第22話【静寂の中】
マリアは食事を終えると、唇の周りを小さな舌で舐めた。
「うーん……いや、だからそんな恰好に着替えたとしても学校内には入れないんだよリリィー……」
「むにゃぁー……こんないっぱい食べれないよ~えぇ? チョコレートフィンデュ?なにそれ食べるぅ~むにゃっ……」
郁とリリィは目覚めず、床に寝転がり、寝言を呟いていた。
「おーい、そろそろ起きろ。
もう怠惰の悪魔ニア殿の能力は簡単に解けるはずだぞ?? 」
マリアは郁の前にしゃがむと、頬をぺちぺちと叩く。
しかし一向に起きない様子にふぅと溜息をついた。
マリアはフォークを取り出すと郁の額に向かってフォークを勢いよく突き刺した。
「むー……強制的に起こすとするかのぅ……」
マリアは刺したフォークを抜くと、小さな獏がジタバタと暴れながらフォークの間に挟まっていた。
マリアは口を大きく開くとその獏を丸呑みした。
すると郁は開眼し、跳ね起き、周りを見渡す。
「え? 戻って来れた?
あ、リリィは? 」
「おはようじゃな、わんころ。
狼の娘だったら幸せそうな顔で夢に現を抜かしておるわ。
じゃが直に目を覚ますじゃろう」
マリアは微笑むと、人差し指で郁の頬を突っついた。
「マリアさん?
どうしてここに……あっ! ユヅルさんも!」
郁は藍の隣で横になるユヅルを見つけ驚いた。
リリィはうーんと背伸びをしながら起き上がる。
マリアはやれやれと呆れたような顔をした。
「おぬしら危なかったのだぞ?
儂と主様が来なかったらどうなっていたか……」
マリアは腕組みをすると、自身の前で正座して俯く郁達を見た。
「「……ごめんなさい」」
「あえて言うが一番危なかったのはわんころお主じゃ!!
お主の前に現れた狼の娘が獏にも関わらず、女教師の恰好は駄目じゃとか、それなら大人びた女子高生風ならいいかとか……浮かれすぎじゃないかのう?」
「私?」
リリィは不思議そうに首を傾げながら郁の方に顔を向ける。
「本当にすいません……」
郁は罪悪感と申し訳なさでリリィから視線をそらした。
「……うっ」
藍の声がし、郁達は近付くと藍は眉を寄せ苦しそうに唸っていた。
「苦しそう……大丈夫かな」
リリィは冷や汗をかいている藍に触れようとしたが、マリアにその手を軽く叩かれる。
「下手に触るでない狼の娘。
お主もこの娘の夢の先に迷うことになるぞ?」
マリアはユヅルの額に手を添えると、ふっと笑う。
「主様の方も順調のようじゃのう。潜った夢の先はやはりあの日の記憶か」
「あの日?」
郁は首を傾げる。
「あぁ、この娘の記憶は欠落しておる。
朱という娘はこの時が来るのを分かっていたからこそ儂にわざわざ捕まったんじゃ。流石あやつの唯一愛した女の血を受け継いでおるようじゃのう……儂らが今出来ることは何もないわ」
マリアはくくくっと笑った。
◇◇◇◇◇◇
かあ様は可哀想な人だ。とう様をこんなにも愛しているのにその愛はきっと返ってくることはないだろう。
五つ歳上のねえ様はかあ様と仲が悪い。
あの子はとう様に一番可愛がられているから反吐が出るとかあ様は言っていた。
ねえ様もあの人は母親になれない、ずっと女のままなのね。と言っていた。
かあ様は
特にタロットカードを使った奇術が得意だった。
でも私がかあ様の真似をしてお金をいっぱい貰って帰ってきたあの日からかあ様はタロットカードを辞めた。
「私が対等の力があればあの人は私だけを見てくれるかしら」
何度もかあ様の口からこの言葉を聞いた。
そんなこと言わなくても今のかあ様が私は好きよ。と言うと泣きながら、怒っていた。
「ねぇ、リセ。私と一緒におでかけしない?」
ある日かあ様は近くにフラッと出掛けるように私を連れて魔女の村へ訪れた。
かあ様は途中の小さな村で奇術をして見せたが興味を示す者はいなかった。
皆、口々にそんな子供騙し見るに堪えない。魔女の方が恐ろしい魔術を使うからそちらの方が見応えあるかもしれないなと笑った。
(私の腕を握るかあ様の手がいつもよりとても強かったのだけ覚えている。)
「……そのペンダント鈍い光しか発さないのによく大切にしているわね」
かあ様は私の首に提げているペンダントを指さした。
私は咄嗟にそれを握るとかあ様は町で買ったお酒を私の顔に浴びせ、笑った。
「ふふっ、盗ったりなんかしないわよ。そんな価値もなさそうなペンダント」
「……」
かあ様がこんなにも酔うほどお酒を呑むのは珍しく、余程町での出来事がかあ様の自尊心を傷つけたのだろう。
私は黙っているとかあ様は愚痴をこぼし始めた。
「貴女って本当に似ているわね。
貴女のお姉ちゃんなんて私に今だにニコリともしないわ。
本当に可愛くもない子供よ。
あの人の娘じゃなければ……あんな子供。
でも貴女の方が質が悪いわ。
心の中で哀れんでいるような顔をしているくせにそれを隠して私を気に掛けるフリをする。
……私は貴女が一番嫌い」
かあ様はそう言うと、焚火の火を消し眠りについた。
暖かい季節でもやはり夜は冷える。私は消えた焚火の方へ手の平を伸ばした。
少しだけまだ暖かくふうと息を吐いた。
(このペンダントはとう様に八つの誕生日にもらった。
とう様の妹、メアリーおば様の形見らしい。
メアリーおば様には会ったことがない私が生まれる前に亡くなったとかあ様に聞いた。
かあ様はあの様に言っていたけど私はこのペンダントの鈍く光る宝石がとても気に入っている。
たとえばこんな夜には眺めていると心の中に溜まったドロドロしたものがなくなった気がした。)
ペンダントを見ながら、呆けていると、足元に栗鼠が近寄ってきた為、残っていた木の実を探した。
〖感傷的になっているところ悪いがそろそろ本題に移っていいか?〗
(栗鼠は私の瞳を見つめながら頭に直接語りかけてきた。)
「……その声、貴方ノアの箱舟の魔女ね」
〖お前は藍の方みたいだな〗
藍の近くで横になっているかあ様に気づかれないように藍は声の音量を下げた。
「何を訳の分からないことを……でも察しがつきました。
やっぱり此処は現実世界じゃないみたいですね。
ですが只の夢でもない」
〖あぁ、これは怠惰の悪魔ニアの能力の中だ。
僕らはここから早急に出る手段を探さなくてはならないだろうな〗
栗鼠は二足で立ち、短い手で腕組みをする。
〖なんだ、何か言いたげな顔だな〗
「いいえ、只どうして栗鼠なんだろうと思いまして……」
〖此処に入った時からこの姿だ。
でも小動物の方が何かと動きやすいからな。
それに目立った行動をするに適している〗
「そうかもしれないですね。
私のようだと下手に目立った行動が制限されますし、貴方のような身なりの方が楽そうです」
〖リセと呼ばれていたな。
この女の子に見覚えは?〗
「いいえ、でも記憶は共有されているのか他の方に違和感なく接することができます。
しかし、時間の経過が突然すぎるので時々整理が追い付かないことはあります。
瞬きをしたときに昼が夜に、歩いてる場所、身に着けている服、体の痣も増えます。それは少し困りますね……」
〖痣。この女に暴力を受けているのか?〗
「そのようですね。
……貴方の先ほどの意見には同意します。
ニアくんが何故私に能力を使ったのか、はたまた不運に巻き添えを食らってしまったのか分からないですが、私も此処から貴方より先に出て貴方の喉を掻き切りたいですから」
〖……それは此処を出れたらの話だろう〗
「正直貴方と一緒に行動するのは苦虫を噛み潰すくらい嫌ですが、私だけでは出る方法を見つけることが難しいので我慢します」
藍はそう言うと、栗鼠の頭を人差し指と中指で撫でた。
〖なんだ?〗
「……一度小動物に触ってみたいと思っていたので。
言っておきますが、私の意思ではありませんからね」
◇◇◇◇◇◇
夕凪が開けた扉の先にはノアの箱舟に居ると思われていた七瀬の姿があった。
何故、此処に居るはずのない七瀬が居るのか夕凪は戸惑ったが、七瀬は槍を夕凪に向けると、襲ってきた。
夕凪は荒い息を吐く。
すでに全身の至る箇所に血が滲み、痛みに耐えやっと立っているような状態でいた。
「夕凪、どうして私を攻撃してこないの?」
七瀬は眉を下げながら夕凪を見る。
「私はノアの箱舟を裏切っている。
ずっと前から……それを分かったのにどうして避けないの?
避けられたチャンスだってあったはずなのに……!」
「七瀬さんに攻撃なんてできませんよ……実力も違うのもありますけど、どんな理由があったとしても、七瀬さんを傷つけたくないですから……」
夕凪はそう言うと、七瀬に笑いかけた。
すると壁の方にもたれ掛かり崩れるように気絶した。
七瀬は夕凪に近付き、目の前に屈んだ。
「……ごめん、ごめんなさい夕凪。
私も貴女を傷つけたくなかった……それでも私は……!」
「良かった、夕凪のこと傷つけられないかなって心配してたんだ」
後ろから声がし、七瀬は振り返ると満面の笑みを浮かべた世釋がいた。
「あと雨宮からエリーゼの心臓を返してもらったよ。
まさか君が裏切ったなんて彼も予想外だっただろうね」
ズルズルと何かを引きずる音がし、七瀬は世釋の後について来た少女の手の先を見ると世釋の胸倉を掴んだ。
「……約束と違う。
ラヴィに何もするなって言ったはずよね?」
少女に引きずられていたのは血まみれのラヴィだった。
世釋は溜息をつく。
「多少痛めつけただけだよ。死ぬほどではない」
七瀬は少女からラヴィを引き剥がすと、ラヴィを抱きしめる。
「…っ、七瀬」
「…ラヴィ、私を許してくれなんて言わない。
あの日何もかも嫌になって消えたいと思うほど壊れてしまいそうだった心を救ってくれた貴方の役にたちたかった。
ずっとそばで支えられるようになりたいって今も思ってる。
私はラヴィ貴方が好き。
だから終わりにするわけには出来ないの……」
七瀬はラヴィを持ち上げると、扉が現れる。
「さようなら、ラヴィ」
扉はバタンと大きな音をたて、閉まった。
◇◇◇◇◇◇
「私は此処から少し離れた町から来た奇術師をやっているイザベラという者です。
この子は娘のリセです。
魔女がいらっしゃる村とお聞きし参らせていただきました。
無理も承知ですが、私にどうすれば悪魔と契りを交わせるのかお教えいただけないでしょうか?」
リセの母であるイザベラは村に着くとすぐに近くにいた初老の魔女に声をかけた。
初老の魔女は驚いたような顔をした後、困ったように眉を下げ、首を横に振った。
「申し訳ないですが、お教えすることはできません。
我らは元々魔女として生を受け、魔力を持っています。
しかし貴女のように魔力を持たない身で悪魔と契りなど交わせば体が朽ちてしまうでしょう……」
藍とユヅルはその様子を少し離れたところで見ていた。
「……リセのとう様は代々悪魔祓いを専門としている家系なの。
でも手当たり次第悪魔つきを祓ってるわけではなくて、悪さをする者だけだけれど。
……かあ様はとう様に幼い頃から憧れと好意を抱いていて後妻として迎えてもらったの」
〖本妻は?〗
「わからない。
とう様に聞いても答えてくれないし、かあ様に聞くと殴られるから……。
でも綺麗で頭が良くて可愛らしく笑う人だったってねえ様が言っていたわ。
かあ様はとう様の悲愁につけこんで結婚したけれど、時が経ってもとう様の心はかあ様の方には向くことは訪れなかった。
だからこれはかあ様の最後の賭けなのよ」
〖……だからあの女は悪魔と契約して力を得たいって思ってるのか〗
「只、自分を見て欲しいだけなの。
とう様に、ね」
「……リセ、もう行くわよ。
此処にもう用はないわ」
イザベラはリセの手を引き、魔女の村を出ていった。
藍は次に瞬きをすると、目の前には歓喜の笑顔を向けるイザベラの姿と魔法陣から現れた悪魔の姿だった。
肌に感じる何とも表せないような感覚が襲ってくると、藍はその場に尻もちをついた。
悪魔は口を開く。
「汝、我、〖傲慢の悪魔〗に何を願う?」
森にいる動物の声も木々を揺らす風の音もしない静かな夜だった。
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