第48話 地の果てまで


 未だ大混乱の城内では兵士や官僚達が右往左往している。私は治療のため国王の寝室で待機していた。部屋の外は厳戒態勢が敷かれ、室内には私と宰相がいるのみ。すでに国王の傷は完全に回復し今は静かに眠っておられる。


 先程から独り言を言いながら部屋をうろうろ彷徨う宰相を横目に、私は窓の外をぼーっと眺めながら今日の出来事を思い返していた。


  セナンさんは捕縛され地下牢へと捉えられた。邪神を討伐した国の勇者を殺し、国王に傷を負わせたのだ。おそらく死罪は免れないだろう。果たして何故、彼女はあんな事を仕出かしたのか? 私には皆目見当もつかなかった。



「ひっ! だ、誰だっ!」


 宰相の叫び声と共に突然部屋の空気が変わる。見えない空間に閉じ込められたかのような感覚。これは間違いなくドゥーカさんの魔法だ。咄嗟に振り返ると、ベッドの脇で腰を抜かしている宰相と眠っている国王を見つめる真っ黒な影がひとつ。その影は人の形をしており異様な雰囲気を醸し出しながら、まるで睨みつけるように国王をじっと凝視している。これはドゥーカさんの精霊だ。リリアイラと呼ばれているこの精霊を、私は過去に一度だけ見た事があった。


 その圧倒的な強者としての気配に、足が震え身動き一つ取る事が出来なかった。宰相は助けを求める声を張り上げながら逃げ出そうとしたが、見えない壁に阻まれ虚空をひたすらにドンドンと叩いている。ベッドに横たわっていた国王は、次第に悪夢にでもうなされるかのように身をよじり悶え苦しみ始めた。やがて眼を見開いて、なにやら怯えるように叫び出す。


「待て! わしは何も知らん! 全てはバンガルドが勝手にした事じゃ!」


 身体を自由に動かす事が出来ないのか、国王は横たわったまま目と口だけで必死な訴えを続けた。そして暫くすると急に押し黙り時折相槌を打ち始めた。リリアイラの声は聞こえてこないが国王になにかを伝えているようだった。


「わかった……そなたの言う通りにいたそう」


 国王がそう口にした瞬間、リリアイラはあっという間にその場からいなくなった。


 


 程なくしてセナンさんの生涯幽閉の刑罰が決定される。件の凶行はガヌシャバとの戦いで受けた精神攻撃による乱心だ、と王国は結論付けた。騎士団や王国民からは賛否の声が上がるだろうが、私は内心ほっとしていた。


 どうにか死罪だけは免れた。いつか全てが落ち着いたら事の真相をセナンさんに訊いてみよう。でもそんな楽観的な私の考えはあっさりと覆される。



 断崖にそびえ立ち、脱獄不可能とされる北の塔にセナンさんは幽閉されていた。彼女に近づく事が許されたのは数名の者に限られ、私はその中の一人だった。


 捕らえられたあの日から、セナンさんは一切の食事を拒んだ。まるで自らを死に導いていくように、彼女は日に日に瘦せ細っていった。結果、私に彼女を死なせるな、という命がくだる。


 だが治癒魔法にも限界がある。せいぜい弱っていく臓器を回復させるくらいの誤魔化し程度しかできない。


「お願いですセナンさん。どうか食事を……なんでもいいので食べてください」


 何度もそう呼び掛けるが彼女はなにも答えない。どこか焦点の合わない目でずっと壁を見つめていた。これまでドゥーカさんとの間になにが起こったのか、あの日なにがあったのかを幾度となく訊いてはみたが、彼女は何も言わなかった。だがもう時間は限られている。


 先日聞いた国王と宰相の会話。憶測でしかないが、この際はったりだろうが構わない。


「あなたはもしかしたら魔神の呪いを受けていたのかもしれない」


 一瞬ピクリと反応した彼女を見て、私は話を続けた。


「あなたは呪いの影響であんな過ちを犯した。あなたは魔神に操られていたんです」


 彼女は私の方へとゆっくりと顔を向けた。その目には大粒の涙が溢れていた。


「私は……私はドゥーカを裏切った。彼に対してひどい事をしてしまった」


「それは仕方なかったんです! あなたは魔神に洗脳されて――」


 そう言いかけた時、牢屋の中がぱっと明るくなり眩い光の中からひとりの女性が現れた。


「ん~惜しいとこついてるけど、ちょっと違うねぇ」


 突然現れたその女性は、手にした杖をくるくる回しながら僅かに微笑んでいた。そのあまりの美しさに私は警戒する事も忘れぽかんと口を開けていた。


「こりゃ挨拶もなしに失礼したね。私はラクシュマイア。精霊だよ」


「精霊……じゃああなたがセナンさんの――」


「あー私は彼女の精霊じゃないよ。と言っても彼女にはもう精霊は宿ってないけどねぇ」


 思わずセナンさんを見る。彼女も驚いてはいたがすぐにその表情は変わり、僅かばかり生気が戻ったようだった。


「あなたの事はヴァダイから何度か聞いたわ。精霊界を牛耳ってるって」


「牛耳って……まったくあいつはリリアイラとは別の横着さがあるねぇ。そうそう、一応私が精霊の王様みたいなもんだよ。ま、そんな事より本題の話をしようじゃないか」


 そう言って彼女は冷たい床に胡坐をかくようにして座り込んだ。彼女が着ている絹のような綺麗な服が汚れてしまうんじゃないかと、私は少し心配になった。そんな事を気にする素振りはなく、ラクシュマイアは話を続けた。


「さっきその娘が言ったようにセナン、おまえさんに呪いがかけられたのは事実だ。ドゥルバザっていう狡賢い魔神がいてねぇ。こいつはおまえさんとドゥーカの仲を引き裂いてパーティーを分裂させようと企んだのさ」


 まるで子供に絵本を読み聞かせるように、どこか楽し気に彼女は語った。


「呪いをかけたドゥルバザはマイジャナ国王にこう言った――男を使ってセナンをたぶらかせよと。くして送り込まれたのがあの金髪の……あー名前はなんだったかね?」


「バンガルドですか?」


 私がそう答えると彼女はにこりと笑って杖を目の前でふりふりさせた。


「そうそうバンガルド! その男にセナンを誘惑するように命じたのさ」


「そんなっ! 国王は魔神と手を組んでたんですか!?」


 私は叫ばずにはいられなかった。それでは王国のために戦っていたセナンさん達があまりにも可哀そうだ。


「あの狸親父もなかなかの屑でね。表では邪神討伐をうたっておきながら、裏では他所の大陸に攻め入るために邪神の力を借りようとしてたのさ」


 唖然として言葉が出なかった。私はそんな男の命を救ったのか。そんな王国に今まで仕えてきたのか。


「ま、あんな男の事はどうでもいい。消そうと思えばいつでも消せる。今回の問題はそこじゃあない」


 彼女は覗き込むようにセナンさんの顔を見上げた。僅かに身を固め、セナンさんの表情が曇っていく。


「おまえさんがドゥーカを裏切ったという事実。こればっかりは言い逃れのしようがない」


「でも! セナンさんは呪いで操られてたから仕方ないんじゃないですか!?」


 私の言葉にラクシュマイアは大きく首を横に振った。


「呪いはヴァダイが防いでいた。セナンの行動は全て彼女の意思だ」


 セナンさんは俯き体を震わせていた。再び落ちようとする涙を堪えているかのようだった。ラクシュマイアはゆっくり立ち上がると、どこか遠くを見るような目をした。


「私はね、これまで長い間、人の世界をずっと見てきた。大小あれど過ちを犯さない人間なんていやしない。精霊だってそうさ。時として選択を間違うことだってある。大事なのはそれを悔い改め、正し、そして次に生かす事だ。やり直しが許されないような窮屈な世界なんて息苦しいじゃないか。ましてやおまえさんのように罪を抱えたままそこで終わらせようなんて、それこそ虫が良すぎるんじゃないかい?」


 いつしかセナンさんは顔を上げ、真っすぐにラクシュマイアを見ていた。彼女の目から涙はすでに消えていた。


「セナン。おまえさんはこれから何がしたい? 今一番したい事を言ってみな」


 セナンさんは少しふらつきながら立ち上がった。強く美しかった昔の彼女の面影は今は微塵も残ってない。だがその目は確かにあの頃の輝きを取り戻しつつあった。


「私は……ドゥーカに謝る事さえ出来なかった。いえ、きっとあの時は謝る事なんて頭になくて、言い訳ばかりしてたと思う。私の言葉を待たずにあの場から去ったドゥーカは正しかった……。でもやっぱり謝りたい! 一言でもいい、その場で切り捨てられても構わない! ドゥーカに会って自分の言葉を伝えたい!」


 ラクシュマイアは微笑みながら静かに頷いた。そして手にした杖を軽く振るとセナンさんの体が柔らかな光に包まれた。


「魔力と体力を少しばかり回復しといてあげたよ。ヴァダイはいないけどまだ風魔法は使えるね?」


 セナンさんがこくんと首を縦に振った。


「よーし! 私が出来るのはここまでだ。後は自分でやってみな」


 そう言い残すとラクシュマイアは光と共に消えていった。再び二人きりの牢屋に静寂が訪れる。けれどさっきまでとは違い、春風が運んできた暖かい空気のようなものを私は感じていた。セナンさんが昔と同じような優しい眼差しで私に微笑んだ。


「いろいろとありがとうジャ・ムー。この恩はいつか必ず――」


「一人では行かせませんよセナンさん。私も着いて行きます」


 私は彼女の言葉を遮りそう伝える。微笑んでいた彼女の顔が驚きと戸惑いに変わった。


「でも……」


「私だってこれまでセナンさんには沢山お世話になりました。まだ恩返しは終わってません。それにドゥーカさんに会うまでにまだまだしっかり反省してもらおうと思ってます」


「本当はちょっと不安なんだ……ドゥーカは会ってくれるかな?」


「会ってくれるまで追いかけるんです! それこそ地の果てまでも」


 彼女は真剣な顔で力強く頷いた。きっともう迷う事はないだろう。



 そして月が明るく照らす大空に私達は飛び出した。





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