第30話 神界の現状 2/3

 アーティアはヴァーレンハイトと共にヴァーンがいなくなった現場だという城の裏手にある公園のような場所に来ていた。開けた場所ではあるが、人はいない。もともと勝手に人が出入りできるような場所ではない上に今は関係者以外立入禁止の札がかけられているからだ。

 アーティアは魔力を目に纏わせるようにして辺りを見渡した。

 巨大な魔力がぶつかった形跡がすぐに見て取れる。

 そこに近付けば、ふわりと血のかおりが鼻をくすぐった。ヴァーンの血の残り香だろう。血痕は残っていないが、アーティアのように目鼻が利く者にはすぐにバレるものだ。

 いつもならば四天王の誰もそんな失態はしないのだが、相当動揺していると見た。


(伯父さんほどの人がどうやって拐されるような事態になる?)


 カムイたちがアーティアを頼ったのは、アーティアが特異なる目を持っているからだ。

 魔力感知能力。それは文字通り、魔力を視て感知することのできる能力のこと。

 アーティアが視れば、魔力の流れがわかり、相手が誰であろうとその身体に流れる魔力の色によってどこの種族であるか、魔法が使えるかどうか、魔力の保有量やある程度の強さまでもがすぐにわかってしまう。

 もっとよく視ようとすれば、こうして現場に赴けばそこでかつてなにがあったかを知ることができる。

 とはいえ、あまりにも時間が過ぎていればそう簡単にはいかないが。

 アーティアは血痕があった場所を視下ろす。ヴァーンの魔力に混じって、強い魔獣の魔力が毒素となって落ちていたのが視えた。

 いや、これは強いなんてものではない。どこか霊山の主か魔王レベルの魔族(ディフリクト)のものだ。しかしその姿は大きな蛇にしか見えない。

 その蛇はどこから来たのか。

 空間が切り裂かれた形跡を見つけた。すぐにそれに神族と龍族の魔力を感じ取る。


「……とりあえず、龍族の力を神族の誰かが使って伯父さんの結界を切り裂き、侵入。同時に別の龍族の力を同じ神族の誰かが使って魔獣? ……を召喚。その魔獣に伯父さんとルネロームが取り込まれ……ジェウセニューは少し離れたところから転移魔法でどこかにやられたみたい。ジェウセニューに転移魔法を使ったのは伯父さん。なら、ジェウセニューはどこか安全な場所にいるはず」

「その魔獣やら龍族やら神族の魔力は辿れそう?」

「難しいかもしれない。うまく痕跡を消した跡があるから。もう少し詳しく視てみる」


 無理するなよ、とヴァーレンハイトがアーティアの白い頭をぽんと撫でた。それを鬱陶しそうに頭を振って、アーティアは相棒を見上げて睨みつける。

 文句を言おうとして、誰かが一人で近付いてくるのを視界の端に捕らえた。

 それは四天王カムイの右腕、カゲツ・トリカゼの姿だった。

 そこらの女子よりも可愛らしい顔立ち。色素の薄い髪は肩口で切り揃えられ、長いもみあげだけ水晶のような髪飾りでまとめられている。身体のラインも凹凸に乏しく、シルエットだけ見れば男女の判断がつかない。身のこなしは軽く、動きやすそうなパンツスタイル。

 一見して中性的な女性、顔だけ見れば乙女小説のヒロインのようなカゲツ・トリカゼはれっきとした男児である。

 彼はアーティアが気付いたことに気付くと、にこりと微笑んだ。その微笑みだけで彼を知らない者は頬を紅潮させ幸福感を得るだろう。

 アーティアはヴァーレンハイトと一度だけ目を見合わせ、カゲツが近付いてくるのを待った。

 カゲツは二人の前に立つと「お疲れ様です」と礼をした。


「どうしたの」

「二人がどこかに行っちゃう前に、カムイさまやシアさまとの連絡手段を教えておこうと思って」


 言いながら教えてくれたのはご丁寧に魔術で作り出した伝令獣を場所ではなく個人に届ける方法だった。ヴァーレンハイトはふんふんと軽く頷きながら説明を聞いている。

 アーティアは魔法を自力で使えないので適当に聞き流す。

 区切りがついたところで、アーティアは気になっていたことを聞いておくことにした。


「ねぇ、カゲツ。さっき廊下で戦争が始まるかもしれないっていう話をしていたのが聞こえたんだけど、そんなに危ない状況なの?」

「……ああ、城ではもうみんな知ってることだからね……。城下にはまだ漏らさないでくれる? 混乱して民が恐慌状態になったら大変だから」


 アーティアとヴァーレンハイトは頷く。

 地上でも百年戦争と呼ばれる大きな戦乱が終わったのはたった十五年前のことだ。

 しかし神界で遭った大きな戦乱といえば、ヴァーンと前族長アドウェルサが起こした革命戦争、そして魔族と対立した第三期神魔戦争である。

 どちらも数百年は昔の話だ。

 そう問えば、カゲツはとんでもないと首を横に振った。


「僕たち神族にとって、数百年なんてまだつい最近の話だよ。今でも革命戦争で傷を負った元革命軍兵士が病院で苦しんでいる。今でもまだ地方では復興が進まず、戦いの痕が残る場所がある。神族である僕たちにとって、革命戦争も第三期神魔戦争も、昔のことではないんだよ」


 ごめん、という言葉はすんなりと出てきた。

 カゲツは首を振る。優しく微笑んで見せるが、それは傷を耐えている顔だった。


「……伯父さんがいないと、戦争が起こるの?」

「ちょっと違うかな。でもヴァーンさまが抑止力であることは間違いない。あの方がいなければ、僕たちは未だ先代族長に虐げられていてこの神界は荒廃していただろうね。神界が荒廃すれば、地上だってただでは済まない。きっと、管理されずに荒れ果ててとても人が住めない場所になっていただろう」

「族長さんが革命戦争で先代を討ったんだっけ」

「うん。そのころ僕はまだただの民間人だったけれど、あの方のお噂はたくさん聞いたよ。革命軍の頭(かしら)なのに最前線で町一つ救ったとか、あの方を恐れて当時の族長親衛隊が前線を引き上げたとか、暗殺されそうになったけど返り討ちにしたとか」

(かしら……?)


 カゲツの赤い眼はきらきらと輝いていて、まるで物語のヒーローについて語る少年のようだった。ただし、「あ、でもカムイさまはもっともっともーっと凄いんだけどね!」という言葉が定期的に入ってこなければ。

 カゲツはカムイ信者だ。

 しかしそれでもヴァーンは凄いのだと語る。それだけでヴァーンがどれほどの偉業を成したのかわかるというものだ。

 ふと、カゲツは視線を落とす。


「……戦争はね、本当に酷いよ。僕は百年戦争のときにも何度か地上に降りたことがあるけど、年月がかかっている分、神界の有様は酷いものだった」

「百年戦争、よりも……」


 ヴァーレンハイトは百年戦争の被害者であり、戦争従事者でもある。その様子を思い出してか、嫌そうに顔をしかめた。


「どこもかしこも荒れ果てて、無気力だった。誰も彼も、もう明日には死ぬんだと思っていたくらいだった。僕だって、神族は滅ぶんだって思っていたよ」

「……」

「でも、そんなときにヴァーンさまが立ち上がってくれた。今の四天王のみなさまや、たくさんの人たちを引き連れて、みんなを苦しめる元凶を倒して新しい族長の椅子に座った。……僕は革命戦争には参加していないけれど、いや、していないからこそ、あの方たちを支えるために働きたいと思ったんだ。僕だけじゃないか、ラセツやニアリーたちだってそのつもりでこの城の門を叩いたんだっけ」

「伯父さんたちは、随分と慕われているとは思ってたけど……裏返せばそれだけ酷い状態だったってこと、だよね」


 うん、とカゲツは短く頷く。

 そんな人が突然謎の敵に攫われたなんてこと、簡単に他人に漏らせるものではない。漏れてしまえば、きっと人々は不安になるだろう。不安になれば不安からとんでもない行動に出る人もいるし、その不安に付け込むようなやつもいる。


「民はヴァーンさまがいるだけで安心している。あの方がいるから平和でいられると思っている。だから、あの方がいなくなったなんて知れたら……」

「暴動が起こってもおかしくない、か」

「それに、ヴァーンさまを攫った者がいるということは、それを計画した人がいるということ」

「そこで、反ヴァーン派が出てくるってことか」

「そう。やつらは主に先代のころにいい思いをしていた者たち。主だった側近や寵臣たちは処刑されたけど、その末端や家族は生き残っていたから……」


 そのうちの何人か、もしくは全員が反ヴァーン派としてあちこちで未だ小競り合いや不穏な火種を撒いているとのことだ。

 今まではそれほど力がなかったので大粛清などは行われなかったが、ここしばらくで随分と活性化しているらしい。

 城下や近隣の町ならばともかく、地方や辺境はどうしてもヴァーンの力が届きにくくなる。

 現在もヤシャ、シュラの二名が部下を率いて地方で暴れているという反ヴァーン派のグループと交戦中だそうだ。

 この状態で今、ヴァーンがいないということが反ヴァーン派に知れてしまえば……。


「それで、戦争が始まるかもしれないっていう話に……」


 カゲツはきゅっと唇を噛む。

 その頬をヴァーレンハイトが抓んだ。ぽかんとカゲツは口を開いて彼を見上げる。


「ティアもよくやるけど、唇噛むのよくないよ。せっかく可愛い顔してんだからさ」

「……ぼ、僕にはカムイさまという方が……!」

「いや、なんでここでカムイの名前が出るの……」


 ヴァーレンハイトの手をカゲツの白魚の手が引っ叩く。カゲツはささっと小さなアーティアの背に隠れるようにしてヴァーレンハイトから距離を置いた。ヴァーレンハイトは手を振って痛みを逃がしていた。


「こほん。そんなわけだから、早くヴァーンさまを見つけたいんだよ、僕たちは」

「伯父さんが見つかれば開戦は阻止できる?」

「はず。ヴァーンさまがいれば、四天王のみなさまもなにも気にすることなく全力で戦えるから反ヴァーン派なんてイチコロ☆」

「じゃあ、頑張って探さないと」


 アーティアも頷く。

 アーティアとヴァーレンハイトが平和(?)に地上で旅を続けるためにも、神界の平和は保たれていなければならない。

 カゲツはヴァーンという抑止力がいなければ、魔族が神界に攻めてきてもおかしくはないとも言う。

 各地の反乱に加えて魔族までやってくるとなると、神界はいよいよ無事では済まないだろう。


(それはそれで嫌だけど、伯父さんがいなくなるのはもっと嫌だな)


 ヴァーンはアーティアにとって、二人しかいない血縁の一人だ。(もう一人はその息子のジェウセニューになる)

 出会ってまだ三年しか経っていないが、思い入れくらいある。

 カゲツとヴァーレンハイトが再び魔術の話をし出したので、アーティアは再びヴァーンたちの魔力の痕跡を辿る。

 少し地方に足を運んでみる必要があるかもしれなかった。

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