第43話【雑音】
夏の暑さが和らいだ頃、ノアの箱舟に保管されていたカイン・クロフォードの肉体が消滅した。
研究者の落胆する声と、崩れ落ちる研究者もいた。
その中で解放された様な安堵した表情をする者もいたが、他の研究者の目もあるのか、すぐに
「……消滅したな」
隣に立つ雨宮が呟いた。
ラヴィは小さく頷くと、カイン・クロフォードが入れられていた箱を眺めた。
その箱は人一人分の大きさしかなく、カイン・クロフォードはそこに浸漬されていた。
肉体がこれ以上腐敗しないようにしていたのかもしれないが、肉体が消滅した今ではそれも無意味な結果だけが残るだけであった。
「ラヴィ。
それでこれからどうするつもりなんだ?」
「……どうするって何を」
「世釋だよ」
「……」
雨宮は乱暴に自身の頭を掻くと、溜息をついた。
「俺だってあんまり考えたくはないよ。
でもいつかは向き合わなきゃいけないのはわかってるだろ?
このタイミングでお前に聞くのもどうかと思うが……話とかなきゃだろう?」
「雨宮が言いたいことは分かっているよ。
……エリーゼが消滅するって先生に聞いてから大分歳月は経ってる。
今はいいかもしれないけれど、エリーゼが本当に消滅した後は世釋は残る。
世釋はエリーゼの血しか飲まない。
けれど、それが無くなれば生きる為に食糧として人の血を求める。
俺や雨宮が生きている内ならどうにかなるかもしれない。
でもその後は?
それならいっそのこと世釋が本物の吸血鬼になる前に殺した方がいいんじゃないか。ってことでしょう?」
「……あぁ。
先生の意思もあるけれど、俺ら退魔師の最終目的はこの世界から退魔対象を消滅させることなんだよ。
その為に今まで動いて来た。
だけど……俺だって世釋を殺したりなんか本当はしたかないよ。
でも先生みたくお前だけに背負わせるつもりはない、だからラヴィお前の意思を確認しておきたかったんだ」
「俺は世釋を殺さないよ。
もし、世釋が人を襲うのなら一緒に心中する覚悟だ。
世釋一人だけ死なすつもりはないよ」
雨宮はラヴィの言葉を聞くと、眉を下げた。
「お前だったら、そう言うと思ってたよ……」
雨宮は親指を立てると、自身の心臓の場所に指を当てる。
そしてラヴィに向かって、笑顔を向けた。
◇◇◇◇◇◇
「それでは世釋くん。
何か気持ち悪いとか具合が悪い等の不調はありませんか? 」
「ううん、大丈夫!!
僕元気だよー!」
「よかった。
じゃあ、もう上着着ていいよ。
ありがとうね、世釋くん」
医師は世釋の頭を撫でると、席を立った。
世釋は上着に袖を通すと、看護助手の女性から貰ったキャンディーを嬉しそうに口の中で転がしていた。
ジュライの関係者であるこの医師は、唯一ラヴィ達の事情を知っており、定期的にエリーゼと世釋の体調を診てもらっていた。
医師はラヴィに耳打ちするように、近づいてくる。
「見ているように元気そうです。
体の異変もありませんし、心臓の音も脈も正常な動きしています。
……心配はないと思います」
医師はそう言い、会釈すると部屋から出ていった。
部屋の外には雨宮がおり、ラヴィを一瞥した。
カイン・クロフォードの消滅から一週間が経ち、変わらない日常が流れていた。
カイン・クロフォードの心臓を持っている可能性があると考えられていた世釋の様子も変化はなく、いつも通りの様子にラヴィは胸をなでおろした。
「ラヴィくん」
そう声を掛けられると、扉の方に視線を向けた。
ジュライは部屋を覗く様に、少しだけ顔を扉から出していた。
「ジュライさん。
もう帰られる時間でしたか?」
「ええ。
……あまり帰りたい家ではないのですが、私の不在中に巻き込まれる子供達に申し訳が立たない気持ちが日々募りまして。
……はぁ、結婚とはいいものではないですね、やはり」
ジュライは肩を落とすと、深い溜息をついた。
「カイン・クロフォードも消滅しましたし、もう私が居なくてもラヴィくんと雨宮がいれば大丈夫そうですしね。
というか、ここに来る為に妻達に言っていた言い訳がもう無くなりましたし……
来れなくなるっというのが正しいのですが」
「色々ありがとうございました。
ジュライさん」
「いやいや、私は本当に何も大したことはしていない」
ラヴィがジュライにお礼を口にすると、ジュライは慌てた様に首を振った。
ジュライは一息すると、遠慮気味に言葉を続けた。
「あ、それでですね。
エリーゼ様にも挨拶をと思っているのですが……はぁー、私だけですと、まともに挨拶ができる気がしなくてですね……はぁ
ラヴィくんがよければ一緒に……いや、部屋の外でもいいので近くにいて欲しくて……!!」
「いいですよ。
えっと、部屋の外でも大丈夫なんですか、ジュライさん」
「……申し訳ない。
やはり、もう少し近くに居てくれ。
動悸が今もあるのに、もしかしたら私、動悸し過ぎで倒れてしまってラヴィくんやエリーゼ様に迷惑かけてしまうかもしれない……」
「大袈裟な……と思いますが、予想が出来るのでついていきます」
入れ違う様に医者を門の外まで送っていた雨宮と廊下で鉢合わせた為、世釋のことを頼んだ。
部屋にドアをノックする前に、扉の奥からエリーゼの声がした。
「そう、君は故郷にもう帰るのか。寂しくなるな」
ジュライは瞳が潤んだのか、懐からハンカチーフを取り出し、目の当たりを拭いた。
「そんな、寂しいなんて……ありがとうございます。
はぁー……、ふぅ、エリーゼ様もお元気でお過ごしください」
「お元気でと言っても、もう消滅する身だからなぁ」
エリーゼがはははっと笑うと、ジュライは慌てた様に両手の平を左右に振った。
「いや、そういう意味で言ったわけでなく……!!」
「ふふっ、分かっているさ。
君も元気でな、ジュライ。
そうだ、君にコレを渡そうと思っていたんだ」
エリーゼはジュライに手を差し出すよう言うと、ジュライの手の平に翡翠色の小さい球体を渡した。
「これは……エリーゼ様の瞳の様に綺麗な宝石ですね」
「正真正銘私の眼球だ。
心配しなくても、もう只のガラス玉みたいなものさ。
私が消滅したとしてもこの状態なら消えることはない。
餞別だと思ってくれ。
この先、金に困ったときは売ったら少しぐらい値が付くかもしれないしな」
「う、売りませんよ!
家宝にします……!
むしろ頂いていいのですか……?
餞別なんて……私は幸せ者です。
今まで生きている中で一番嬉しいかもしれません……うっ」
ジュライは涙ぐむと、エリーゼに頭を深々と下げた。
ジュライは馬車に乗り込むと、ゆっくりと馬が動き出した。
馬車が見えなくなるまでラヴィは見送っていると、服の裾を引っ張られた。
「世釋」
世釋は不思議そうに、馬車の向かっていた先を見ていた。
そして、ハッとした顔をするとラヴィの方に視線を向ける。
「あのね、雨宮くんが言えって言うから来た」
「? 」
ラヴィは顔を上げると、雨宮は腕を組みながら壁にもたれ掛かっていた。
表情は少しばかり暗く、眉間に皺が寄っている。
「あのね、エリーゼの血の味が変わったんだ」
「え……?」
「エリーゼ多分、お腹の中にもう一人いるよ」
◇◇◇◇◇◇
雨宮は仁王立ちし、困ったように眉を寄せた。
ラヴィは口を紡ぐと、雨宮を見上げた。
「……正直に言うと、信じがたいと思っている。
けれど、とりあえず今色々考える前に、問いただした方が早い。
ラヴィ、どういうことか説明できるよな?」
ラヴィは言葉に詰まると、隣で愛おしそうに腹を擦るエリーゼを見た。
エリーゼはラヴィの視線に気づいたのか、ふぅと息をついた。
「説明などしなくても、分かるだろう?
それなのにネチネチと君らは予想できないことが起こると、突然焦りだすなぁ」
「いや、焦るだろう!?
ずっと前からお前らがお互い想い合い始めてるなっとは思ってた。
それについては反対もする気もないし、だけど賛成もしてるわけじゃないけど。
この先、エリーゼが消えた後も背負う覚悟がラヴィにはあると思ったから、俺からはとやかくは言わなかったけど。
……だけど、まさか子供を身籠ってて、もう二か月後には臨月ですよっておかしいだろう?
……ラヴィも驚いてるし。
いや、待て。
去年の冬ってこと……?
えぇー……待って。
急に弟が大人になったよっていう衝撃とお父さんってことじゃんっていう衝撃が強くて……吸血鬼と人間で……うん?
……えっ? えっ……?」
「腹の子は私とラヴィの子だよ。
まぁ、人の子は産んだことはないから初めてだけどな。
冬じゃないよ…確か三か月前だな。
お互いの想いが通じ合った夜に性交したからな」
エリーゼのストレートな答えに雨宮は激しく咳き込み、ラヴィは赤面すると、唖然としていた。
「人間の女性とは違って、妊娠期間は半分だからあとひと月腹ももう少し目立ってくると思うけれど……でも、そうか。
血の質が変わるんだな」
「……エリーゼ、一つだけ確認させてくれ。
その腹の子は吸血鬼になるのか?」
雨宮はごほんと一度咳き込むと、そうエリーゼに聞いた。
エリーゼは考える仕草をすると口を開いた。
「混血種になる可能性はある。
だけど私の吸血鬼としての力が弱まっている状態で身籠った子供だからね、少しばかり長命なだけだと思うよ。
君らよりは長く生きるかもしれないけれどね、まぁ、産まれたすぐにちゃんと確認して説明するよとしか今は言えないかな。
それより、悪いが食事を持ってきてくれないか?」
「血?
輸血パックならベット横の引き出しに……」
ラヴィは棚に手をかけようとすると、エリーゼは首を横に振った。
「違う。
君らが普段食べているモノの方だ。
腹の子の主な栄養はソレらしい」
エリーゼはふっと微笑んだ。
◇◇◇◇◇◇
「こんにちわ」
ラヴィがそう声を掛けると、女性は顔を上げた。
「ご無沙汰していました。
ラヴィ様」
「様付けはもうよしてくれませんか?
こんな街中でそんな呼び方されるととても良い気持ちではないので……」
女性は少し驚いた顔をした後「そうですね……では、さん付けで失礼しますね」と笑顔を返した。
ラヴィは屋敷がある丘から下に下った先にあるこの街のカフェでノアの箱舟に居た女性研究者と待ち合わせていた。
街路に面したこのカフェは歩道にせり出してテーブルや椅子が置かれており、店内にはカウンターやテーブル席もある。
屋外の席は人気があるのか、店内よりも席が埋まっていた。
道を行き交う通行人の姿や街路樹を鑑賞し、楽しみながら同席の人と会話をする者や独りでゆっくりと時間を過ごす者もいた。
ラヴィは女性の向かい側の席に座ると、タイミング良くウェイターが席の前まで来た。
女性は軽食と珈琲を頼み、遠慮するラヴィにも同じく珈琲を頼んだ。
「勝手に同じものを頼んでしまったけれど、珈琲は飲めたかしら?」
「ええ、ありがとうございます」
女性は目を細めると、にこりと笑った。
「最後にお会いしたのはいつ頃でしたかしら。
確か、貴方がたのお屋敷に私共が訪ねたときかしら?」
「……」
「そんな不機嫌そうな顔にならないでください。
もう、私もノアの
あまり警戒しないでください……」
「覚えていたとしても、あまり思い出したくもありませんので貴女とお会いした日など」
ラヴィはにこやかな笑顔で返すと、女性はふっと笑った。
「今回、貴女にお尋ねしたいことがありましたのでお呼びしました。
来ていただいたということは、お話頂ける意思があってのことだと解釈していいでしょうか?」
「そうね、その気持ちで此処に来たつもりですよ。
もう、私にとって関係ないことですし……最後の言葉は余計だったわね。
睨まれてしまったわ」
軽食と珈琲が運ばれると、女性はミルクと砂糖を珈琲に入れ、スプーンでかき回した。
「……カイン・クロフォードが消滅したことはご存じですか?」
「ええ、もう大分前に研究者は辞めていたから、元同僚に聞きました。
私共ノアの箱舟の研究者にとっての研究は失敗に終わったってことね……」
女性は珈琲が入るカップに口をつけると、一口飲んだ。
「貴女にお尋ねしたいことは、世釋のことです。
世釋は、貴女のお子さんですよね?」
カップを持つ手が少し震えると、女性はゆっくりと頷いた。
「……出生記録もすべて処分するよう言われたので残したつもりはないと思っていましたが、処分し忘れたものがあったのかしら?」
「お腹を痛めて産んだ子でしょう?
よくそんなこと言えますね……」
「そうね、愛しかったわよ。
お腹にいた頃はね」
「は……?」
「死産したのよ私。
というか、産まれたときには心臓が動いてなかったの。
驚いたわ、まさかと思った。
どれだけ親族に責められたことか……私の元々育った国わね、男は外に出て働き、女は家を守り子供を守る。
そして旦那の威厳を守るみたいなお堅い考えが一般的なところなの。
子供が健康に産まれて来ないなんて女のせいだとかね……
原因は激務のせいだったのか何かなんて今じゃ考えても仕方ないけれどね。
でも、運命だったのかもしれないわ。
その死産のお陰でノアの箱舟である実証実験を行うことができた」
「カイン・クロフォードの心臓」
「あら、すでに知ってるじゃないですか。
そうよ、古来最強の吸血鬼カイン・クロフォードの心臓を移植したのです」
ラヴィは膝に置いた手を強く握った。
「こんなモノでも役にたてるのなら、喜んで提供しますとすぐに返事しまして、失敗も視野に入れての実験でしたが、成功しました。
それもすごいのですよ?
成長スピードが速くて、言葉を話したときは驚いてしまって……」
バァンッとラヴィはテーブルに拳を振り落とした。
大きな音に驚いたのか、周りの客もこちらの方に視線を向ける。
女性は怖気づくことなく、余裕そうな顔をする。
「そう怒らないでください。
大人になるにつれ、整ったお顔がそんなに睨みつけては台無しになりますよ。
拳も痛いでしょうに」
「……失礼しました。我慢しきれなかったもので。
話続けて頂いていいでしょうか?」
「ふふっ、笑顔が怖いですね。
あの子供は元気かしら?
辛い実験の日々だったし、可愛らしくもない子供だったから。
エリーゼ様とは仲が宜しいのかしら……?
貴方達のところに行くときに、嫌われず、捨てられない様にしっかりするのよとは言ったけれど…
でも、貴方も心臓のことを知っているのにあの子供を殺しもせずに生かしているなんて、貴方も相当の偽善者ですね。
あの男も偽善者でしたが、やはり似るのかしら」
「貴女とこれ以上長ったらしく会話したくないので、余計な会話は控えて頂いていいですか?
それと、世釋や俺らのことは貴女には関係のないことです」
「そうですね、関係ないことだわ。
私にとってはね」
ラヴィは私にとってはと言う言葉に違和感を感じた。
聞き流せばいい言葉だが、何故か引っかかりを感じた。
「そういえば、ラヴィさんは懐中時計はお持ちになっているかしら?
時間を確認したいのだけど」
ラヴィは懐中時計を渡すと、女性は時間を確認する為視線を落とす。
「今日は、雨宮さんはいらっしゃらないのね」
「ええ、エリーゼと世釋と一緒に居ます。
何故ですか?」
「へー……意外と勘が鋭いみたい。
最後にいい事教えてあげましょう。
世釋に心臓を移植しようと最初に言ったのは私なんですよ」
「……そうなんですね」
ラヴィは何か胸騒ぎがした。
先程から話してる女性の雰囲気が少しばかり違和感を感じる。
この女性はあの日、屋敷に来た時と印象が違うのだ。
あれから時間が経っているし、あの頃よりも落ち着いているのだろうと思っていたが何かがおかしい。
この女性はこんな風に笑う人だっただろうか……?
女性は席を立つと、持ってきていた小さな鞄から拳銃を取り出した。
「私に指示したのは、カイン・クロフォード様なんですよ。
これは、始まりの合図です。
ひとつは心臓。ふたつはエリーゼ様の血液。みっつはキャンディー。
そして、これで私の役目は終わりです。
さようなら」
ドォンと鈍い音がすると、女性の頭から血と肉片が飛び散った。
すると、背後から唸り声が聞こえ、赤黒い手がラヴィの肩を掴む。
瞬時にラヴィは身体を捻り、後退すると腰に添えていた刀を引抜いた。
街を歩いていた人々、カフェで過ごしていた人々の何人かの身体から赤黒い手が生え、肌の色が変色している者もいる。
悲鳴が至る所から聞こえる。
「なんで、デッドがこんなにいるんだ……?」
街は一瞬にして瓦礫が落ち、砂が舞い上がり、断末魔とデッドの叫び声、血の匂いと糞尿の匂いが広がる光景に変わった。
「……人間が、僕らの世界に入ってくるなよ」
頭を拳銃で撃ち、倒れた女性の口がその言葉を吐くと、にこりとほほ笑み、しばらくして目から生気が消えた。
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