第一章 序

第1話【異形】

 午後十時ちかく。ビジネス街の一角にパトカーが止まっている。

  立ち入り禁止の黄色と黒のテープを張りめぐらされ、集まり出した野次馬達に警察官が職務にあたっていた。


「またか」


 そう呟くと、黒色のスーツに長身の三十代半ばの男はブルーシートを捲る。

 男の後からはまだ赤バッジが真新しい青年も入ってきた。


「お疲れ様です。佐伯さん」


 佐伯と呼ばれた刑事は視線だけを長身の男に向ける。


「おう、北村か。あと……誰だっけ?」

「ちょっ、佐伯さん毎回ひどくないですか!? 狗塚郁イヌヅカカオルです。

先月佐伯班に配属されました……ってこのやり取り何回目ですか!!」


 狗塚は頬を膨らますと、佐伯は大きな口で笑う。


「ははは、悪い悪い。

ワンコを見るとどうもオジさん一度冗談を言いたくなるんだわ」

「もう、からかわないでくださいよ!

あと佐伯さんのせいで俺、署内から佐伯班の愛犬くんって呼ばれてるらしくて……」

「おうおう、可愛いじゃないか。

郁ワンワンだな」

「ぐぅ……っ」


 そんな二人のやりとりを聞き流しながら北村は遺体のシートをめくり、一度手を合わせる。


変死体ですか」

「あぁ、遺体には抵抗した形跡なし。

ビルとビルの間の死角だったことで発見が遅くなったそうだ。

第一発見者は飲み会帰りの女子大学生で、嘔吐した時に遺体を発見したとか。

更に気持悪さで嘔吐したとか……おっと失礼」


 佐伯の視線の先には近くで事情聴取を受けている女子大学生がいた。

 長い巻き髪にまだ幼さが残った容姿と女の子らしい服装の彼女はベンチに座り、女性警官に聴取を受けていた。


「遺体のほうは」


 北村の問いかけに佐伯は右手を左肩に置き、肩を一度回してから口を開いた。


「高坂 奏。有名ホストクラブのナンバーワンホストらしい。

巧みの話術で女から人気が高かったんだと。仕事場の関係者から聞いたところ昨日の夜から行方が分からなかったそうだ。

そんな男が遺体で見つかるとはね」

「もし死亡時刻が昨日だとしたら、腐敗が早いですね……」


 北村は眉間に皺を寄せた。

 狗塚は遺体に近付いたが、一番腐敗が進んだ箇所を見てしまい嗚咽しそうになる。


「郁。吐きそうなら遠くいけ」


 北村は狗塚にそう言うと、口を押えながらゆっくりと狗塚は後退し、ビルの壁際に顔を向けた。


「大丈夫です!

俺、へっちゃらで……う、げぇぇぇ……」


 次の瞬間、狗塚の意思を無視するかのように、身体は嘔吐物を吐き出した。


「ワンコが吐いたぞー」


 佐伯は壁に向かい、しゃがんでいる狗塚の背中をさすりながら、深い溜息を吐く北村を見た。


「いやー、新人の指導係は大変ですな。北村」

「遺体に吐かなくて本当によかったですよ。

郁、そのゲロブチかましたスーツで捜査会議出るなよ」

「……うっ、すいません」


 狗塚は汚れたスーツをビニール袋に詰めると、北村達の後を追っていった。



◇◇◇◇◇◇◇◇



 捜査会議が終わり刑事達が会議室からぞろぞろ出ていく。

 狗塚、そして北村猿間キタムラエンマも他の刑事と同じく会議室を出て、廊下を歩いていた。

 

「すいません猿間エンマさん。スーツ貸して頂きまして……綺麗に洗って返します」

「……ゲロ吐いたスーツと一緒に洗うなよ」

「わ、わかってますよ!

ちゃんとクリーニング屋の人に洗ってもらいます。

それにしてもほのかに煙草の匂いが……」


 狗塚はスーツをくんかくんかと嗅ぐ。

 北村は先日健康診断で煙草のドクターストップを受けていた。

 北村と一番一緒に行動する狗塚は煙草を吸わないように注意を払っていた。


「……犬かお前は」


 北村は狗塚の頭を軽く叩いた。


「確か煙草は控えるようにって言われてましたよね?

猿間さん、いつ吸ったんですか!

俺が便所行ったときですか? 俺が寝静まったときですか?」

「阿保か。そんなに吸ってねぇよ……」

「あー! やっぱり吸ったんじゃないですか!!」


 前を歩いていた佐伯がにやにやしながら顔だけ振り向く。


「お前ら本当に仲良いな。夫婦の痴話げんかみたいだぞ」

「佐伯さん。冗談言わないでくださいよ……」


 佐伯の発言に北村は眉間に皺を寄せる。


「まぁまぁ、そんな眉間に皺寄せて恐い顔するなよ北村。

整った顔が台無しだぞ」


 北村猿間キタムラエンマは刑事課一係刑事で、冷静かつ沈着で上からも一目置かれている。

 容姿端麗で背も高く女性人気が高い。一応狗塚郁の先輩であり指導係でもある。

 刑事課一係といっても班があり北村・狗塚は佐伯班に所属していた。


「そうだ言い忘れてた。

お前ら二人に女子大学生の警護をして欲しいんだが」


 佐伯は歩みを止めると二人に告げる。

 女子大学生とは先ほどホストの高坂奏の遺体を発見した女性だと北村と狗塚はすぐに分かった。


鹿山カヤマ真由マユですか。どうしてですか」


 北村は佐伯に問う。


「それが、まだ断定は出来ないからさっきの会議では伏せていたんだが……次の被害者が彼女の可能性があるんだよ」

「可能性があるって?」


 狗塚が首を傾げるのを横目にみながら、佐伯は言葉をつづけた。


「第一の事件覚えてるか」

「確か大手製薬会社の研究者でしたか。

四肢が変な方向に曲がってた変死体で発見されたとか。

第一発見者はキャバ嬢で……第二の事件の被害者でしたね」


 北村は気づいたように佐伯のほうをみる。


「今回遺体で見つかった高坂は第二の被害者の恋人で重要参考人の何人かの中に浮上はしていた。

彼女のアパートに頻繁に行き来していて、風呂場で遺体を発見して通報してきたからな」

「確か風呂場で見つかったのは首以外で首の方はまだ見つかってないんですよね。資料に書いてありました」


 狗塚はケロッとしながら遺体の発見された様を言った。


「……ワンコお前遺体見たときは嘔吐するくせに遺体の状態は簡潔に言えるんだな。おじさん関心しちゃった」

「佐伯さん有難うございます!! あれ、でも俺それ褒められてます……?」


 北村は静かに口を開いた。


「……今回の高坂は、第一第二の事件とは何だか違いましたね。

仰向けの状態に両手を胸の位置にクロスしていて……宗教絡みの可能性も視野に入れた方がいいですね」

「まあ、調べてみるのも手かもしれないな……」


 佐伯はそう呟いた。


「あの遺体クロスしてた手だけが他の部位と違って綺麗なままでしたよね、顔なんて骨が見えて……う、なんか思い出したら吐き気が……すいませんトイレ行ってきます」


 狗塚は小走りで男子トイレに駆け込む。


「それで、彼女が次に狙われると……」

「可能性な。今の段階じゃ異常な犯人の目星も付いてない。今は可能性でも被害者になりそうな彼女を守るしかないんだよ」

「しかし、女性刑事の方が彼女にとっては安心なのでは? 」

「ああ、俺もそう思って言ったんだが、どうも彼女から北村お前に指名が入ったらしい。彼女的にはお前みたいな長身の若い男に守ってもらいたいんだと」


 佐伯は北村の肩に手を置き、小さく笑った。



◇◇◇◇◇◇◇◇



 最近ひらかれた飲食街もさすがに店を閉じ、あたりはひっそり静まりかえっていた。

 街灯も少ないこの道は殺人犯にとっては絶好ポジションなのかもしれない、それも女なら尚更だと狗塚はふと思った。


「鹿山さん、いつも帰り道はこの道を使っているんですか」

「はい、私地元から離れてこの街に来たので、当時お金がなくて安くて自炊できるアパートが今住んでるところしかなかったんです」

「お引っ越しはされないんですか?」

「住み慣れてしまって引っ越しもあまり考えていないので…」


 会話がそこで途切れてしまい、再び辺りは静まりかえった。

 北村は署を出てから一言もしゃべらず一歩後ろを歩いている。

 佐伯は彼女が狙われるのは可能性だと言っていたとはいえ、こんなにも立て続けに殺人が起こっていれば彼女が狙われる確率は高い。

 いつ、どこで、彼女と殺人鬼が出くわすかわからない状態の中沈黙が続く。


「鹿山さん、君にひとつ質問がある」


 北村が立ち止り、彼女と狗塚は歩みを止める。


「はい、なんでしょう」

「あのとき、君は飲み会の帰りだと言っていたそうだね」

「ええ、飲み会の帰りで自宅に帰るためあの道を通ったんです」

「女性が一人あの夜道をね。しかもあんなビルとビルの死角になった遺体を発見するなんて偶然にしてはおかしくないか?」


 狗塚は北村の様子に違和感を感じ、北村の表情を窺う。


「猿間さん。彼女がビルの間に入ったのは偶然じゃ、」


 狗塚の発言を遮る様に北村は彼女に向かって、問うた。


「じゃあ、なんで倒れてるのがすぐに遺体だってわかった? 昼間でも薄暗い場所なら夜になればなおさらだ。

それに遺体が発見された場所と君が今帰ろうとしているアパートは逆方向なのはなぜだ?」




 ソレは静かに音も立てず起こった。

 狗塚の左脇腹にじわっと広がっていく痛み。



「あーあ、こんな簡単なミスするなんて美味しい匂いに惑わされたのかな。

まぁ、いっかそろそろ私もおなかすいちゃった」


 痛みの場所へ狗塚は視線を落とすと脇腹に刃物のように突き刺さる彼女の手があった。


「郁。少しで良いから右に反れろ」


 北村の声と銃声。

 狗塚は右に反れると同時に脇腹に刺さる手も離れる。

 抜かれた痛みで狗塚は声にならぬままその場に崩れ落ちた。

 銃声は彼女の血まみれの手をかすめるだけだった。


「いきなり発砲って。

今時の刑事さんは怖いな~威嚇射撃にしてもさ、もし当たっちゃったらどうするのさ……なんてね、ちょっとじっとしててよ。

順番に食べてあげるからさ」


 彼女は地面を蹴り、北村の目の前に瞬時に移動した。

 そして北村の腹に一撃をくらわせる。

 北村は受け身が取れぬままコンクリート壁に飛ばされた。

 彼女は赤黒い腕をし、裂けた口には街灯の光に反射した長い牙がキラキラと光る。

 それは人間とは程遠いのような姿だった。



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