截拳道しか知らない世界

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第01話:截拳道しか知らない世界

「軽快なトークをしなければ殺すぞ。もちろん、不審な行動をしても殺す」

 ブッコローの背中に銃口を突き付けた黒子が言った。

 閉店後の有隣堂伊勢佐木町本店。YouTubeチャンネル『有隣堂しか知らない世界』の収録を目前に控えたタイミングで事件は起こった。ハンドガンやアサルトライフルを持った数人の黒子たちが強襲し、瞬く間に現場は占拠されてしまったのだ。広報・マーケティング部の渡邉郁やプロデューサーのPたちは黒子に組み伏せられ、文房具バイヤーの岡﨑弘子はマイペースに文房具を眺めている。

 リーダーらしい黒子が高らかに言う。

「貴様ら『有隣堂しか知らない世界』制作陣には、万人が楽しめ、万人の知恵となる動画を収録してもらう!」

 突然の事件に湧いた焦りや恐怖などの感情を表情に出さず、ブッコローが背後の黒子に問う。

「あなたたちの目的は何ですか?」

「それを一介のミミズクであるブッコローが知る必要はない」

 ブッコローがクッと息を漏らす。

「いいから黙って俺たちの言うことを聞いておけば良いんだよ」

「あなたたちに従っていれば、僕たちは無事に解放されるんでしょうね?」

「ああ、解放してやるさ」黒子の声が楽しそうに跳ねる。「だが、俺たちの機嫌を損なえば皆殺しだ。貴様らも、貴様らの家族もな」

 ブッコローは心の中で舌打ちをする。こいつら、僕たちの家族まで人質に取っているのか。ここは黒子たちに黙って従うしかなさそうだ。郁、Pと順に目くばせした後、最後にゲスト席に座った岡崎と目を合わせてブッコローは小さく頷く。

「わかりました。それじゃ、早速撮影を開始してください」


 カメラが回ったのを確認して、ブッコローは声を張る。

「今回はこちら。|ブルース・リーが遺したマーシャルアーツ、截拳道≪ジークンドー≫の世界ー!」

 周囲から拍手があがるが、今日はぎこちない音だった。やはりこの状況で平然を保つのは難しいらしい。自分だけでもいつも通りでいようとブッコローは背筋を正してゲストを紹介する。

「文房具王になり損ねた女、有隣堂文房具バイヤー岡﨑弘子さんでーす!」

 岡崎がぺこりと頭を下げる。

「え、なんで截拳道の世界で、岡崎ザキさんが来たんすか?」

「だって、ほら、わたしって前にヌンチャク鉛筆とか紹介したでしょ? だから」

「截拳道ってヌンチャク使うんすか?」

「知らない」

 岡崎が首を振るのに合わせて、ブッコローは驚いた。

 ちらりと横目で黒子の様子を伺う。彼らはカメラに映らない位置を陣取って、微動だにせずにブッコローたちを見つめていた。背筋に冷たいものが走る。

「だいたい、何で急に截拳道なんすか?」

「有隣堂と截拳道って語感が似てると思いません?」

「別に似てませんけど」

「わたしは似てると思う」

「えぇ……」

 こんな状況でも岡崎は相変わらずマイペースだ。肝が太いというか何というか、尊敬してしまいそうになる。今ものんきに身振り手振りしながら截拳道の魅力について語って――。

 そこでブッコローは気づいた。岡崎の手の動きは手話ハンドサインだ。


 ブッコローは、黒子たちに視線を悟られないように気をつけながら、岡崎の手の動きを追い、頭の中で言語に翻訳する。

 ――わたしたちは脅されています。犯人は黒子8名。銃を装備。警察に通報してください。繰り返します。わたしたちは脅されています――。

 まさかカメラを通して、視聴者ゆーりんちーにSOSを送っているというのか!? さすがは文房具王になり損ねた女こと岡﨑弘子。大胆にして不敵。マイペースなふりをして、実はこの状況を打破しようと企んでいたとは。

 黒子たちは手話を理解していないのか、はたまた企みに気づいていないのか、岡崎の手話を止めるような素振りは見せなかった。

 ……だけど、岡崎ザキさん。これ、生ライブじゃなくて収録なのよ。岡崎ザキさんがどんなにメッセージを送ったところで、それが視聴者ゆーりんちーに届くのは編集・配信が終わった後のことなのよ。

 ブッコローが「へー、截拳道と功夫カンフーってそんなに違うんですねー」と適当な相づちを打ちながら、手話で岡崎に『その手話、意味ないですって』と伝える。即座に『どうして?』と返ってきたので、この撮影が収録であることを丁寧に手話で説明する。しばらくすると岡崎は納得したようだった。

 理解してくれてよかった。ブッコローが胸を撫でおろすと、岡崎は手話で爆弾発言をした。『じゃあ、スマホで通報しちゃいましょうか』

 えっ?


 ブッコローが内心驚いて固まっている間に、岡崎は行動を起こした。

「あれ、UFOじゃないかしら?」

 そう言って岡崎が指さす先には、空飛ぶ円盤の玩具であるフライングライトUFO(希望小売価格:4290円(税込))が飛んでいた。それは岡崎がいざという時のために有隣堂伊勢佐木町本店に仕込んでおいたトラップだった。

 ブーンと甲高い音をまき散らしながらふらふらと舞い飛ぶUFO。黒子たちの視線が吸い込まれるようにUFOへと集まる。ブッコローと岡崎から全ての黒子の視線が外れた。岡崎はその瞬間を見逃さなかった。伝説の射撃選手ボブ・マンデンの如く、ポケットからスマホを0.1秒で引き抜くと素早く110番をコール――しようとした。

「動くなっ!」

 突然の怒声にブッコローと岡崎の身体がビクリと跳ねる。しまった、バレたのか!?

 しかし、黒子たちの視線がUFOへ引きつけられていたのは間違いなく確認した。だというのに岡崎の通報が止められたということは、この現場には黒子以外の敵――裏切者がいるということに他ならない。

 ブッコローは声がした方に目を向ける。

「あなたが裏切者……いや、黒幕だったんですね、郁さん」ブッコローが羽先を渡邉に突き付ける。「あなたは有隣堂のYouTubeを裏で牛耳るだけでは飽き足らず、黒子たちを使って有隣堂のYouTubeを表からも牛耳ろうとしたんじゃないですか?」

 渡邉は一瞬の間をおいてから「違います、私じゃないですよ」と首を横に振った。

「判ってますって。冗談ですよ、冗談」

 ブッコローは気を取り直して、渡邉の隣にいたPに視線を移した。

「犯人はP、あなただー!」

 そう指摘すると、Pは押し殺したように笑い始めた。その笑い方は徐々に勢いを増し、やがて大笑いをするに至った。


「そうだ。全てはこの私が計画した絵図なのだよ」

 拘束を解かれたPがゆったりと椅子に座って足を組んだ。

 ブッコローが信じられないといった風にPを問い詰める。

「何でこんなことをしでかしたんですか?」

「すべてはチャンネル登録者数のためさ」Pが不敵に頬を歪めた。「例えば、クイズに正解するまで帰れないテレビ番組があるだろう? その番組のコンセプトを取り入れようと思ってね。題して『チャンネル登録者数30万人を突破するまで帰しません』だ。どうだい、イカしているだろう?」

「イカれてますよ、あんた」吐き捨てるようにブッコローが言う。しかし、Pは意に介した様子もなく続ける。

「銃口を突き付けられ、登録者数30万人を目指して、不眠不休で収録を続けるブッコローたちを見た視聴者たちはどう感じると思う? 哀れみの情からチャンネル登録ボタンを押そうと思いはしないだろうか? はたまた、応援したいとか解放したいとか考えてチャンネル登録してくれる輩もいるかもしれない」

「Pはそんな汚い方法でチャンネル登録者数を増やして満足なんですか!?」

「ああ、満足さ」

「……この外道が」

「そうは言うがチャンネル登録者数が増えれば、ブッコロー、君のギャラだって上がるかもしれないんだぞ」

「えっ?」

 ブッコローの目の色が変わった。頭の中では次の競馬G1に何万円つっ込めるか考え始めていた。


「いやー、なんか僕、Pが正しいような気がしてきました」

 ブッコローがクチバシと羽をバタつかせて言う。

「いや、たぶん僕だけじゃないすよ。郁さんも岡崎ザキさんもギャラが増えるなら喜んでやりますよね?」

 そう言ってふたりを順に見る。だが、渡邉は青い顔をしたまま固まっており、岡崎は鋭い目つきでブッコローを見返した。

 岡崎がしずかに口を開く。

「ブッコローは、それで良いの?」

 その眼光にブッコローが怯む。

「だって、しょうがないじゃないすか。僕たち銃を持ったヤベー奴らに囲まれてるんですよ。言うことを聞いておいた方が無難ですって」

 しかし、岡崎は引かない。

「でも、そんな汚い手を使ってまで増やしたチャンネル登録者数にどれだけの価値があるの? いままで私たちを応援してくれた視聴者さんたちに無礼だと思わない?」

 その言葉に、ブッコローは思わず息を飲む。岡崎の言う通りだと思った。

「それにね、あの時約束したじゃない。ほら、チャンネル登録者数が10万人を突破して銀の盾を貰った時に『これから私たちは、何時いついかなる時も、汚い手を使ってチャンネル登録者を増やしたりしない』って」

岡崎ザキさん……」

 もちろん、そんな約束をした覚えはない。おそらく岡崎の記憶違いだと思うが、あえてツッコむようなことはしなかった。


「でも、岡崎ザキさん。この状況をどうするつもりなんですか?」

 ブッコローの問いに反応したのは、Pと黒子たちだった。

「どうも出来はしないさ。残念だけど、岡崎さんには少し痛い目をみてもらおう」

 黒子たちが岡崎に向けて銃を構え直す。

 その刹那、まだ宙を彷徨っていたUFOが爆散した。渡邉が悲鳴を挙げる。もちろん反応したのは渡邉だけではない。他の皆もその急な出来事に驚きを隠せなかった。――岡崎以外は。

 ――ぐぇ。ウシガエルが潰されたような悲鳴が周囲から聞こえた。それもひとつではない。

 ブッコローが辺りを見回すと、比較的近くにいた3人の黒子が泡を吹いて倒れてた。

 見上げると、いつの間にか机の上で岡崎がヌンチャク鉛筆を振り回しながらステップを踏んでいる。

「ねぇ、ブッコロー。今回のテーマが何だったか覚えてる?」

「え、截拳道の世界、ですよね」

「わたしがゲストに呼ばれた理由、見せてあげるわ」

 そう言って岡崎は跳躍する。

 立て続けに響く銃声。飛散する書籍。それらをかい潜って黒子たちに突き蹴りをお見舞いする岡崎。残り5人の黒子が地べたに伏すまで10秒とかからなかった。

 最後に「ホーーーアタッ」という掛け声とともにPに飛び蹴りをお見舞いすると、Pは壁まで吹き飛ばされて白目をむいた。そうして辺りは静寂に包まれる。

 くるりと振り返った岡崎が、ブッコローを見て優しく微笑む。

岡崎ザキさんって強いんすね」ブッコローが絞り出した声で言う。

「文房具王になり損ねたからって、甘く見ないでください」

 たしかに岡崎さんは、文房具王になり損ねたとはいえ、截拳道を究めていないとは一言も言っていなかったな。そんなことを思いながらブッコローは大きく息を吐いた。


 今回の事件は、岡崎の活躍によって無事に事なきを得た。

 しかし、この先いずれ第2第3のPが現れない保証はない。

 そうなってしまう前に、これを読んだ方は速やかにYouTubeチャンネル『有隣堂しか知らない世界』をチャンネル登録してほしい。

 頑張れブッコロー! 負けるなブッコロー! 金の盾を授与されるその日まで!

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