第9話 破魔矢

 中天に月が出ていた。

 月齢は20日ほどで、ダイエット効果が出たのか目に見えておなかが凹み始めている。しかも血潮を連想するように斑らに紅い、不吉な半月だった。

 その月に痘痕あばたができていた。

 鬼叢雲おにむらくもという魍魎の一種だと聞いた。

 禍々しいその漆黒の影が蠢いている。

 蟲が、毒壺の底で呻いているようだ。

 しかもそれは月表面の彼方ではない。

 距離は38万キロではなく、400mにも満たないだろう。空間を引き裂いて出現した鬼叢雲は、どんどんと距離を削って接近している。

 つまりはボクの標的ということだ。

 

 六花姉の、雅な巫女舞は続いてる。

 その舞で、この結界は護られてる。

 左手の弓手ゆんでで、緩く弓を掲げてる。

 その持ち方を手の内という。

 生卵を軽く握るように優しく、しかも確実に。

 そして右手にはゆがけを挿している。鹿革の手袋状の防具で、ボクのは騎者掛けという特別な仕様になってる。五指が自由に動くので、弓を置いて槍や刀も振るえる。鎌倉時代からのそんな実戦的な形状なのは、神事で流鏑馬も射つからだ。

 弓は引くのではない。

 弓手の反対側の右手は、馬手めてという。

 弓手と馬手に等分に力をかけて押し開く。

 両肩の肩甲骨が等分に開くように、子供のときから鍛錬を続けてきた。しかし今は史華姉の影に自分の意識を憑依させている。その鍛錬の積み上げはこの肉体にはないのがさぁあ!

 矢は放物線を描いて的に的中する。なので放物線上の上死点を目測で推し量って、天を目掛けて射つ。

 その目標が誘導されて高度を下げてきている。

 時折り、その群生した鬼叢雲の塊が、ぱあっと砕けて散っていく。それを避けながらそれは戸惑っているように見えた。

 ふふ。

 ふふふ、と声が漏れている。

 六花姉の声だ。

 横目でみると、髪を振り乱して哄笑している。嫋やかに腕がしなを作り、鶴を透かし織りにした千早の袖が優美に踊ってる。

 その間隙にとん、と床が鳴る。

 緋扇の鈴が、凛と跳ねている。

 彼女の瞳が黄金色に輝いている。髪が振り回されながらも、その先端が蛇の鎌首のように持ち上がっていく。

 ぞっとした。

 やはりこのひとは雪女なんだぁ。

 ボクとは棲んでる世界が違う。

 鬼叢雲は、誘い込まれている。

 空中に六花姉の冷気溜まりが作られている。

「超寒気の地雷みたいなものね。それが実体であれば、分子結合が破砕されて霧散するわ」と語っていた。

 あの動きを見ていると、意識のようなモノが存在しているようだ。

 嫌がっている。

 躊躇している。

 それがゆらりと射程の中に入ってくる。

 破魔矢をつがえて弓を引き絞って狙う。

 呼吸を合わせて射った。

 ぴしりと弓返りが前腕にくる。うは。ちゃんと出来てることに驚き。鍛錬のコツってこうゆう事ね。

 青紫色の空間を矢は疾走っていく。

 吸い込まれるように、鬼叢雲の中心から逸れた場所を射貫いた。

 それでもかなり大きく空洞が開いて、蒼天が見える。ぽんぽんには六花姉の頭髪を収めている。その効果で冷凍破砕したのだろうか。

 しかし数瞬にその空洞は埋められてしまう。

 矢筒から取り出して、次矢をつがえた。

 今ので要領を得たので、次は正鵠を得てみちゃう。

 一歩踏み出したそこに、水桃のような白い肌が見えた。

 蛹から脱皮していくように、寝袋から抜け出して立ちあがろうとしていた。

「目醒めたの!」

 硬質の冷ややな視線で六花姉が彼女を見やり、違うと呟いた。

 年齢と意識を奪われた少女の、肌を遮るものは一糸とてない。

 史華姉の本体の焦点の合わない瞳に、深淵の闇が潜んでいた。

 

 まだ膨らみかけ。

 さんかくに尖ったお胸だけど、何かの果実のように乳首が紅い。濡れたように光っている。まだ布地で擦れて痛い時期だね。

 燃え尽きたような落陽の残り火で、蒼い空の光を受けて白い肌が滑らか。背を伸ばし切ってお胸がさらに平たくなる。

 背伸びをした後で後ろ手に髪をあげる彼女と視線が絡まった。

「色葉! 」と叱咤する六花姉の声。

 仰ぎ見ると結界のすぐ側に鬼叢雲が迫っている。

 それは黒々とした昆虫の節足みたいなモノの集合体みたいなもの。

 遠目で見た印象と変わらない。

 襟足にぞわりと悪寒が駆け抜ける。

 大丈夫、結界は効いている。

 一瞬でここまで接近したようだ。

 第二射を放つ。

 今度は中央に的中して、ぽっかりと穴が穿たれるが、節足がもぞもぞとそれを塞ぎにかかってる。

 そして今。

 また史華ちゃんが足を踏み出して。

 両手を開いて迎え入れようとする。

 懐かしい親友に出会ったような顔。

 いけない、とまた矢をつがえたが。

 ぱっと半分くらいが宙に呑まれた。

 六花姉が超寒気の冷気溜まりを脇から打ちつけて、鬼叢雲が脇に弾かれた。

 それがある人影を認知した、ようにボクには見えた。

 それは明らかに触手の先端で威嚇をしているようだ。

 くくく、と求厭の忍び笑いが溢れている。

「流石ですね。餌というのは自分の事ですか・・・」

 口元に右掌を当てて、ほほほと笑う。いにしえの貴族のように見えた。

「宜しい、我が魂魄を御覧じろ」

 その薄い肉体が変化を、した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る