第18話 もうよい

「ねぇクロー!」

「クロさーん、おーい」

「ちょっと、返事くらいしなさいよ」


 アリアが話しかけてくるが、我は無視してそっぽむいた。我は誰かさんのせいで疲労困憊なのだ。誰かさんのせいでな!


「そりゃあ私も悪いことしたなと思うけど……。でも、無視することないじゃない! せっかくご褒美持ってきたのに……」

「ねぇクロムさーん、そんなに拗ねなくてもいいじゃない」

「ねぇクロー…」

「ぐすっ…」


 アリアの声に嗚咽が混じる。こんなことで泣くな。子どもか!


 いや、そういえば、コイツは図体は大きくても子どもだったか。子どものやったことか……。許し、教え導くのが大人の役目なのだろうな……。はぁ、種族も違うというのに、なぜ我が子育てじみたことをしなくてはならんのか……。


「はぁ、アリア。我は拗ねているのではない。怒っているのだ」

「クロ……ぐすっ……。えっと、ごめんなさい……」

「いいだろう。今回は許してやる」

「クロッ!」


 アリアが勢いよく抱きついてきた。ぐえっ! 体が潰れてしまいそうなほどの衝撃だ。しかも、アリアの腕にガシッと捕まれてしまった。先程のトラウマが蘇りそうだ。


「ありがとー。ぐすっ……」


 アリアが我に顔を押し当てながら言う。なんだか毛が湿ってきたような……こら! 我で涙を拭くな! 鼻水を付けるな!


「アリア、離すんだ」

「んー!」


 アリアが我に顔を付けながら首を振る。当然我も揺れる。やめろやめろー!


 我慢だ、ここはグッと堪えるのだ。相手は子どもだ、子どものやることだ、大目に見ようではないか。そしてアリアを教え導くのだ。それが大人だ。


「いいか、アリア。仲間の嫌がることはしてはいけない。それを破れば、お前は仲間を失うことになる」

「仲間……そうよね、わかったわ……。ごめんね」

「もうよい」


 これで少しはアリアの態度が良くなるとよいのだが……。少なくとも、あのような凶行は止めてほしいものだ。



 ◇



 アリアはしばらく我に抱きついたまま離れなかった。、アリアの涙と鼻水に濡れた我の毛が、我とアリアの体温によって温められ、地肌がむあっと熱くなっていた。いい加減、放してくれないかな……。


「あ! そうだわ、私クロにご褒美持ってきたんだった」

「ご褒美? たしか、そんなこと言っていたか」

「待ってて、今持ってくるから」


 アリアがやっと我を開放する。あぁ、アリアが触れていたところの毛並みがぐしゃぐしゃだ。整えねば。我は舐めて毛並みを整えていく。少ししょっぱい気がした。まったく、泣く子には勝てんな。


「はい、これ」


 アリアが乾燥した小魚を手に乗せて我に差し出してくる。


 くれるというのだから、我は遠慮なく食べる。噛むとパリッと音を立てて砕け、口の中に魚の旨味が広がっていく。美味い。


「聞いたらね、皆けっこうこういうオヤツを貰ってるみたいなの。使い魔の躾とかご褒美に使うんだって。使い魔によっては三回の食事じゃ足りないこともあるみたい」

「我も三回の食事では足りん、もっとこまめに食べたい」

「そうなの? じゃあ、魔法の特訓を頑張ったらまたあげるわ」

「今日のようなマネは……」

「分かってる。もうしないわ。でも、魔法の特訓は続けるわよ。あなたも魔法使いたいでしょ?」


 魔法の特訓か、不穏な言葉だ。できれば遠慮したい。だが、魔法は使えるようになりたい。


 うーむ……。魔法の特訓を受けるしかないか。元より我に魔法を教えてくれるのはアリア以外居ない。選択の余地は無さそうだ。


「分かった。特訓を続ける」

「ありがとう、クロ! じゃあ、早速やりましょう」

「今からか……?」


 これは判断を誤ったか? 前言撤回したい。こんなに性急だとは思わなかった。


「本当は、私だってじっくりやりたいけど、テストまで時間がないのよ。日中は授業があるから、特訓には放課後しか時間が取れないし……」

「またそれか。そもそもテストとは何なのだ? そんなに大切なものなのか?」

「大切よ。テストの結果は、私たちへの評価になるわ。奴隷……は分かんないか……。テストの結果次第では、ここには居れなくなっちゃうって言えば重要さが伝わるかしら? それ以外にもお金の問題とかあるけどね」


 他人の評価などどうでもいいが、ここに居られなくなるか。それは住処と食事を失うということになる。我は元は野良猫だ。我はどうとでもなりそうだが、アリアは難しいだろうな。警戒のケの字もない奴だ。狩りもできないだろうし、野生で生きていけるとは思えない。


 そうすると、テストの結果はアリアの生死に直結する問題になるな。アリアが焦るのも分かる。


 我はアリアを見た。アリアか。まだそれほど一緒にいるわけではないが、我はアリアに対して情が湧いているのを自覚する。こいつはこれで、けっこう良い奴なのだ。我に寝床と食事を用意してくれたしな。たまに今日のような奇行を起こすが、まぁ子どものすることだ。そう、まだ子どもなのだ。子どもが死ぬのは見たくない。


「はぁ、分かった。我もそのテストとやらに協力してやる」

「本当!? ありがとう!」


 アリアがまた抱きついてきた。アリアの勢いを受け止めきれず、アリアの下敷きになる。ぐえー。


「ありがとう、クロ……ぐすっ」

「なんだまた泣いているのか?」

「なんか安心したら涙が……。今日の私ちょっとおかしいわ」


 我から見ると、いつもおかしな行動をしているのだが、この様子だとあまり自覚はなさそうだ。困ったものだ。


「さて、時間もないしそろそろ特訓を始めましょ!」


 アリアが我から離れつつ宣言する。


 チッ、忘れていなかったか。やりたくないが、やると言ってしまったしな。それにアリアの生死が賭かっているとなれば、我も本気でやらねばなるまい。

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