すべてがBになる~THE IMPERFECT OUTSIDER~
結城熊雄
第1話 わたしブッコローになる
鉛とブッコローは体内に蓄積される。それを知らなかったわけじゃ、ない。うかつだった。まったくもって、うかつだった。
哲学Ⅰのレポート提出期限が迫っていたこと。気になる本に出会ってしまったこと。わたしが激推ししている書店員の長谷川さんの姿がばっちり拝めるベストポジションを確保したこと。それらが重なったのが運の尽きだった。
新宿にある有隣堂が運営するブックカフェ『Book’n’Owl(ブックンオウル)』には裏メニューがあった。現在は世界的に禁止されているブッコロー入りのドリンクを、常連だけにこっそりと提供してくれるのだ。大学のある日は毎日ここに立ち寄るというのが習慣になっていた。
レポートを書いたり本を読んだり長谷川さんを見たり長谷川さんを見たり長谷川さんを見たりしているうちに、ついブッコローを飲み過ぎてしまった。
あ、やばい、と思ったときにはもう手遅れ。すでに両手はこげ茶色の羽に変わっていた。
窓ガラスに映った自分の姿を確認する。そこには有隣堂のYouTubeでMCをしているミミズクのキャラクターがいた。うわ、ブッコローになってるじゃん。
幸いわたしはカフェの一番すみっこの席に座っていた。周りの人は読書だったりパソコンだったりに集中していて、わたしの変化には誰も気づいていなかった。その隙にわたしはえいやっと念を込めて体を手のひらサイズまで収縮させた。本家ブッコローがやっていたのをイメージして。
あ、やっぱできるんだ、って思った。こういうとき、ブッコローって便利。わたしはすばやく自分のバッグに身を潜めた。とりあえずこれで見つかることはなさそうだ。
ほっと一息つき、視線を巡らす。
え、汚っ。
バッグの内側はほこりや正体不明の小さなごみだらけで逆にプラネタリウムみたいだった。たしかに買ってから一度も掃除をしたことなかったけど。小さくなってはじめて気づくこともあるもんだ。帰ったら中身を全部出してきれいにしよう。って、そんな悠長なことを考えている場合ではなかった。わたしはこれからどうしたらよいのだ。
悩んだ挙句、ひとまずわたしは本を返却棚に返すことにした。読んでいたのは
周囲の様子を伺いながらバッグを出てすばやく本の下に潜り込む。これで移動すれば、もし見られたとしても本が歩いているようにしか思われないだろう。いや、それってふつうに異様な光景なのではと気づいたのはずっと後のことで、そのときはブッコローの姿を隠すことだけしか頭になかった。
音を立てないよう、慎重に床に下りる。それにしても重い。この体では本一冊運ぶのも重労働だ。千鳥足のようにふらふらと進んでいく。あと少し。棚に足をかけようとしたとき、ふっと重さが消えた。
「こんなところでなにしてんだい、小鳥ちゃん」
ギョッとして振り返ると、書店員らしき女性が本を片手にわたしを見下ろしていた。まずい、逃げなくちゃ。とっさに羽をぱたぱたとはためかせたけど、なにぶん不慣れな体なもので、あっという間に捕まってしまった。叫ぼうと試みるも口を塞がれてしまう。
「大人しくしな。誰も助けちゃくれないぜ。ここはあたしの庭だ。なあに、悪いようにはしねえからよ」
そう言って女性店員は眼鏡の奥の丸い瞳をきらりと光らせた。
それからわたしは乱暴にズボンのポケットに突っ込まれどこかに運ばれた。手で押えられているため身動きを取ることができない。
わたしはこの人のおやつにでもされてしまうのだろうか。一瞬しか顔を見ていないけど食いしん坊そうだったし。焼き鳥か、からあげか、はたまた油淋鶏か。いずれにせよ、痛くないようにしてほしいなあと両の羽を合わせて祈った。
予想に反して連れてこられた場所にはまな板も包丁も中華鍋もなく、そこはこじんまりした灰色の部屋だった。荷台や棚がいくつもあり、段ボールや本が所狭しと並んでいる。
「ここは有隣堂のバックヤード。他に人はいないから安心しな。取って食うようなことはしねえよ」
わたしの考えを見透したように女性店員はにたりと笑った。
「あなたはいったい……」
「あたしの名前は
ザキさんはわたしの前に紙コップを置いた。
「喉乾いたろ、飲めよ。大丈夫、毒は入ってない。ただの水だから」
そう言われてはじめて自分が水分を欲していることに気づいた。慣れない体で動い
たせいで思ったより体力を使っていたらしい。紙コップのふちに足をかけ、くちばしを突っ込んでぺちゃぺちゃと飲んだ。
彼女が毒と言ったのは大げさではなかった。ブッコローになった人間は反ブッコロー派に襲われたり、それこそ命を奪われるということも少なくなかったのだ。
どうしてこんな物騒な世の中になったんだっけと思い返すと、全ては世界的なアーティストであるジャスティン・フィーバーが有隣堂の動画をシェアしたことがきっかけだった。
ブッコローが名著『モグル街の殺人』とiPhoneを二本のガラスペンで突き刺し、「ペンアランポーアッポーペン」と叫ぶだけの動画だ。それが海外ではクレイジーでクールだと大受けし、急速に拡散された。もちろん日本にもその流れは押し寄せてきて、ブッコローブームが到来した。
ブッコローは漫画化、アニメ化、映画化と次々に展開し、さまざまな有名人やブランドとコラボした。舞浜にはブッコローランドも建った。おおよそ人類が考えうるありとあらゆるビジネスを成功させたのだ。
しかしそれだけ支持が集まれば同じだけアンチも増えていくわけで、有隣堂のYouTube登録者数が1億人を突破したあたりから様子がおかしくなった。
RBBをぶっ壊す党ができて議席を獲得したり、ブッコロー警察という名の一般人がブッコローファンを集団で攻撃したり。例を挙げればきりがない。もう世の中はブッコローかブッコロー以外か、という感じ。
さらに事をややこしくさせたのが、新たな化学物質の歴史的発見だった。それを摂取すると眠気が吹き飛び頭が冴え、作業効率が格段に上がると注目された。ようはカフェインと同じようなもので、それのもっとすごい版。
発見者である科学者がブッコロー好きで、なんとその物質をブッコローと名付けたのだ。で、ブッコロードリンクは爆発的にヒットした。エナジードリンクがすべてブッコロードリンクに上位互換されたのだから当然だろう。当時は過剰摂取による副作用もないとされていたため、一日に数十本飲む人もいたという。
でもしばらくして問題が起きた。体がブッコローになるという事件が世界各地で頻発したのだ。研究者たちはブッコロー人間の精密検査を行った。その結果、化学物質ブッコローは体内に蓄積され、ある一定の基準を超えると体がブッコロー化してしまうということがわかった。それが判明したときにはすでに街中はブッコローで溢れていた。
ブッコローの提供は全面禁止。反ブッコロー派の暴動が激化したため、ブッコローたちは防護服を着た警察や自衛隊により片っ端から捕獲・隔離された。そして現在に至る、というわけだ。
灰色の部屋は静かで、紙の匂いが充満していて心地良かった。
気づけばわたしはブッコローになったいきさつをザキさんに話していた。ザキさんは口調は荒いが、なんだか信頼できる人のような気がしたのだ。
「で、つい飲みすぎちまったわけか」
「はい……元に戻る方法はないのでしょうか?」
「あるにはあるが実際に戻ったやつはいない」
「どういうことですか?」
含みのある言い方にわたしはいぶかしむ。
「あっちの世界を知っちまったら戻ろうとは思わないってことさ」
「あっちの世界?」
ガチャリとドアが開き、会話が中断される。
「あっ」
思わず声が漏れた。現れたのは長谷川さんだった。
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