって、男と別れなくてはならないらしい。家庭の事情だというから、周囲も口を出せないのだ。明らかに浮いている二人に、サファイヤは人混みを「ちょっと失礼?」とかきわけながら進んで入る。
「だからアナタとは別れなくちゃならないの! お父さんはアナタのこと嫌って、悪くしか言わないのよ! アナタを傷つけたくないの!」
「僕は何を言われたって構いやしないよ!」
「そうよ! そんなことぐらいで、愛はくじけたりしないわ。それに彼のどこがいけないって言うのかしら? あたくしの仕立てた服がお嫌い? 〽不愛想だから?」
男の服のタグには「GALA」の表記がある。サファイヤは一度仕立てた顧客の顔をそう簡単には忘れない。すかさず次のフレーズを歌い上げるのはパパだ。
「〽不器用だから?」
突然に始まった歌に誘われた子供が大人たちの足元からぴょこんと顔を出す。
「〽四角い足のせいかな?」
そこからは、サファイヤの独壇場である。周囲に向かって歌いかけると、人々は強制的に歌い踊らされる。しかし無理矢理にもかかわらず楽しげだ。
「〽彼は完璧じゃない、問題もある」
「〽少し変わり者」
知らない歌の知らない歌詞が自分のことを言っているような気持ちになる。時折、サファイヤとパパと、視線がぶつかる。タオは大魔女の「ちょっとした」魔法を目の当たりにして立ち尽くしている。それにしても、人々の楽しそうなことといったら、なかった。地元でもどんちゃん騒ぎはあったけれど、タオにはその威勢良い声が塀と部屋の戸越しに届くのみだったので、踊る人々というのは、ほとんど初めて見るようなものだ。
「〽少し愛があれば!」
喧嘩別れ寸前だった二人もすっかり輪の中心だ。急に腕を引っ張られ、つんのめりながらタオも輪の中に入る。そんなつもりはないのに、口が勝手に、知らないメロディを完璧なタイミングと音程で歌い上げてしまう。
「〽だけどこれさえあればみんな完璧さ!」
「〽真実の愛!」
ワアッと一斉に歓声が押し寄せる。ぽかんとしながら、タオはあの男女にサファイヤが詰め寄るのを見ている。
「家族ですもの。きっと、わかってくれる」
「大魔女様……」
「なーんて甘い考えはお捨てなさい。いいこと? 家族なんてったって、所詮は他人なの。でもあーたたちには、真実の愛がある、それを忘れないで。離れていたほうが見える景色もあるわ。あーたたちのことを決めるのはあーたたちだってことも」
自分がいた世界は、自分が考えていたよりもはるかに狭かったのかもしれない。タオは老人から離れたことで、自分が、頭がパンクしてしまいそうなくらいたくさんの物事に触れていることを改めて確認する。
じゃあ、真実の愛ってのは、何なんだろう。オレにはないのかな。
離れたことで知った景色はあった。でも、真実の愛というものは到底理解ができなさそうである。身の振り方がわからなくなったタオが見たのは、トパーズの姿だった。突然、否、突然であってしかるべきだが、強制参加型フラッシュモブをやったサファイヤに小言を申しつけている。
あいつに会わなかったら、オレは一生、この世界を知らないままだったんだ。それって、つまんないし……実はすごいことなんじゃないか?
トパーズと視線がぶつかる。ばちん、と、電気のような衝撃があったような気にさえなる。
もっと、見られるかな。
楽しい雰囲気を叩き割るような悲鳴が遠くから響いた。
「誰か! うちの犬を取り返してくれ!」
「まッ! ワンちゃんの引ったくり!? 許せないわ」
「おっとっとっとマリーヤ、ストップだ! キミが動いたら周りにも被害が出る!」
「でも!」
子犬を抱えた男が人混みを走り抜けてゆく。片手には箒も握りしめている。すぐにでも逃げ去るつもりだ。獣人差別とペット・動物への悪態一切を許さないサファイヤが怒りのままに歌いだせば、窃盗犯が無事で済まないのはともかく、街の地盤もメチャクチャになるだろう。災害と変わりない。
「タオくんお願い!」
「あ……? あ? な、なに」
「あのひと捕まえて! 首輪、外してあげるから!」
「……! よっしゃ、わかった任せろ!」
首からガチリと音がする。何かが変わったようには感じないが、タオはすぐさま走り出して男を追った。タオからすれば、男の脚力はまったく大したことのないものだ。すんなりと追いつき、追い越すと、まずは箒を握りしめている手首を掴んで捻り上げる。
「あ!」
痛みに悶える男が箒を手放すとそれは蹴り飛ばして遠くへやり、手首は掴んだままに腹にまた軽く蹴りを入れる。男は、犬が喜んで腹を見せるのと同じように地面に転がった。
「わはははは! ダセェぞこいつ!」
周囲から大笑いが起こる。タオは男の頬を一発殴って気絶させると、怯えて縮こまる子犬を優しく抱き上げた。
「よーしよし、もう大丈夫だ」
飼い主の男性が息を切らしながら追いついてきた。タオはそっと子犬を受け渡すとニッと笑った。窃盗犯への嘲笑、タオや飼い主への指笛・歓声・拍手の中、飼い主は涙ながらにタオの手を取ってぶんぶん上下に振りしだいた。
「何を感謝したら良いやら……!」
「大したことねえって。そいつが間抜けだっただけだ」
「本当に、本当にありがとう!」
飼い主以上に感極まった声のサファイヤがパパの肩の上からタオを呼びつける。
「えらいわ~! な~んていい子なのかしら!」
肩から下りると一直線にタオを抱きしめに走ってくる。ものすごい力で抱きしめられているのと、鼻も口も、たっぷりの胸にギチギチに埋められてしまっているのでジタバタ暴れているタオをよそに、サファイヤはタオの頭をワシャワシャ撫でたりするのに夢中だ。
「んぶぁー!」
「さっ、サファイヤさんそのへんで! タオくん息できてないです! あとパパさんの顔がちょっと怖いの!」
「本ッ当にいい子! ワンちゃんにも怪我一つなく、周りのひとたちにも何もなかったわ。えらいわ、いい子! あーたは、誰かのためにすぐに動ける子なのね。素晴らしいわ!」
タオは目を丸くしている。老人は自分のために、自分を心配させないために、大人しく家にいることを「いい子」と言った。だがサファイヤは違うらしい。
「オレ、いい子なの?」
「ええ! このあたくしが保証いたしますわ!」
「……親父は、大人しく家にいるのが、いい子って」
「親御さんはそう言うモンよ。子供があっちゃこっちゃ行ったら危ないですもの。でもね、見知らぬ誰かのためにすぐさま行動できるのは、おうちで大人しくしてるよりも、ずっといい子よ」
「……」
サファイヤはもうひと撫で、タオの頭に手を置くと、むくれるパパを宥めに戻った。
「お手柄だね、タオくん!」
「え、あ、おお……」
「すごいよ! ほら、私たちだと、周りもグワーッて巻き込んじゃうことが多いし。タオくんみたく上手にはできないもの! すごいすごい!」
タオは「いつから名前でなんて呼ばれてたっけ」という疑問が勝って、首輪がないにもかかわらず、走り去ってやるなどの考えに至れない。
それなりに宥めてもらえたパパは巨体をしゅんと縮こめながら、遠く、タオとトパーズを見つめながらスマホを出した。
「ああ、間違いない。北区のタオだ。もうすぐそっちに、お似合いの魔女と交機の二人組が着くはずだ。二人に情報を共有して構わない。ペットショップの場所を割るよう仕向けろ」
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