第2話 裏側の世界
緑の後ろで扉が閉じた。
緑が振り返ると、そこには、緑の部屋の扉が乱雑に置いてあった。
「ぐずぐずするな」
男が声をかける。
緑ははじめて、目の前の世界を見た。
目の前に男がいて、緑の手を引いている。
いつの間にか、緑はくたびれた靴を履いている。
足元が小さくなった気がする。
緑の全身が、縮んだ気もする。
さっきより、幾分男が大柄に見える気がした。
そして、その周りに広がる、
どこか雑然とした世界。
ネオンの裏側が見える。
雑踏の裏側が見える。
店の裏側が見える。
道路の裏側が見える。
古びた商店街のような世界だ。
「ここは、裏側の世界。俺たちの世界さ」
鏡が映し出すように世界は裏返っていて、
そこをぼやけた太陽が光を与えていた。
「さて、お前は、壊れた時計を持っていないと、こっち側にいつづけられない」
男が緑の手を引きながら説明する。
「だから、探す。極上のとびっきりの、お前だけの壊れた時計だ」
「はい」
緑は答えた。
「今は俺の壊れた時計と連動させてる。手を離すなよ」
「わかりました、…えーと」
緑が答えに詰まる。
「誰様でしょう?」
はじめて緑は男の名前を知らないことに気がついた。
「ネフロレピス・ブルーベル」
男は呪文のように唱えた。
緑はよくわからなかったようだ。
「俺の名前だ。ネフロレピス」
「よろしくお願いします、ネフロスさん」
「…略するな」
「覚えられないんです」
「じゃあいい、とにかく、手を離すなよ。お前はまだ、裏側の名前も持っていないんだ」
ネフロスは緑の手を取りながら、
裏側の世界を歩き出した。
雑踏の、裏側の、ごみごみした場所を、裏側の世界は反映している。
そして裏側の世界には、
裏側の世界の店が軒を連ねている。
「真夜中のとき、裏側の世界には日が昇る。俺たちはお日様があったほうが動きやすい」
ネフロスはそんな説明をした。
「だから真夜中に邪魔したわけだ。ここまではわかったか?」
「なんとなくは」
緑が答える。
「じゃあ次は、壊れた時計探しだ」
「どう探すんですか?」
「心に聞いてみな。お前の行きたい場所にある」
「行きたい場所…」
緑はあたりを見渡した。
雑踏や商店街や住宅街…の裏側の世界。
無性にわくわくしたが、ネフロスの手を解いてしまえば、自分の部屋に戻らざるを得なくなるだろう。
それは嫌だった。
一つ一つ店も見たかった。
雑貨屋らしい店、置物の店、「水あります」と書かれた店、「薬」と書かれた店。
横文字らしい読めない店もある。
漢字ばかりで、わからない店もある。
日が昇っているのにネオンがついている店もある。
日が昇ってるといえども、ぼんやりしているので、それはそれでいいのかもしれないと緑は思った。
「あそこ」
緑はなんとなく気がついた。
「鳥篭ってとこ」
「鳥篭屋か」
ネフロスは緑の手を引き、鳥篭屋に導いた。
壊れた時計を持っていないからか、
緑は道行く人々が、みんな影に見えた。
「みんな影法師みたいですね」
緑が素直に言う。
「あっちから見れば、お前はまだ影法師だ。俺もお前の重さは感じない」
「だから壊れた時計が必要なんですね」
「そう…」
ネフロスが説明する。
「こっちの世界では、自分だけの壊れた時計が必要なんだ。存在は壊れた時計を持っているんだ」
ネフロスはつかつか歩く。
緑は引っ張られるようについていく。
「お前は壊れた時計も名前も持っていない」
「一応名乗っておきますか?」
「いや、いい。お前の壊れた時計に、裏側の世界の、お前の名前があるはずだ」
「どれだかわかりませんよ」
「心が求めてるならそれだ」
ネフロスは断定した。
そして、
「あ、鳥篭屋さん過ぎちゃいましたよ」
話すのに夢中になって、うっかり鳥篭屋を通り過ぎた。
ネフロスがしかめっ面をした。
「なんつーか、お前と話してるとピンボケする」
「天然ボケといわれますよ」
「何でもいい、とにかく、壊れた時計だ」
「極上でとびっきり」
緑はそういうと、笑った。
二人は手をつないだまま、鳥篭屋を目指した。
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