第39話【平穏】

 エリーゼ・クロフォードは不思議な女性だった。

 優雅に佇む姿は凛とした白百合の様で、微笑む度に綻ぶ口角は薔薇の様に華やかで美しい。

 ひと時視線を交わせば、骨の髄まで侵されてしまう様な感覚に襲われる。


「ですから私はラヴィくん……はぁ、君があのエリーゼ・クロフォードの近くに居ても、はぁ……何故、私の様にならず、はぁ……正常な状態で居るのかが、はぁ、疑問なんですよ」

「はぁーはぁーはぁーはぁ、五月蠅いんだけど、ジュライ!!」


 雨宮はそう言うと、舌打ちをした。

 ジュライは申し訳ない様な顔をすると、自身の祭服の懐から使い古された本を取り出した。


「私はどうしてもエリーゼ・クロフォードの近くに居るだけで動悸が激しくなってしまってね……彼女の姿を思い浮かべるだけでも同じように動悸が始まってしまうのです。

ですから、君らに不快な思いを抱かせてしまい本当に申し訳ない。

なんて私は不純な精神をしているのでしょう……!

あぁ、天は不純な私を受け入れてくれるのでしょうか……否、天は私に試練という罰をお与えになっているのでしょうか……」


 ジュライはそう言うと、天を仰ぐ。


「あの……」

「いい、ラヴィ。

この人これが通常運転だから。

気にしなくて大丈夫だから」


 雨宮は呆れたように首を横に振るうと、ラヴィの肩を抱いた。

 ジュライが言う様にエリーゼ・クロフォードは本当に不思議な女性だとラヴィも思う。


 古来最強の吸血鬼、エリーゼ・クロフォード。

 何千年も前から純血の吸血鬼として降臨する種であり、ひとたび地に下りれば食糧として人を襲い、血肉を求め徘徊するリビングデッドを生み出す。

 特殊な念力を使う為に、並みの退魔師では太刀打ちができなかったそうだが、

先生(本名は知らないので、雨宮と同様にラヴィも先生と呼ばせてもらっている)に力の差で圧倒されてから、この屋敷で投獄され監視の元過ごしている。

 しかし、屋敷はそこまで高い塀や、バリケードはなく、エリーゼ・クロフォード自身も逃げることもなく、自ら望んで此処に居続けているようだった。

 ラヴィも監視役といわれても、実際は只、エリーゼ・クロフォードとこの屋敷の敷地内で散歩をしたり、茶を飲んで他愛無い話をするだけだった。

 これが監視役としての仕事なのかとラヴィは疑問に思い、先生に相談したが先生は困った様に優しく微笑むだけだった。

 エリーゼはふとした時にラヴィに何故逃げず、此処に居ることを選んだのかを話してくれたときがあった。


先生あやつに囚われたときに私はどこか安堵したのよ。

エリーゼ・クロフォードを終わらせることができる。とね。

でも今もこうして生き永らえているのが少し可笑しいけど、段々と楽しくなっているのよ私自身ね。

だから別に逃げるなんて気力も起きないわ。

それに君が想像しているように、吸血鬼は長命ってわけじゃないのよ。

等しく死は訪れる。

只、私の場合それが少し特殊なだけで、もうそれも必要なくなる。

それが心底私は嬉しいと思ってしまうの」


 エリーゼはそう言うと、どこか悲しそうに微笑んだのを、ラヴィはずっと胸の中でつっかえていた。


「君ら、男同士で何を面白いことを話してるんだ?」

「うわきゃぁぁぁぁぁっ!!!」


 エリーゼが突然現れると、ジュライは驚いた様に情けない叫び声を出し、逃げる様にその場から離れ、木の後ろに隠れる。

 そして恐る恐る木の後ろから顔を出した。

 立ち上がった際にジュライの手元から落ちてしまった本をエリーゼは拾うと、ペラっとページをめくった。


「ふっ……ふふっ、君は私のことをこんな風に見ているんだね。

ずっと何を熱心に書いているのかなと思っていたが、こういう表現は素晴らしい才能だと思うよ」

「それ、本人に言われるのが一番恥ずかしいと思いますよ」


 ラヴィがそう言うと、エリーゼはきょとんとした顔をし、首を傾げる。


「そうなのか? 正直に本心で伝えただけなのだが……」

「俺もずっと気になってたんだ!

俺にも見せてくれよ、エリーゼ!」


 雨宮はエリーゼの横から本を覗き込むと、本に書かれた文字に目を通した。


「なになに……?

今日のエリーゼ様は草花の朝露の様に輝くお姿に私は美しいと思い……何、朝露って? 

ラヴィ、朝露って知ってる?」

「知ってるけれど……」


 屋敷に来てからラヴィは多くの本を読める機会に恵まれた。

 本を読むことによって知りえなかった物事や知識がラヴィにとってはすべてが新鮮で、すぐに夢中になった。

 先生も遠征から帰って来た際、ラヴィにお土産に色んな国の本をくれた。

 その為、雨宮の投げかけられた疑問に答えることは出来るが、ジュライのことを思うと正直に答えて良いのか迷っていた。

 ラヴィのその様子をエリーゼは察した様で、にこりと笑った。


「ラヴィ、答えてあげればいいさ。

私もそのの意味を君から聞きたいな」

「……確か、葉や花にたまっていることがある水滴のことだったと思う。

それが朝日の光を受けて宝石のようにキラキラ輝いている様子をエリーゼと重ねて、たまらなく美しくて、魅了されるって意味だと俺は解釈できるかな」


 ラヴィの解釈が合っていたのかジュライは大きく頷く。

 雨宮はふーんといまいち解っていなさそうな顔をする。


「あとあと、一輪の花の如く凛とした横顔が美しく……お、これは俺、解ったかもしれないわ。

これもエリーゼが美しくてたまらねぇーってジュライが思ってるってことじゃねぇ? 

まわりくどい言い回しだなぁ!

もう少しシンプルに言えばいいじゃねぇの? なっ、ジュライ!」

「うわぁぁぁぁぁ!!

やめてくれぇ、そんな大きな声で……!!」


 ジュライは耳まで真っ赤にしながら、狼狽えていた。

 すると、エリーゼの手から本が取り上げられる。

 いつの間にか先生が側に来ており、にこりと雨宮に微笑んだ。


「先生……!

目が笑ってないっす」

「あまりジュライをいじめないでください。

ジュライも熱心なのはわかりますが、日記を主な使用目的に変えないでくださいね。

一応これは他の人間も見る可能性があるものですから」

「おや?

でも私のことを書くという名目なのは間違ってないだろう?」


 エリーゼがそう口にすると、先生は困ったように頭を掻いた。


「そうですが、私欲で書かれていると混乱を招く可能性も視野に入れているだけで……まぁ、今はあれこれと言いませんよ。

ジュライも反省……されていますかね。

それは後ほどゆっくり聞きます。

それと、貴女には一応伝えておきますが、やっとの居場所がわかりましたよ」


 エリーゼは先生の発言に目を少し伏せた後、腕を組んだ。


「……そう。

君は苦労人だね。

自らの使命の為か、それとも雇い主が傲慢なのか」

「お答えし兼ねますね。

只、貴女のように話し合えばわかり合えるのでしたら楽だなとは思いたいですけどね」

「それは君、ジョークにしては笑えないな」

「そうですね」


 先生は肩を竦めると、眉を下げ、口角をあげた。

 そして、ジュライと雨宮の方に真剣な顔を向けた。


「さて、さっそくですがジュライ、雨宮。

出発準備していただけますか?

少し今回は遠出になりそうなので早めに準備を進めたいのです」

「わかりました先生!

遂に決着つけに行くんですね!」


 雨宮は親指を立てると、先生の方に向けた。

 先生が頷いたのを確認した後、急いで自身の荷物を取りに、自室に駆け出して行った。


「私の準備は既に済んでいますので、移動手配の指示を他の者にもしてきます」

「頼みます。ジュライ」


 ジュライはそう言うと、雨宮から先生が先程、没収した本を受け取った。

 ラヴィ達三人にジュライは一礼すると、屋敷の方に歩みを進めた。

 先生は次にラヴィの方に顔を向けた。


「ラヴィ。

君には留守番をお願いしますね」

「はい」


 先生はラヴィの頭に手を置くと、撫でた。


「それにしても随分と笑顔と言葉も多くなりましたね、ラヴィ」


 ラヴィは自身の頬に触れると、ぺこりと会釈した。

 此処に連れられてから八年の月日が経ち、日の光と十分な衣食住を与えられた為に成長が止まっていた背が少しずつ伸び、皮と骨だった身体には筋肉も付いてきた。


「それと、毎回ですので対応には慣れていると思いますが……」

「ノアの箱舟の方にエリーゼの定期検査に協力する様にですよね?

大丈夫です、そのときは俺が責任を持って対応します」

「ありがとうございます。

ですが、もう貴方にこれからもお願いしてもいいかもしれませんね。

私が不在にする日も多いですし、今の貴方になら十分任せられそうです」

「ええ、それに私もラヴィにエスコートしてもらった方が嬉しいわ。

君、最近腰と足が痛いとか嘆いているでしょう?

この先、君は鞘に納められた刀を杖の代わりにしそうだわ」

「私そこまで老いていますかね?

まぁ、昔よりは体力は落ちてきましたが……」


 先生は苦笑いすると、頬を人差し指で掻いた。

 雨宮は準備が終わったのか、こちらに向かってきていた。


「雨宮も準備が出来たようですから、ジュライが戻り次第出発します。

では、よろしくお願いしますねラヴィ。

あぁ、もし定期検査に向かう際、貴方はノアの箱舟の外までいいですから」

「?」


 ラヴィは瞬きを繰り返す。


「……はい、同行するだけですね。

わかりました、先生」


 馬車に乗った先生達をエリーゼと見えなくなるまで見送った。

 しかし、数か月後その馬車が戻って来た時には先生は右脚を失っており、ジュライも雨宮も至る所は出血が酷いのか、巻かれた包帯は血で染まっていた。

 そして、大きな荷袋には頑丈な鎖が巻かれており、それはノアの箱舟の人間が別の馬車に乗せ、運んでいった。



◇◇◇◇◇◇


 先生達が屋敷に戻って来て数日経った頃、ラヴィは先生が療養する部屋を訪れていた。

 ラヴィが部屋の中に入ると、先生はベッドに腰かけていた。

腰の辺りから毛布が掛けられているが、右脚部分は不自然な程に毛布が沈んでいた。

 先生はラヴィの視線に気づいたのか、苦笑いをした。



「壊死が酷く、右脚を切り落としたのですが……この足ではもう前線では退魔師として動くことはできませんね。

ですが、目的は達成しました。

雇い主からも十分だと言われました。

戦力外ということでしょう。

故郷に戻ることを薦められました」


 先生はそう言うと、ベッドの傍らに置かれている椅子に腰かけているラヴィに自身の刀を渡した。

 ラヴィはおずおずとその刀を受け取った。


「これは故郷に帰る私には必要がないものです。

お守りとしてではありませんが、貴方に渡そうとずっと思っていたんです」

「……」

「やはり、私の不在時にようですね。

ノアの箱舟のことを」


 ラヴィは静かに頷いた。


「私を恨みますか?」

 

 困った様に微笑みを向ける先生にラヴィは首を横に振った。


「いえ、恨みませんよ。

先生に救ってもらった命への感謝は忘れたことはないです。

でも……これは間違っていると俺は思います」


 毛布に置いた手の拳をぐっと握ると、先生は自白するかの様に言葉を漏らし始めた。


「貴方のその考えが正しい答えです。

私の考えが麻痺してしまっている。

私が言える立場ではないですが、貴方がこの先をどうするか決めればいいです。

私は自分自身の欠けた感情を貴方に託す……いえ、出会った時にすでに責任を押し付けようとしていたのかもしれません」

「ジュライさんや雨宮は知ってるんですか?」


 悲しげに苦笑いを溢し、先生は頷いた。


「ジュライは既に前から知っています。

雨宮には貴方の前に先程打ち明けましたよ。

泣かれました。

どうして教えてくれなかったのかと責められました。

雨宮は一番にラヴィ、貴方のことを心配してましたよ。

どんな顔で貴方に会えばいいんだって言ってました」

「そうですか……」

「ジュライも家族の元に帰るそうです。

ですから、貴方達が良ければ私の故郷に一緒に来ますか?」


 先生の提案にラヴィは驚き瞠目するが、しばらくしてから首を横に振った。


「いえ、俺は此処に残ります。

知ったことで尚更此処に残る意思が強くなりました。

雨宮もそう答えたんですよね?

だから……先生は俺にこの刀を置いていってくれるんですよね?」


 先生は眉を下げると、視線を斜め下にうつした。


「責任を押し付けたなんて言わないでください。

先生も選択してこういう結論になっただけで、この先どうするのかは勝手に俺が決めることです。

それに、俺はノアの箱舟の思惑通りにさせません。

既に彼を幽閉して、吸血鬼の力の源である血液と心臓を絶ったのは先生のノアの箱舟に対する反抗ですよね。

ノアの箱舟はそれによって計画が狂っているのは明確でしたから。

ですから、先生の意思を俺と雨宮がそのまま継ぎます。

そして、エリーゼ・クロフォードを永遠に終わらせます」


 ラヴィがそう言うと、先生は唇を噛んだ。


「……頼みます。

ラヴィ、そして雨宮」


 扉の外から鼻をすする音がした。









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