雷来!!

伊早 鮮枯

第1話 始まりの熱

 【神】は、箱庭を作った。

 世界という名の箱庭を作った。

 次に【神】は箱庭を管理する者たちを作った。それぞれの属性は理解と保存、破壊、再構築。

 管理者たちは【神】の箱庭を見守った。

 しかし、【神】がいなくなった箱庭に【闇】が生まれた。【闇】はやがて、箱庭という世界を飲み込もうとした。地上の四分の一が飲み込まれるころ、地上にはそれを押し留める存在が現れた。龍の鱗を持つ種族――龍族(ノ・ガード)の長、<龍皇>である。

 <龍皇>は世界が飲み込まれるのを押し留めることは出来たが、【闇】を廃することは出来なかった。<龍皇>は管理者に祈りを捧げた。

 管理者たちは<龍皇>の祈りを聞き届け、【闇】に立ち向かった。向かったのは理解と保存の管理者、そして再構築の管理者。

 二柱は地上の隅に住まう無垢なる者を仲間に、【闇】なる者を封印した。

 封印の楔として七つの精霊が生まれ、その宿主の七名が魔法族(セブンス・ジェム)となった。

 管理者は【闇】が飲み込んでしまった場所に新たな世界を作り、そこに箱庭を管理する種族――神族(ディエイティスト)を置いた。それはのちに神族の世界、神界と呼ばれることとなる。

 やがて管理者は箱庭から去り、地上は徐々に繁栄していった。

 管理者の去った箱庭の隅で、どんな種族とも違う者たちが生まれた。魔の者――魔族(ディフリクト)と呼ばれることとなる者たちは、神族と敵対することになった。

 争いがあった。地上は雲に覆われた。

 第一の神魔戦争と第二の神魔戦争と呼ばれたそれは長く続き、地上は冬の時代となった。

 それぞれの長を呼び、<龍皇>は和平を約束させた。

 そしてまた時が過ぎ、神族の族長が代替わりした。新しい長は暴君だった。

 神界で三度争いが生まれた。

 それを制したのはのちに<聖帝>と呼ばれる一人の男。

 <聖帝>は魔族の王<冥王>との第三の神魔戦争を潜り抜け、再び<龍皇>の名のもとに和平を結んだ。

 ようやく、地上に春が訪れた……。



「族長さま、三代目族長アドウェルサ・フォートの唯一の血族であったシンラクが出奔したそうです」

「如何いたしますか」

「族長さまの手を煩わせるまでもない、即刻、追手を」

「いいや、構わなくていい。放っておけ」

「しかし……いえ、族長さまが仰るのであれば、そのように」


+++


 大精霊祭から三年が経った。

 魔法族の集落はそれぞれ独立しつつも、以前よりずっとお互いを近くするようになった。

 最近では他魔法族間での交際も認められ、一組の男女が次の小精霊祭で結婚式を挙げる予定となっている。

 集落に縛られる必要のなくなった魔法族たちは、興味の赴くまま、気の向くままに集落の外に出る者も現れた。それでもやはり、故郷が一番心地よいのか、本格的な冒険者として旅をする者はいなかったが。

 集落は時たま小さな問題を起こしつつも、平和な時を謳歌していた。

 そして、その幸せを享受する少年――いや、青年となった者がここにも一人。


「だっらぁぁぁぁぁあっ」


 青年――ジェウセニュー・サンダリアンは飛んでくる礫を左右に避けながら魔力を込めた拳を振り上げる。


「ヴォル・キャトルッ!」


 バチバチと金色の帯を纏って魔力が雷を帯びる。拳から溢れた雷電が腕を伝い、天へ惹かれる。

 ジェウセニューはそれを振り上げた拳ごと地面に叩きつけた。

 地面が割れ、雷電が走る。

 それは数メートル先に立つ紺色のワンピース姿の女性へと向かった。

 女性は慌てることなく口角を上げる。


「技が遅いわ、ジェウ」


 女性はくすりと笑うと虫でも払うかのように右手を軽く払った。白く光る障壁が女性を守り、ジェウセニューの雷電がかき消される。


「はい、おしまい」


 女性がそのまま指を鳴らすと、ジェウセニューの足元で紫電が弾ける。


「うわぁっ」


 咄嗟に飛び退いたのはむしろ野生の勘。頭からごろごろと地面に転がり、ジェウセニューは空を見上げて目を回した。

 頭を振って意識を起こす。


「あー、くそ。やっぱ母さん、強過ぎ!」

「うふふ、これでも元<雷帝>ですからね」


 母さんと呼ばれた女性――ルネローム・サンダリアンはジェウセニューに近付くと、しゃがみ込んでその顔を覗き込んだ。

 二人のよく似た黒髪が風に揺れる。

 二人は母子だ。

 息子のジェウセニューは今年十七になる。母親であるルネロームを巡る事件、そして自身の力を暴走させそうになった大精霊祭から三年が経った。

 ジェウセニューの身長はいつの間にか、ルネロームを超えていた。まだ、父親である男には届いていないが、そのうち追い越してやるとジェウセニューはこっそり決意している。

 ジェウセニューの来歴は少々複雑で、こと父親に関しては特に仲の良い友人たちにさえその詳細を話すことは禁じられているほどだ。

 それでも昔、母ルネロームが約束をした通り、今でも隔週決まった日に晩ごはんを一緒に食べるために通ってきてくれている。

 まぁ、父親の話はいい。

 ジェウセニューは上半身を起こして、赤みのある金色がかった黄色い目を瞬いた。

 視線の先で似たような色の目をした母がにこにこと息子を眺めている。

 かつて<雷帝>と呼ばれ敬われていた女性の姿は三年前と特に変わらない。変わったところがあるとすれば、髪が肩口で切り揃えられるようになったことか。

 魔法族の平均寿命は百五十年から二百年ほど。人間族(ヒューマシム)よりは長く、二十歳に設定される成人を迎えたころから成長は途端にゆっくりになる傾向にある。

 神族や妖精族(フェアピクス)、龍族などの不老長寿種族とは比べ物にならないが、それなりに若い姿で長くいる者は多い。

 ジェウセニューは母の実年齢を知らないが、いつまでも若々しくて、そのうち彼と並ぶと姉弟のように見えるのではないかと危惧している。

 不意に母の白い手が優しくジェウセニューの額を撫でた。


「? 母さん、どうしたんだよ」

「……またちょっと、熱が出てるわね」


 言われて初めて、身体が運動したあとというには気怠い熱に包まれていることに気付いた。なんだか頭も少々ぼんやりとする気がする。

 ルネロームは心配そうに眉を下げた。

 ここのところ――具体的に言えば、十七の誕生日を過ぎたころから――ジェウセニューは微熱を出して寝込むことが増えていた。

 今日は元気だったので、母に無理を言って魔力の扱い方を教えてもらうための実戦をしていたのだ。実戦とはいえ、チート級であるルネロームは小さな子どもと遊んでいるようなものだったが。

 ジェウセニューは未だかすりもしないその力を尊敬しつつ、悔しさで口を尖らせた。

 ルネロームに手を引かれて立ち上がる。


「さ、風も出てきたしおうちに入りましょ。あったかくして、少し寝なさい」

「これくらい大丈夫だって。母さんはオレのこと子ども扱いし過ぎ! オレ、もう十七だぜ」

「まだ成人も迎えてないんだから子どもでーす。それにほら、明日までに熱を下げないと、ヴァーンが心配するわ」

「……父さん、か……。もうそんな日だっけ」


 ジェウセニューの父親に対する気持ちは少々複雑ではある。いや、もう昔のことだと振り切ってはいるのだ。

 ただ、時々その存在の大きさに歯噛みしたくなることがある。

 雷魔法族(サンダリアン)の集落外れに建てられた素朴な木製の家がジェウセニューが母と暮らす家だ。

 中はこの三年でリフォームを重ね、母親と年頃の息子が暮らす最低限の大きさにはなっている。

 ルネロームがキッチンに立ち、二人分のマグカップを取り出しお茶を淹れ始めた。

 この家には椅子と食器が少し多い。

 来客が意外と多いからだ。

 テーブルについたジェウセニューの前に温かいお茶の入ったマグカップが置かれる。黄色い目をした小さな黒猫が描かれた可愛らしいマグカップだ。

 向かいに座ったルネロームが持っているのは同じように黄色い目をした大きな黒猫が子猫に寄り添う絵柄のマグカップを持っている。

 お茶を口に含むと、少しの苦みの中に甘みのある慣れた味がした。確か、先月父親が手土産にと持ってきてくれたものだ。

 安心するその味に、ジェウセニューはほうと息を吐く。

 その様子をルネロームがそっと見ている。


「ねぇ、ジェウ」


 なに、と顔を上げると、母は心配そうに眉を下げていた。


「最近、体調を崩すことが増えたでしょう」

「……うん。けど、ちょっと微熱が出るくらいだし、平気だって」


 でも、と母はますます眉を下げる。

 ルネロームの泣きそうな、困ったような顔は苦手だ。かつて、母と離れることになった五歳のころを思い出してしまう。


「ジェウ、魔力制御は上手く出来ている?」

「えーと……」


 ジェウセニューは少しだけ言い淀んだ。

 最近、熱を出したときの気怠さに加えてなんとなく、魔力が身体の中で膨れ上がるような心地を覚えることが多くなっていたからだ。

 口を閉じたジェウセニューを見て、ルネロームは小さく息を吐く。


「……ヴァーンに相談してみましょうね」

「――うん、わかった」


 にこりと笑った母には逆らってはいけない。それを感じたジェウセニューは素直に頷いた。


+++


 青い空を大きな鳥がのんびりと飛んでいるのが見える。影が余りにも大きいので、きっと魔獣だろう。

 青年は欠伸を噛み殺して、黙々と横を歩く相棒を見た。

 相棒は表情の乏しい涼し気な顔をしてただ歩いている。


「あぁ、そろそろ街に着くかな」

「もう見えてきた」

「かっわいい子いるといいなぁ」

「はいはい」


 相棒は抑揚の少ない返事を淡々と返すだけだ。青年は眉を下げて相棒の肩を叩く。


「安心して。イユクンの一番はメルベッタちゃんだけだからさぁ」

「……」


 返事は帰ってこなかった。でもちょっとだけ相棒の頬が緩んでいるので、まぁいいかと青年は機嫌をよくする。

 街が見えてきた。

 だいぶ大きな街だ。これは宿も人も期待できそうだなと考える。

 街に近付くと、街から出てこちらに歩いてくる影が見えた。少年と青年の間くらいの年齢の男の子だ。

 琥珀色の短い髪を風に靡かせ、詰襟のシャツの上に東方の民族衣装であるという変わった前合わせの服を重ねて着ている。下はヒダのついたスカートに似た変わったズボン。

 近付いた少年の目は――炎魔法族(ファイニーズ)よりも鮮やかな赤。


「こんにちハ」

「……こんにちはぁ」


 挨拶をされたので、こちらもぺこりと頭を下げる。相棒も小さく頭を下げていた。足は自然と止まる。


「珍しイ。魔法族の方ですネ」


 気付かれて、驚いた。魔法族の証である刺繍の入った布は隠れたところに着けているし、そもそも辺境の部族であるのでそれを知っている人も少ない。

 あからさまに肌に鱗が見えているタイプの亜竜族(ノ・ガルブス)や羽のある妖精族や身体の大きな巨人族(ティトン)を見分けるのは簡単だが、それ以外の種族は余り差異がなかったりして見分けるのは難しい。

 世界には一目で相手の種族や強さを見抜く魔力感知能力というものを持つ者がいるというが、この少年はその類なのだろうか。


「まぁねぇ。でも、三年くらい前から魔法族も外に出るようになったから、そんなに珍しいもんでもないんじゃないかなぁ?」


 そうなんですカ、と少年は頷く。

 じぃと見上げる視線が、どことなく不快な気がした。


「……三年前、魔法族になにかあったのですカ?」

「……」


 問いに青年と相棒は沈黙で答えた。愛想笑いをへらりと浮かべた青年を見て、少年はくすりと笑う。


「いエ、不躾でしたネ。失礼しましタ」


 少年はぺこりと頭を下げると再び青年たちが来た方向へ向けて歩き出した。

 しばらく二人でその背中を見送って、顔を見合わせる。


「変な子ぉ」

「変なのはイユも一緒」

「あ、ひっどいなぁ」


 ケラケラと笑って、どちらとも言わずに街へと歩き出す。

 不思議な少年のことは、晩ごはんの時間にはもう忘れていた。


+++


「先日の不穏分子の処理に関する報告書です」


 琥珀色の髪を揺らしてカムイがヴァーンの執務室に入室した。

 ヴァーンはボサボサの黒髪を掻き回しながらデスクから顔を上げた。両手には既に別の報告書という書類を持っている。


「忙しいからヤシャに回してくれ」

「ヤシャは郊外で部下の強化訓練中ですよ」


 はぁとヴァーンのデスクの横に立っていたラセツ・エーゼルジュがため息を吐く。

 カムイはそのいつも通りの様子を見て肩を竦めた。


「仕事が遅いのでは?」

「遅くはないぞ。ただ仕事量がおかしいだけだ」


 暗に無能と言われたヴァーンはむっと口を尖らせた。

 カムイはやれやれと報告書をデスクに積み上がった書類の山の上に置く。

 ヴァーンの目元はいつも通り、白い布に覆われていて見えない。

 表情がわかりにくいようでわかりやすいようでやっぱりわかりにくい男だなとカムイはデスクに齧りつく男を見下ろした。

 男は嫌そうに「まだなにかあるのか」と唇を曲げた。


「ジェウセニュー・サンダリアンについてです」

「……」

「あの子どもをこの神界で保護しなくてもいいのですか」


 カムイの言葉にヴァーンは首を横に振る。この話題を出して、縦に振られたことがない。

 カムイはもう一度ため息を吐いて、男の名前を呼んだ。


「……あの子をここに縛り付けるつもりはない」

「けれど、そう言って三年……彼の力は随分と強くなりました」

「まだ、地上にいても問題ない範囲のはずだ」


 三度、カムイはため息を吐いた。


「保護しないとしても、一度こちらに呼んだ方がいいでしょうね」

「なに?」

「シリウスの件があります。彼だって、いくら<雷帝>の息子だとしても保有魔力量と身体のバランスが取れている保証はないでしょう」

「っ……わかった、話してみる」


 ヴァーンがため息を吐く。カムイは疲れた肩に手を置いて、異様に硬いそれに顔をしかめた。


「お互い、そろそろ休暇が欲しいところですね。……僕もたまにはサボっていいですか」

「出来るもんならとっくにやってるさ。……おれだってサボりたい」

「お二人とも、そういった話は私のいない場所でお願いします」


 今まで黙っていたラセツがぴしゃりと言った。敏腕秘書は今日も絶好調だ。

 カムイはヴァーンと顔を見合わせて、小さく吹き出す。


「では、僕は次の案件を片付けに行きますか」

「ああ、たまにはロウと視察を変わってもらってもいいぞ」

「そう思いましたが、即座に逃げられましたよ。いい加減、書類仕事にも飽きました」


 おれだって、と独り言ちるヴァーンに背を向けてカムイは退出する。

 いつも通りの会話だった。

 だからカムイはいつも通り、部下を伴って遠くの町へ不穏分子の動きを見に行ったのだ。

 ――まさか、それが彼との最後の会話だとは思いもせずに。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る