第57話【相棒】

 建物の長い廊下を並んで歩きながら、郁は周りを見渡した。

 壁には作者は判らないが、風景画や絵画が飾られている。


 一枚だけ少しばかり色褪せているが、子供が描いたであろう絵が飾られている場所で立ち止まる。

 黒髪の青年、長身の顔に髭の様な線が描かれいる青年、翡翠色の様な緑色の瞳を持つ金色の髪の女性。

 同じく女性と同じ瞳の色の茶色が交じった赤髪の子供が花畑に囲まれている絵だ。


 花畑に囲まれた彼らは皆、笑顔で幸せそうだった。

 郁も自然に笑顔になり、指で絵をなぞった。


「郁」


 少し先に歩いていた猿間に声をかけられ、郁は小走りで猿間の方に駆け寄り、また並んで歩き出した。


「……猿間さん。

実は俺、捜査一課のフロアで佐伯さんに猿間さんを紹介されたときが猿間さんとの初対面じゃなかったんです」


 猿間は少し驚いた顔をしたが、郁の言葉の続きを待っていた。


「十一年前にあった女子高生数名が誘拐されてアパート全室にそれぞれ監禁された事件覚えてますか?」


 猿間は郁にそう切り出され、考える様に黙する。

 

 ―――女子高校生誘拐監禁事件。

 

 〇〇県××市に在住していた被疑者の男は隣市の路上で帰宅途中の△女子私立高校の女生徒Aを誘拐し、自身が所有するアパートの一室に監禁。

 二日後、同様に別の隣町で帰宅途中の女子高校生Bを誘拐し、別の一室に監禁。

 被疑者は二日おきに、一人二人と女子高校生を誘拐し、計八名の女子高校生を各アパートの一室に監禁した。

 被疑者の男は他県にまで渡り、誘拐をしていた為に捜査が難航した。

 アパートの近隣の住人が毎回の様に系統の違う女性の服装を購入する被疑者を見かけ、それもが窺える様な服装を扱うショップの買い物袋だった為、不審に思っていたこと。

又、水道検針に訪れていた職員が全室空室状態にも関わらず、水道料が多く確認の為に部屋に訪れた際に最初に誘拐され、監禁された少女Aを発見し、保護した。

 集まり出した近隣住人、報道記者をかき分け、猿間達捜査一課が現場に到着した際に各アパート一室を見た時の衝撃はきっと一生忘れられないだろう、と猿間は当時思った。


 各部屋によって、壁紙の色も置かれている物の系統が違うのだ。

 取り調べの際に被疑者の男に問うたところ嬉しそうな不気味な笑みを浮かべ、男はこう述べた。


「扉を開ければ、その先には僕の理想の世界が広がっている。

僕はその世界の主人公で少女達はだ。

一○一号室の彼女にはエルフの恰好をしてもらった。

一○五号室の彼女にはゴシックロリィタの恰好をしてもらった。

二○二号室の彼女は主人公である僕の幼馴染の少女という設定だったから、制服は元々彼女が着ていたモノとは別のモノを着てもらったよ。

スカート丈は短い設定だったから、少し屈んでもらえれば……下着も僕が指定したモノを履いてもらった。

……あぁ、でも特に最後に誘拐して監禁した二○五号室の子は良かったな。

服を着替えるときも僕に決してこちらも見ないでくださいとお願いしてきてね、とても恥じらいがあって可愛らしかった」


 被疑者の言うようにその理想の世界を模ったテーマの部屋の系統、少女達もそれに沿った服装を身につけさせられていた。

 うっとりとした表情で語る被疑者に取り調べをしていた佐伯は眉をピリピリと震わせ、両拳を固く握りしめると、顔中に殺気を漂わせていた。

 刑事裁判では、最高裁まで争われ、被告人は懲役十五年の刑が確定。

 刑務所に収監された男は逮捕される前に患っていた心臓の病で、獄中で病死した。


「俺は、あの事件の被疑者に誘拐された最後の被害者でした。

俺の通っていた高校の校則上、周りの高校よりも早くに女子生徒の制服はスラックスの着用が可能でしたから。

当時の俺、同じ高一の同性生徒よりも身長も低くて、華奢だったのもあって被疑者に勘違いされたんでしょう。

学年が一つ上がった年からは身長が伸び始めて、今くらいの歳のときはこんな感じだったんですけどね」


 郁はそう言うと、苦笑いした。

 

「ああ、俺が捜査一課に配属されてすぐの事件だったから覚えてるよ。

被疑者を逮捕したのも俺と佐伯だったから。

そうか郁、お前あのときの……悪い、今のお前の姿見たら思い出したよ」


 悲しげに当惑した顔を浮かべる猿間に郁は首を勢いよく横に振るった。


「いや、猿間さんが謝ることじゃないです!

それにこの話は猿間さんに初めて言いましたし。

被疑者を捕まえてくれた猿間さん達には感謝しかないですよ!

被害者の女の子達も当時の警察関係者の方や佐伯さんや猿間さん達がしっかりケアを要請してくれていたからトラウマが少しでも救われたと思いますよ。

……やっぱりそうですよね。

実年齢より一回り幼くなってますし。

そういえば当時は髪も今よりもう少し長かったですし、俺」


 郁は短い髪を少しいじる仕草をすると、ははっと笑った。


「あの事件は幸い殺人は起こりませんでしたけど、世の中にはもっと取り返しのつかない様な事件が起きてます。

そういう事件を少しでも減らしたい。

救える命が一つでもあるなら手を伸ばせるようになりたいって気持ちもありますけど、俺あのとき初めて猿間さんに会ったときに俺もこの人みたいな誰かの心まで救ってあげられる様な刑事になれたらっていいなって……思ったんです。

当時の事件を知ってる人とか今みたいに打ち明けた人には大体同情されました。

あと女子高校生だけを誘拐していた被疑者に運悪く誘拐された男子高校生だなんて哀れむ人も中に数人いました。

だけど佐伯さんは只、背中優しく叩いてくれましたけど」

「……佐伯らしいな」


 猿間はふっと笑う。


「……俺の憧れはずっと佐伯さんと猿間さんだと思います」


 郁は立ち止まると、猿間も立ち止まり、郁を見つめた。

 太腿に添えた拳を郁は強く握り、意を決した様に言葉を切り出した。


「だから……猿間さん、俺これからも色んな人をこの手で守れるように生きていきます」

「ああ」


 猿間は頷くと、微笑んだ。

 猿間の表情を見た郁は目尻が少し熱くなり始め、ぐっと唇を噛んだ。

 郁に向かって猿間は手招きし、郁はまた猿間の隣に駆け寄り、歩き出した。


「あ、そうだ。

俺、猿間さんに借りてたスーツを実はデッド……鹿山真由さんに襲われたあのときに着ていまして、至るとこ擦れて傷付いてるのと、破れてもいまして……あと自分の血も付いてまして……返せる状態じゃない……です」


 郁は目を泳がせながら、たどたどしく猿間へ話す。


「本当すいません……これについては本当、猿間さんに謝んなくてはいけないと思ってまして……」

「いや、その状態で返されても俺が困るし、そんなこと気にするなよ。

俺はもう郁にあげたもんだと思ってたし」

「うっ……ありがとうございます。

いや、ありがとうございますはおかしいですよね。

あ、と言っても違う意味でも返せないってのもあります。

実は今の仲間の一人の……リリィって子なんですけど。

すごく良い子なんです。

気を使ってくれたのかボロボロになったスーツの生地でこれを作ってくれまして……」


 郁は胸元から手作りだと見てわかるようなお守りを差し出した。

 驚いた様に猿間は目を少し見開くと、郁の持つお守りをまじまじと見た。


「……その子器用だな。

へぇ、よく考えつくな……触った感じ結構頑丈そうで簡単に糸も解れなさそうだし」


 猿間は郁からお守りを受け取ると、じっくり見ながら感心したように呟いた。


「そのとき、俺、申し訳なさと自分を責める気持ちが大きくて……唯一残ってる猿間さんを想えるモノってそれしかなくて、お守りとかにすれば常に持てるでしょうって彼女が俺にくれたんです。

少しこれに救われました。

そのあとすぐに猿間さんと再会したんですけど……」


 猿間は郁にそう言われ、思い出したかのように口を開いた。


「あのときの記憶は多少は残ってるよ。

郁の何とも言えない……見捨てられたような顔が結構記憶に残ってる」

「っ、本当にあのとき俺すごいショック受け過ぎて……!

でも忘れていた猿間さんのせいではないですし……仕方ないんですけど……っ」


 郁は喜怒哀楽、百面相のような表情をしながら、ブツブツと呟くと、猿間は郁の頭を優しくぽんぽんと撫でた。


「ふっ、悪かったよ。

あと、あのとき……辛い思いさせて悪かったな」


 猿間の表情を見て郁は最後何に対して猿間が謝ったのか分かってしまった。


「……最後眠った様な安らかな顔していました。

西野さんも……あと幹さんも」

「……そうか」


郁達は短いようで長い時間を他愛無い話をしながら、まで並んで歩いた。





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